Ⅵ(前)

「そういえば、絵の仕事だけでなく、子供達とも随分親しくしてもらっているようで感謝しているよ」

「いえ、そんな事は・・・・・・」

 

 大広間の外縁部分に座るのに丁度良い岩が二つ転がっているのを見つけた僕達は、腰かけながら話していた。ただ心中の動揺をいまだ押し殺し切れていない僕と対照的に、ドルデゥールはひどくくつろいだ様子だった。僕の父とドルデゥール。同じ施政者であるはずなのにこうも違うのだなと思わず考えてしまう。


「一緒に遊ぶだけでなく、時には相談事にも乗ってもらったりしていると聞いた。私も同じ事をしてみようと昔励んだのだが、どうにも私は子供に好かれにくい質の様でね。感謝の気持ちの反面、少し羨ましい気持ちもあるかな」

 

 僕たち以外誰もいない大広間に、体中に老化のしわ寄せが来ている筈の長老の快活な笑い声が響く。僕は体の前で合わせていた手を組み直す。


「どれだけ感謝されたところで、僕は人殺しです。それも一人や二人を殺すんじゃない。貴方を含めた、この洞窟に住む人々皆を殺すんです。僕は偽善者で、独りよがりな人間で、ただの最低な人殺しなんですよ」

「人、か」

 

 笑みを頬に隠し、ドルデゥールは呟いた。


「私がこの地下の民達を治める者になってから、人と話した事は片手で数えられる程度だが、ある。君の父と同じように和平という名目で我らを飼い慣らそうと考える者達や、本当に偶然この地に入り込んだ旅人。しかしその内の誰もが、我らを人として扱わなかった。いや、本来はそれが当然なのだ。我らと地上の人とでは、思いつく限りの全てが違う。ただ唯一話す言葉だけが同じで、それ以外は何も等しくない。そんな存在を人間扱いするなど、私が人間であったとしても無理であろうよ」

 

 ドルデゥールの眼が僕に向けられる。そこに先程までの愉悦を感じる色は無く、ただ真摯に僕を見つめていた。


「しかし君は我らを人として扱う。我らを殺す事を人殺しと称する。君以外のおよそ全ての者が我らを人でないと扱うというのに、君はどうしてそう考えられる?」

 

 ドルデゥールの声が僕を貫く。顎を撫でる。舌で冷えた唇を濡らす。髪を掻き、目元を抑える。それだけの事をする時間をかけて一応の結論を出したと考えた僕の口から出たのは、思わず頭を抱えてどこか誰も僕の事を知らない場所へ逃げ出したくなる程頼りない声で紡がれた、幼い論理だった。


「絵を、褒めてくれたんです」

 

 ドルデゥールは怪訝な顔も、先を促す仕草もせずにただ静かに僕に視線を注ぐ。


「この洞窟に来てすぐ、僕が仕事休みの時に気まぐれに描いた絵を、子供が凄いと褒めてくれたんです。そうしたらその子の親が来て、その人も褒めてくれて、その日の晩には僕に、凄く貴重なはずの食事を少し分けてくれました」

 

 僕は目を閉じる。瞼の裏には、この地に入ってからの記憶が映し出されていた。


「絵の話をしたんです。絵の具の作り方。絵の描き方。地上では誰も興味を持ってくれなかった話に、ここの人は耳を傾けてくれた。一緒に食事をしたんです。地上ではずっと、冷たくて狭い部屋で、ここで食べる物よりも出来は良いけれど、味のしない物をただ口に入れていました。人が死んで、その死に対して泣く姿を見たんです。地上ではどこもかしこも戦争ばかりで、皆どんどん命に対して感情が希薄になっていく。人を数でしか見なくなっていく」

 

 多くの人が成長の過程で早くに捨てるはずの幼い論理は、しかし幼い世界観の僕にとってはこの世界で何よりも信じられるもので、信じたいものだった。


「この洞窟の人々は、そう、僕にとっては地上で出会った誰よりも人らしくて、僕が人として接したい人達だったんです」

 

 ポツリポツリと呟いていた言葉に激情が混ざっていく、玉ねぎの皮を剥ぐように自分の胸中にある心を剥いでいけば、最後に残ったのはどうしようもなく暗い、自己嫌悪の感情だった。


「なのに僕は、その人達を殺す為に絵を描いているんです。急に外から来た、どうしようもなく不信感しか抱け無いはずの僕が描いた絵を褒めてくれたのに、僕はそれで殺そうとしている。どれだけ取り繕ったって、そこは変わらないんです」

 

 激情は嗚咽となって空気を湿らせる。俯いた僕をドルデゥールがどういう顔で見ているのかは見れなかった。見る事が出来なかった。


「君が本心をさらけ出してくれた以上、私も全てを隠さず話すのが礼儀なのだろうね」

 

 ドルデゥールの声は、本来この洞窟に住む者の誰よりも僕を処罰せねばならない立場の男の声は、いまだ優しかった。


「さっきは罠にかける様な言動をしたが、本当は既に我らは君が我々を皆殺しにする為に来た人間だと考えていたのだよ。確固たる証拠はなかったが、諸々の状況を見て和平など結ばれるはずは無いという事も、この地に眠る鉱物が君達にとって必要な状況であるという事も確信していた」

「なら、なぜ、受け入れを」

 

 衝撃的な事実に、僕は赤くなった目元を隠す事もせずにドルデゥールを見上げる。


「この地に和平の証を示す者が単身で来ると聞いて、最初は容赦なく殺すという意見があったのは事実だし、君がここに来る前日までその意見は選択肢の内の一つとしてあった。そんな事をすれば即座に躊躇なく攻め込まれ、禄に戦える肉体を持たない我らは蹂躙という言葉でも生温いほどに虐殺されると分かっていてもね」

 

 本当は僕の事を殺すつもりだったという告白に対し、僕はそれほど衝撃を受けなかった。何なら自分もここに着く前日までは殺されるだろうなと考えていたほどだった。だが、とドルデゥールは続ける。


「洞窟の中へと君が入り、君が様子見で見守る我らの前でした事が、我らの意見を変えた。我らの想像もつかぬ世界の景色を、真摯に描き、生み出していく君を見た時、我らは君を殺すべきではないと判断した。我らの何の未来も作らない、ただの淀んだ感情の矛先を君に向けてはならないと、この村の者全てが考えたのだ。そして我らは、もう一つの選択肢を選んだのだよ」

「もう一つの、選択肢?」

「さっきも言っただろう。君を殺すという意見は選択肢の内の一つとしてあった、と。我らが最終的に選んだのは、残されたもう一つの方だ」

 

 そう語るドルデゥールの瞳が普段と違うと感じたのは、僕のただの勘違いだろうか。いかなる時も暖かい光を宿している彼の瞳が、その時だけは何処も、いや、何も見ていないように思えたのだ。


「我々は君が我らの種を滅ぼす事を知りながらそれを受け入れ、ただ滅びを待とう、という決断だ。今ではこの地の大人全員がそれを承服している」

 

 伏し目がちだった瞳が思わず大きく開く。反射的に顔を上げるが、それでもドルデゥールの仕草は穏やかなままだった。それはどこか、不自然なほどに。


「我らはどん詰まりの種族なのだよ」

そう語るドルデゥールの声は寂寥の色で染められていた。それは初めて彼が露出させた暗い感情だった。


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