身勝手な私と、ホワイトクリスマス
オリーブドラブ
身勝手な私と、ホワイトクリスマス
恋人達が愛を育む、聖なるひと時。
一体いつから、クリスマスイブはそんな日になってしまったのだろう。イエス・キリストも、自分の生誕祭を逢引の口実にされて御立腹ではないだろうか。
……いや、よそう。部活だの就活だの、仕事だのと目の前のことに追われ、まともに彼氏が出来たことなんてないまま、この歳まで来てしまったことの僻みでしかない。
何より。
「どうした? 気分が優れないように見えるが……」
「い、いえ、とんでもありません。ただちょっと、こういったお店は初めてで……」
「ふふ、実は私もあまり利用したことはないんだ。今日は特別だから、少しばかり背伸びしてみただけのことでな。……要はお互い様、ということだ」
――そう。東京の夜景を一望できる、この超高層ビルに設けられたレストランに招かれている以上。私に文句をつける権利などあるはずがない。
余裕に溢れた微笑を浮かべ、絵になり過ぎる佇まいでワイングラスに唇を当てる、絶世の美男子は――慣れないドレスとヒールに戸惑う私の眼を。真っ直ぐに、見つめていた。
アオイシールド株式会社、代表取締役社長――
いくら恋愛経験が浅かろうと、こんな日にこんな場所に誘われることが、どういう意味なのか分からない私ではない。なまじ察しがつくからこそ、戸惑うのだ。
釣り合いが取れない、どころの差ではないのだから。
「……私も、君と似たようなものでな。やりたいこと、やらなくてはならないことばかりを追いかけて、青春らしいことは何もして来なかった」
「さりげに失礼ですね」
「ははっ、済まない済まない。……そういう私だから、女性の誘い方もあまり心得がなくてね。顰蹙を買うのではとも思っていたのだが、不慣れなのは君も同じだったようで、正直安心したのだよ。初めて会った時からそうだった。君はいつもどこか、私と似ている」
そんな私の胸中も知らず、茶髪の美男子はグラスの中にある赤いワインを揺らし――こちらを見つめ続けている。やや熱を帯びた切れ目の瞳は、他の人には向けることのない「色」を纏っていた。
「……もしかして、私を採用したのもそういう理由だったのですか」
「候補者は皆、能力的には差がなかったからな。最終的には私の直感で決めていたのだが……今にして思えば、そうだったのかも知れん」
「全然……似てなんか、ないですよ。社長は怪我や病気の人々を救いたい一心で、ここまで会社を育てて来られた。……私はただ、これくらいしかやることがなかっただけで……」
「君にとっては、それも真実なのだろうな。……しかしそれでも君の助力がなければ、我が社が人々を支える組織として、世界有数の医療機器メーカーに成り得る道は拓けなかった」
その瞳に宿る真摯な想いが、私の心に触れた時。テーブルにの上に置かれた小さな箱が、彼の胸中を言外に告げていた。
「……!」
「それだけで、私には十分過ぎる理由だったのだ。……これを用意して、君と生きる将来を考えてみるにはな」
「社長……」
その箱を開き、姿を露わにしたのは――サファイアの指輪。彼好みの青色に輝く、その宝石の存在が、彼の想いを雄弁に語っている。
「君にしてみれば、単なるビジネスに過ぎなかったのかも知れん。だが私にとっての君は、幼少の頃からの夢を支えてくれた最高のパートナーでもあるのだ」
「……」
「だから……公私共に、が許されるのなら。受け取ってくれないか、
これ以上の幸福はない。きっと、そうなのだと思う。
世界有数の医療機器メーカーを僅か数年で築き上げ、数多の女性の憧れを集める時代の寵児。そんな彼に求婚されるなんて奇跡、これを逃したら一生来ない。
それくらいのことは、頭で理解している。理解している、のだけれど。
「……社長。いえ、楯輝さん」
「あぁ」
「お気持ちは、凄く嬉しいです。本当です。でも、私……」
私のことを好きだと言っている、「もう1人の男性」を知る私にとっては。それは、あり得ない選択になってしまっていた。
どんな女性も虜になってしまうのであろう、美貌を前にしても。その微笑と、熱い瞳を向けられても。受け入れてしまえば、幸せが約束されると、どんなに理解していても。
――
半ば女を捨てていたような自分に残されていた、なけなしの本能が。この人じゃない、と叫んでしまったのである。
そして、その許されざる拒絶の意思は――箱を閉じることによって、示されてしまった。
「分かっている」
「えっ……」
「君の気持ちを知っていても、こうせずにはいられなかった。ただそれだけのことだ、君が気に病むことはない」
「楯輝さん……」
「私は十分、好き勝手にさせてもらったよ。……次は、君の番だ」
「……」
彼は特に、動じていない。私に断られることは、初めから分かっていたかのようだった。
次は、私が「好き勝手」にする番。そう告げる彼のことだから……きっと、もう、何もかもお見通しなのだろう。私が今、誰を選んでいるのかも。
「……楯輝さん、ごめんなさい。私、もう行かないと」
「あぁ、冷えるから気をつけて行きたまえ。支払いは気にしなくていい」
そこまで汲んで貰っている以上、むしろここに留まる方が彼に失礼だ。私は慣れないヒールの感覚に戸惑いながらも、なんとか席を立ち――素早く一礼すると、足早にレストランを後にする。
「ありがとう、ございました」
去り際にもう一度、頭を下げる私に。こんな私に。小さく手を振る彼は、最後まで優しかった。
「……夢は叶えて貰ったんだ。これ以上ワガママを言うな、ということなのかも知れんな」
――そんな身勝手な私が、完全に姿を消した後に。
行き先を失った指輪に視線を落とし、独り寂しげな笑みを零す彼には――きっと、本当の幸せと運命の出逢いが待っているはず。
彼の秘書として、女の端くれとして。私に願えるのは、それだけだ――。
◇
赤いドレスの上に、トレンチコートを羽織り。私は早歩きで、輝きが絶えない夜の街を進む。降りしきる純白の雪が、ホワイトクリスマスの情景に艶やかな彩りを添えていた。
イブの夜なだけあって、道行く人々はカップルばかり。その景色は巨大なクリスマスツリーが飾られた、いかにもなスポットに近づけば近づくほど、色濃いものとなって行く。
ちょっと前までは、仕事に疲れたサラリーマン達が行き交うだけの道だったはずなのに――今ではそんな彼らに近しい私の方が、ずっと浮いている。
まるで、男の人を連れていない私が変わり者みたいで。なんだか気恥ずかしくなり、私は無理に歩くペースを上げ始めていた。
――本当に、これで良かったのだろうか。
今になってそんな考えが、ふと脳裏を過ぎった時。私は躊躇いがちに振り返り、自分が残してきた足跡を見遣る。
黒いアスファルトを埋め尽くさんと降り積もる、純白の雪。その形は私の足で凹み、私自身が望んだ「選択」を目に見えるように示していた。
あの時、私が楯輝さんを選んでいたら。この足跡は、ない。
私がこの道を選んだ。私自身が望んで――ここまで歩いてきた。その真実を指し示す、雪の凹みが。微かな迷いを残していた私の眼に、はっきりと映されている。
――そうだよ。これが、私の望んだ答えなのだから。何も悔いることはないし、躊躇うことはない。
もしかしたら、この選択は間違いなのかも知れないけど――そんなこと、今の私には関係ない。正しいか間違いかなんて、未来の私に聞けばいい。
私はその一心で、今度こそ振り返るまいと歩みを早めて行く。後悔を置き去りにして、前に進むために。
「ちょっと
「そうですよ剣君! 私達にもお手伝いさせてください!」
「いえいえ、先輩方の手を煩わせるわけには行きません! ここはわたしが持ちますから、ほらっ、センパイ!」
「ああもう、いっぺんに喋るなっ! ていうかお前らが荷物持ってったら、オレが手ぶらになってカッコつかないだろうがっ! あと
「えぇー!」
「えぇーじゃないっ! お前こないだの模試、B判定だっただろうがっ!」
ふと、視界の端に4人の男女が映り込む。中高生くらいの子供達が、クリスマスパーティーの買い出しか何かで盛り上がっているようだ。
私には味わえなかった、青春そのものって感じ。
……でも、ちょっと待って。今の4人組のうちの2人って……
いやでも……まさかね。もし本当にそうなら、そんな超セレブのお嬢様達を2人も連れ回してたあの男の子って、一体何者なのってハナシだし。うん、絶対違う。それより先を急がなきゃ。
私は先ほど見えた光景を見間違いと断じて、目的地を目指し歩み続ける。彼は
あと少し、もう少し。随分遅れちゃったけど……お願い、もう少しだけっ……!
「あっ……!」
その時。待ち合わせ場所になっていた、クリスマスツリーの下が見えた瞬間。無理な姿勢で走り続けたせいか、ヒールがぽっきりと折れてしまう。
彼と楯輝さんの間に僅かでも揺れ、悩んでしまっていた自分への罰なのだろうか。私はそのまま前のめりに、倒れ込んで――
「華純さんッ!」
――しまう。そう確信した瞬間、彼の逞しい腕が私の身体を、容易く受け止めていた。
その反動で、私のセミロングの黒髪が揺れ動いた時。顔を上げた私の眼には、私が心に決めてしまった人の姿が、映し出されていた。
きっちりと短く切り揃えられた黒髪と、長身の逞しい体躯。そして――紺色の整然とした制服。
それが、防大生としての彼の正装であることは、よく知っている。高校時代からの後輩だった彼とは、もう……長い付き合いになってしまったのだから。
「……あはは。慣れないヒールなんて履くもんじゃないね、ほんと。ありがとう、
「なんで……なんで華純さん、ここにいるんですか。アオイシールドの社長と、ディナーに行くんじゃなかったんですか」
「えっ、どこでそんなこと……」
「今日のことで華純さんを誘った後に、会社の人が言ってきたんです。イブの夜は、社長直々に華純さんをディナーに招待してるんだって……」
そんな彼の真っ直ぐな瞳を直視できず、頬を掻きながら苦笑を浮かべる私に対して。彼が戸惑うように零した言葉に、私の方が面食らってしまった。
確かに私の近くには、噂好きで口の軽い同僚が多い。どうやら彼女達が、彼――防大4年生の
「……うん、まぁ仕事の上司っていうか……社長からのお誘いだったしね。けど、理由付けて抜け出しちゃった」
「それ、良かったんですか?」
「そりゃあ……良いか悪いかで言ったら、良くないに決まってるじゃん」
「じゃあ、なんで……!」
唇を尖らせる私に、洸君は焦った様子で詰め寄ってくる。高校の頃からずっと、彼はこうだ。
私の立場を知っていながら好きと言っておいて、いざ私がここまで来てしまったら「なんで」とか言い出す。ほんと、自分勝手。
「……!」
「私が欲しいのは、
そんな彼を選んでしまったからには、私も彼の扱いを心得なくてはならない。制服のポケットに手を突っ込んだまま、その先に隠されている物を取り出せずにいた彼は――私にそこを指差された瞬間、目を剥いてしまう。
けれど、彼が躊躇ったのは、その一瞬だけ。程なくして、腹を括ったように――彼は数秒だけ瞼を閉じて、白い息を吐くと。意を決したように、カッと目を見開いた。
「……後悔したって、もう遅いですからね。ここまでさせちゃったら、もう……俺だって、諦められない」
「うん……そうだね。私達、手遅れだね。諦めてあげないよ、私も」
そして、ポケットの中から取り出された箱。その中にある、白銀の指輪を――私は、僅かな迷いもなく受け取る。
彼が4年間、この日の為にコツコツと貯金していたのを、私はよく知っていた。彼は上手く隠していたつもりなのだろうが――あいにく私は、人を見る目にだけは 自信があるのだ。
やがて――私が、本当に欲しかったものが。無駄に白くて細い、私の手に。その薬指に、収まっていく。
彼が防大生の制服姿だから、か。私達はこのスポットに集まった恋人達の中でも、一際目立っていたらしく――私の指先が彼の「想い」を受け入れた瞬間、周囲からは静かな拍手が送られていた。
「あっ……」
「あはは……洸君、その格好だから目立つもんね。いっそ、見せつけちゃう?」
「いいですね、それ。見せつけてやりましょうか」
「え? ちょ、ちょっ、本気でやるの? ダ、ダメだよ、洸君、防大生だし……それは自衛官の看板に傷が付くっていうか、その……!」
一度行くところまで行ってしまえば、もはや恥ずかしがる理由もないと言うのか。先ほどまで躊躇いがちだった様子とは裏腹に、今の洸君はやたらと積極的だった。
冗談めかして舌を出す私の腰に手を回した彼は、予想外の不意打ちにたじろぐ私を無視して――この喧しい唇を塞がんと、貌を寄せる。
「……って言うのは、来年の卒業までお預けってことで」
「んなっ!?」
ところが。ええい、と腹を決めた私が瞼を閉じて、不器用に唇を突き出した瞬間。彼は指先を私の口先に当て、立場が逆転したかのように私をからかってしまった。
本当に……勝手な人だ。散々心配掛けておいて、いざ成功したら、その途端にこれなんだから。私は思いの外、厄介な相手に惚れてしまったようだ。
「俺との約束、すっぽかしかけたのはこれでチャラにしますよ。……卒業したらずっと、俺しか見えないようにしてあげますから」
「も、もぉーっ! 良くないんじゃないかなぁ! 防大生がそういうこと言うのはっ!」
けど、こうしてぷりぷりと怒りながら両腕を振るうのも。笑いながら防御に徹している彼と2人で、戯れ合うのも。周囲の人々から、生暖かい支線を向けられるのも。
ちょっとだけ……心地良かったりする。こんなことでさえ、幸せを覚えてしまうような恋なら……きっと、後悔なんてしない。
これこそが、どうしようもなく身勝手な――本当の私。
自分自身の「選択」を示す足跡に導かれ、本心を突き付けられてきた、私だけの――真実。
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