006 宝成と梅鈴、白麗をかどわかす・1
上にあった男の体がすっと離れる。逃すまいと、梅鈴は男の背中にまわしていた両手に力を込めた。指先が男の汗でぬるっと滑った。
引き留められなかったのは男の体だけではない。このままではその心も遠くに行ってしまいそうだ。
すでに安陽の季節は春の盛りを過ぎていた。
梅の花は散り、生い茂った葉の間から青い実が覗く。柳は緑色の細い枝を風に揺らせて、綿を雪のように飛ばしていた。
しかし、男の体が離れてしまうと、春まだ浅いあの日よりも寒々としていると梅鈴は思った。
三か月前のあの日、梅鈴が〈健草店〉への使いを終えて宝成との待ち合わせ場所に息せききって戻ってくると、宝成の姿はなかった。
あれほど約束したのに。
期待した私が馬鹿だった。
私って、なんて男運のない女なんだろう……。
涙が溢れてきた。
握りしめた拳で流れ落ちる涙を拭いて諦めて帰りかけた時、また、後ろから声がした。
「ごめん、ごめん。もしかして、待たせた?」
そう言いながら、ことさら大きく開けた着物の胸元から女物の
「梅鈴ちゃんの喜ぶ顔が見たくてね。ちょっと買いに行っていたんだよ。でもかえって、心配かけちゃったね。おれのこと嫌いになった?」
「ううん、そんなことない。そんなこと絶対にない」
手巾の刺繍を見た時にえらく安物の品だとは思った。しかし、そんなことを見て見ぬふりするくらい、梅鈴とっては簡単なことだ。
一度拭った涙がまた溢れてきた。
男は梅鈴の手の中にあった手巾を、そっと取り上げるた。
そして、それで梅鈴の涙を拭きながら言った。
「梅鈴ちゃんって顔もきれいだけど、心もきれいなんだねえ」
「私、五のつく日には必ず、萬姜さんからの
そうして、五のつく日に、梅鈴は宝成と使いの途中の道端で二度ほど逢った。
三度目は、おっかさんの具合が悪いので見舞いに行きたいと萬姜に嘘を言い、休みをもらって逢った。
「梅鈴ちゃんと一緒に芝居を見たいなあ。一緒に買い物をするのも楽しそうだ。そうだ、梅鈴ちゃんによく似合う着物を買ってあげたいよ」
しかし、念入りにお洒落をして待ち合わせ場所に行った梅鈴に、宝成は言った。
「お屋敷の人たちに嘘をついて来ているんだろう?
それじゃ、二人で歩いているところを見られたら、おれはいいけれどさあ、梅鈴ちゃんが困るじゃないか。
今日は一日、誰にも見られないところで過ごそう」
そう言った宝成は梅鈴を、入り組んだ路地裏に連れて行った。安陽に生まれ育った梅鈴だが、まだ一度も足を踏み込んだことのない界隈だ。
飯店の看板は出ていたが、飯を食べさせるだけの店ではないことは、十七歳のまだ男を知らない梅鈴でもわかった。
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