172 白麗、三度目の参内・その4



 二度目の参内までは、なだめすかせればなんとか納得し、天子の御前で笛の音を披露した白麗だった。


 しかし前回の参内で、正妃の陰謀によってその身が杖刑台に据えられるという危険な目にあった。それからは、美しい着物を着せても頬の落ちそうな美味い菓子を食べさせても、その心を動かすのは容易ではない。


「前回の参内の時に、千夏さまにも言ったことなのだが。

 虫も殺さぬ顔をしていて……。

 麗の性質たちは、あの世話焼き萬姜ですら手を焼くほどに強情だ」


 英卓の耳にあの時の白麗の悲痛な泣き声が、その片手に抱きしめた細い背中の震えが、そして首筋に滴り落ちた熱い涙が焼けつく傷となって蘇る。


 承将軍とともに十分に練り上げた作戦だった。


 杖刑台の横には将軍の息のかかった宦官がいた。

 それとは気づかれぬ方法で、将軍の到着まで時間を稼ぎ、いざとなれば体を張って杖刑を中断させる手はずだった。


 旋風つむじかぜ吹き荒れる阿鼻叫喚の地獄絵図のような中で、天子さまのお成りまで、彼ら二人の思惑通りにことは運んだのだ。


 しかし言葉の不自由な白麗に、事前にそれを教えることは不可能だ。

 たとえ知っていたところで、まだ子どもの白麗が感じる恐怖にどれほどの違いがあるというのか。


「気に入らぬと思えば、あれは梃子てこでも動かぬ。

 犬猫であれば首に縄をかけたいところだと言ったところ、千夏さまには酷い兄だと叱られた」


 そう言いながら、英卓は右手で鼻の横をぽりぽりと掻いた。

 心に無いことを言う時、そしてそれを相手に知らしめたい時に使う彼の癖だ。


 今まで雄弁だった承将軍がその口を閉じた。


 彼としても可愛い白麗を危険な目に合わせたくはない。

 禁軍の大将軍としてその名を青陵国にとどろかせていながら、決戦の勝敗の行方を少女に背負わせることに、忸怩じくじたる思いがする。


 それぞれの胸の内を見透かし合いながら無言の時が過ぎていく。

 再び、関景が割り込んできた。


「承将軍、英卓。

 前回の謀り事は首尾よくいったのであろう?

 ならば、二人して、なぜに躊躇う?

 気が狂った正妃さまなど怖れることもなかろう?」


 関景の言葉に助けられた宇項が破顔一笑した。


「関景さんの言う通りだ。

 いまの後宮は、どこよりも安全だ。

 それはこのおれが胸を張って保証する。


 それに、お嬢ちゃんが参内している間は、禁軍の見回りも増やすと約束する。

 それでも心配だと言うのであれば、おれが副妃宮の門番として立っていてもよい」


「英卓。

 将軍にそこまで言わせて、まだつべこべと言い訳するつもりか」


 ばしっと音がするほどに英卓の背中を叩くと、関景が声を張り上げた。

 大将軍の承宇項と参謀の関景に組まれてしまっては、若い英卓に逆らう余地はない。


「宇項兄の悲願は、おれの悲願でもある。

 そしておれも青陵国の民として、天子さまの安らかなることを祈らぬ日はない。

 しかしだ、宇項兄、関景爺さま。

 先ほどから言っているように、問題はそこではなくて、麗の強情な……」


 またまた、関景は英卓の背中をばしばしと叩いた。


「どうした、英卓?

 女のことで泣き言を言うとは、おまえらしくもない」










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