133 宮中に響き渡る笛の音・その1




 ……新開の人たちは、まだ、私のことを覚えているかしら? 

 すでに人手に渡ってしまった生家だけど、今までに溜めてきた給金で買い戻せるだろうか? 


 でも、新開に戻るとしても、沈家に嫁いだ梨佳さまはよいとして、医師になるために勉学に励んでいる範連にはどう言ったらよいものか。あの子は、医師になる夢を捨ててでも、わたしについて新開に戻ると言い張るに違いない。


 そして嬉児は。

 白麗お嬢さまから引き離されると知ったら、どんなに悲しむことか。

 きっと、わたしを恨むことだろう……


 見上げていた青い空が涙で滲む。

 慌てて俯くと、萬姜は着物の袖で目をぬぐった。


 振り向くと、口実をつけて出てきた白麗の部屋が、芽吹き始めた木々の枝を通して見える。

 

 温かな春の風に戸は開け放しているので、色美しい女物の着物が、舞っている蝶の羽ように重なったり離れたりとひるがえっているが見える。その横に薄青色の着物がひとかたまりとなっているのは、承千夏についてきている侍女たちだ。


 白麗と嬉児に、千夏が都で流行っているという歌に合わせた踊りを教えている。


「麗さま、右手をこのように上げて」

「麗さま、とんとんと、足を踏み鳴らして」

「そうですよ、嬉児ちゃん。上手、上手」


 たぶんそう言っているのだろう。

 侍女たちもまた、千夏の踊りに手拍子をとって囃し立てているに違いない。

 ここまではその声は聞こえないが。


 流行りの歌も踊りも知らない萬姜は、「茶菓子の用意が出来ているか、確かめてまいります」と、小声で呟いて席を外したが、千夏はもちろんのこと、彼女の真似をして夢中で踊っている白麗も嬉児も気づいていなようだった。


 いや、侍女の一人と目があった。

 ちらっと萬姜を見やったその冷たい目の色は、「この場にそぐわないあんたがここにいても、しらけるだけ。はやく消えてしまいなさいよ、この田舎者」、そう言っていた。






 承家で宴が催されたあの日より、千夏は三日に空けず、荘家の屋敷に遊びに来るようになった。


 初めて来た日、彼女はお土産に可愛らしい人形を持ってきた。

 宮中の妃さながらの衣装と髪飾りを身につけた、見事な作りの人形だ。

 そのうえに、小さな箪笥に仕舞われた着替えの着物まで持っている。


 その人形を使って、千夏は、ある日の妃の一日という人形芝居を演じて見せた。

 身振り手振りに、声の使い分けも面白い。

 承家の屋敷で甥や姪を相手に遊び慣れていることもあって、手慣れたものだ。


 嬉児はもちろんのこと、言葉のわからない白麗も手を叩いて喜んだ。





 その夜、萬姜は、白麗の部屋の飾り棚の上にその新しい人形を飾った。

 そして、古い人形を片づけた。


 慶央にいた時から、白麗のそばにあった古い人形だ。

 白麗と嬉児がさんざんに遊んだものだから、もとは白かった顔も薄汚れている。

 そのうえに人形に着せている着物は、残り布を使っての萬姜の手縫いだ。

 千夏の人形と比べると、あまりにも見劣りがした。


 帰って行く時に、承千夏は「また、遊びに来ますね」と白麗に言った。

 その時に、こんな粗末な人形を千夏に見られたくはない。


 「あたしの姿は、萬姜、あんたそのもの」

 萬姜を見つめる人形の目が囁いたような気がした。

 

 







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