第22話

「私は瀬矢様を介して、礼、お前を随分前から知っていた。しかし、瀬矢様が亡くなった後、私はお前のことを思い出すことはなくなった。その後、常盤家からの強力な申し出で、我が家も朔を許婚にすることを決めた。須和家の娘の話は相手を選ぶ上で当然考えていた。朔がその血を受け継いでいる一人かもしれないことはわかっていたから、我が家は許婚にすることに異論はなかったのだ。朔は婚約の儀の時に、お前を呼んでいたね。私はその時にお前をみて、瀬矢様のことを思い出していた。そして、もうお前との縁はないものだったんだ。そのはずだったのに、私は瀬矢様の言葉を思い出し、私が妻にすべき相手は礼だと思うことが起こった。お前に左目を失わせてしまったけどね」

 実言は寝そべっていた身体を起こして、礼の前に座った。

「あの年の新嘗祭の、異国行列の見物のとき。お前は図らずも私の命を守ってくれた。それはお前が言うように偶然であっても、お前は反対側の櫓から放たれた矢を感じ取り、その矢に誰も傷つけさせまいと、その身に受けた。私はお前の動きで、誰も見えていないことがお前にはすべて見えているのだと知ったよ。そして、それは須和の娘の不思議な力のことを思い起こさせた。それと同時に、瀬矢様の言葉が蘇ってきたのだ。須和の娘の不思議な血を引いているのは我が妹だという。確証はないとおっしゃっていたが、私はこの目で見て、腑に落ちたのだ。その力を受け継いでいる者があれば、それは礼であるとね」

 実言は口の端を歪めるように笑った。

 礼は左目の傷に苦しんでいる間に自分の運命が決められていくことになった話を静かに聞いた。いや、言葉が出ないのだ。自分を一番愛してくれた兄である瀬矢と実言との出会いと自分に対するやりとり。それから実言が瀬矢の言葉で礼を妻にしようと決めたこと……。

 全く知らない話である。

「須和の娘の話は、真偽は定かではないというが、本当であればどの家でもあやかりたい話だ。私は私が見て感じたことに従うしかなかった。岩城に対して相手の家格がという一族もいるが、私は礼をとることにした。朔には申し訳ないが、前例がないわけではない。婚約を解消し、お前を欲しいと訴えた。その時、父上にはお前が須和家の不思議な力を持った娘であると自分は確信していると言った。常盤家には、私の身代わりになった娘を捨てておけないと言って説得した。真皿尾家には、私を庇って失った左目の責任を取りたいと言って、婚約を承諾させようとした。礼は、私が左目の責任をとってお前をもらったと思っているだろうが、その、最初、私は須和の娘としての価値に魅力を感じていたのだ。あっちこっちに我が意を悟られないように説得するのは骨が折れたものだったよ」

 実言はその時のことをまざまざと思い出したようで、苦笑いをした。

「お前にこんな話をするのは瀬矢様のことを話せるのは礼しかないからね。私は早く瀬矢様との思い出を語り合いたかった。そして、なぜおまえを選んだのかをわかってもらいたかった。なのに、お前は私に全く心を開いてくれないから、この話も今日まですることができなかった」

 礼の朔に対する操を知ってかしらずか恨むように実言は言った。

 あの時は、都中が左目の責任を取るために実言は礼を許婚にするとの話が流れて、病床の礼にも聞こえていた。そして、大半が朔を憐れんだ。礼も、朔への操を守るために、実言の態度や言葉を受け入れることはできなかった。

 回り道をしたが、今実言の真意がわかった。

「私が左目の責任をとるためにお前を無理に許婚にしたと思っているのではないか。私もそう言ったから。だけど、左目の責任というよりはお前の須和の血に惹かれてしまったというのが本音だ。こんなことを言ったら、お前は須和の娘の力が欲しくて、私がお前を選んだように聞こえるのかな。でも、婚約の儀に、親愛の首飾りをお前にかけた時から私はお前のことを正面から見つめて思い始めたんだけどな」

 礼にとっても瀬矢との思い出は心の奥底に封印した記憶であった。母を亡くした後に、続けて愛する兄を失うことは何にもかえて耐え難いことであった。だから、思い出さないように瀬矢に関わることはすべて記憶の底に押し隠してしまった。実言の話で思い起こされてくる記憶。あれは母を亡くして半年経っても礼が悲しみに打ちひしがれている時だった。

「礼。お前はいつまでも悲しみに暮れていてはいけないよ。お母様の分までお前は長く幸せに生きなくてはいけないのだから」

 瀬矢の言葉に礼は泣きながら答えるのだった。

「お母様がいなくなって、礼はひとりぼっちになってしまったの。礼は寂しくて、生きていけない」

「そんなことはないよ。お前には私がいる。それに将来、お前は優しい夫と一緒になって幸せになればいい」

「……では、私は兄様の妻になりたいわ」

 瀬矢は苦笑いしながら言うのだった。

「礼は兄様の妻にはなれないよ。私たちは兄妹だからね」

「そうなの?兄様は礼に優しいし、そばにいて欲しい時にいつもいてくれるもの。礼は兄様とずっと一緒にいたいのに」

「兄様はずっと礼と一緒にはいられないから、兄様が礼に相応しい夫を選んであげよう」

「本当?」

 礼は兄の言葉を素直に信じた。兄が自分を守ってくれる男を見つけてくれるという言葉を。しかし、兄の死と共に、その言葉は心の奥底に沈み、浮き上がることはなかった。今の今まで。

 そして、今、兄が選んでくれた男は目の前にいるのだと、わかった。

「実言」

 礼はその人の名を口にした。

「礼。私は婚約の儀にお前と対面して、瀬矢様の言葉を噛みしめるのだ。私が、お前の両目のある顔を最後に見た者であり、お前が両目で見た最後の男が私だったはずだ。この縁に私は、お前を意識せずにはいられない。瀬矢様に思い知らされる思いだ。私に必要な娘は目の前のお前だとね。許婚となってからの私のお前への思いを知らないとは言わせないよ。今までの私は全霊でお前を思っているのに」

 そう言うと、いつものように実言は礼を腕の中に入れて、強く抱きしめた。

 礼と実言の婚約の儀は、岩城家で行われた。朔の婚約の時に見たように、親愛の首輪を実言からかけられる時に、礼は実言を正面から見た。朔が夢中になっていた男は、確かに清々しく容姿端麗で、強く、涼しげな目元を細めて礼に微笑みかけた。ありったけの親愛を持って。

 礼は今、実言の腕の中で思うのだった。兄が選んだ相手はこんなに自分を強く抱きしめ、惜しみない気持ちを向けてくれるこの男であったとは。

 朔への操を破り捨てて、礼の心は瀬矢が選んでくれた男の懐に躊躇なく飛び込む。自分の愛すべき男は間違いなくこの男だと確信したのだった。礼にとっても実言は瀬矢が死しても礼のことを思い作り上げてくれた縁のように思えた。 

「実言」

 礼は実言の腕の中で、名前を呼ぶ。実言の胸に伏せていた顔を上げて、真上を見上げた。実言はその視線を受け止めて、次に続く言葉を待った。

「愛してる」

 唐突に礼は告白した。実言は余裕の微笑みを見せて答えるのだった。

「私もだよ」

 実言は腕の中の礼をきつく抱きしめて、自身が後ろへ倒れた。自分の胸の上の礼の顔を両手で包んで、正面に捕らえ、いつものように礼の唇を貪り吸って、より深く求めた。

 そして、二人の初夜はあけていったのだった。


                                              第一部完

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