永遠の夏
第11話 ちっぽけな世界
ここで、少し時計の針を早回ししよう。
あたしは高校3年生。普通科の、いちおうギリギリ進学校だ。季節は春。そろそろ、進路について真剣に考えなければならない時期だ。
放課後の地学実験室。机にしなだれかかりながら、地球儀を無意味にぐるぐると回す。世界は狭い。こんなボール1個に収まってしまうのだから。
「ねえ、さっきから何してるの。目が回るんだけど」
向かいに座っている
「別に。世界は狭いなぁって確認してるだけ」
「たしかに、宇宙規模で見たらものすごくちっぽけではあるけど。そういうことは世界を見てきてから言いなよ」
はぁ、とため息を吐く。
「やめて、空気がよどむわ。あんたの気分が晴れないのは世界がちっぽけだからじゃなくて、そのちっぽけな紙のせいでしょう?」
その通り、とあたしは進路希望調査の紙をぱちんと指ではじく。提出期限は来週だ。
「そんなもん、行きたい学部があって行けそうなレベルの大学からテキトーに見繕っておけばいいじゃない。まだ4月だし」
「うーん、そうなんだけど」
進路希望調査自体は2年のときもやっているので初めてではない。前回は万里が言ったように、ネットで検索して第三希望までの欄をテキトーに埋めた。問題は、その3つの大学がどこのなんというところだったかまったく思い出せないことだ。
「うわー、信じられない。覚えてないの?」
「メモっとけばよかったなあ」
「まあ忘れるぐらいじゃ、たいして行きたくもなかったってことでしょ。あきらめて調べ直しな」
「こんなことして意味あるのかな」
「ふつうは志望校を意識させるためにやるんじゃないの? それで勉強への意欲を高めて、ひいては進学率の向上につなげる」
「じゃあ結局、学校の利益のために勉強しろってこと?」
「合格に近づくならそれでいいじゃない。ウィンウィンだよ」
「万里はどこにした?」
「千夏、人のパクったってなんの意味もないからね」
「やだなぁ、わかってるって」
気まずくなってじぃっと紙とにらめっこしていると、万里がため息を吐いた。
「なんかないの、将来つきたい職業」
「うーん……あこがれるのはバックパッカーかな」
「それ職業じゃないし! じゃあわかった、興味のあることは?」
「えー、特に思い浮かばない」
「あんた、もっと自分に興味持ちなさいよ」
「その時々ではまることならあるんだけど、長続きしないんだよね。あ、でも天文部に入ったのはよかったと思ってるよ。このぐらい緩くて自由な部活じゃなきゃ、とっくに辞めてたと思う」
「それ、活動計画書を一生懸命書いてる部長の前で言うセリフじゃないよね」
万里のシャーペンの芯がピキッとはじけ飛ぶ。
「……それにほら、万里とも友だちになれたし」
「私らがいなくなればもう廃部だけどね」
入部当初は5人ほどいた部員も、卒業したりいつの間にか来なくなったりして、今ではあたしと万里の2人しかいない。
「盛者必衰ってやつですよ。甘んじて受け入れましょうや」
「盛者って、この部活にいつ盛んな時期があったの」
「さあ。あたしたちが生まれる前ぐらい?」
「またテキトーなこと言ってる」
万里はあきれて計画書に目を戻しかけたが、またふと思いついたように
「そういえば」と言った。
「天文部に入ろうと思ったきっかけはなんだったの?」
「きっかけねぇ」
あたしはまた地球儀を回転させる。
本当のことを言えば万里は全力で茶化してくるだろう。
「なんだっけな、たしかSF映画の影響だったと思う」
万里が有名な宇宙戦争映画のタイトルをあげるので、それそれとうなずく。
「あと、あわよくば星空を観測しているときにUFOを見られるんじゃないかと思って」
「ああ、そういえばあったね、UFO事件」
入部して間もないころ、野外で天体観測をしていたときのことだ。あたしは夜空を突っ切る光の点を見つけてUFOだと大騒ぎした。でもそれはただの人工衛星で、ちょうどそのときにお茶を飲んでいた先輩の笑いのツボを刺激してしまい、むせにむせた彼女をみんなで介抱したという、恥ずかしいうえに申し訳ない思い出だ。
でも、あの事件をきっかけに万里や先輩たちとの距離が縮まったのも事実だ。
「懐かしいね。先輩、元気にしてるかな」
万里が遠くを見る目つきになる。
「きっと今ごろ、大学生活をエンジョイしてるんじゃない?」
大学、と自分で言ってまたため息が出る。まだずっと先の話だと思っていたのに。
「もういいや。あとで考えよう」
あたしは進路希望調査を折りたたむ。ちっぽけな紙が、さらにちっぽけになる。
「帰る?」と聞かれうなずく。このまま地球儀で遊んでいても志望校は書けそうにない。
「そっちは?」
「私はこれ、完成させないといけないから」
万里は計画書をコツコツとペンでたたく。そして変ににやっとした表情で、「例の彼氏のとこ?」とのたまう。
「ちがうって。体を動かしたいだけ。それに彼氏じゃなくて友だちだから」
「向こうはそう思ってないかもよ?」
「本当にそういうんじゃないんだって。小さいころからずっと一緒だから、半分家族みたいな感じなの」
「なるほど、夫婦も同然ってことね。いいなあ。私も早くそういう人に出会いたいなあ」
もう何を言っても無駄のようなので、退散することにする。
教室を出る寸前、「今度写真見せてねー!」という声が飛んでくる。このまま引き下がるのもしゃくなので、「そっちに彼氏ができたらね!」と言い捨て、走って逃げる。
「うわ、このリア充バカ!」っていう声がずっと後ろのほうで響いていた。
廊下ですれ違った教師がしかめ面で何か言いかけたので、「さようなら!」ととびきりの笑顔で挨拶して通り過ぎる。
廊下を走らない先生は、永遠にあたしに追いつけない。
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