第20話

 実言は宴の終わりのためにもう一度広間へと行った。礼は離れで待機となり、しばらく部屋の中で休んでいると、実言が帰って来て、それと同時に用意ができたからと人が呼び来た。これから、岩城家の女性たちとの対面である。まずは岩城家当主の正妻の屋敷に案内されるとのことだった。

 少し前に、礼は縫に化粧や髪を直してもらった。その時に、またもや縫は檄を飛ばす。

「礼様は、自信を持って座っているのです。怯んではダメですよ!」

 実言の後ろでについて、礼は正妻のいる東の館に渡った。

 顔を伏せて、実言の隣に座り、実言とともに顔を上げると、当主園栄の正妻は、礼の面差しを見ると驚いた表情をして見つめた。噂に聴いていただろうが、初めて見る隻眼の娘に驚いた様子だ。

「沢様、妻の礼です」

 実言は父の妻、兄たちの母に対して、少し硬い声で言った。実言の言葉に、沢は我に返ったように礼から視線を外して、実言ヘ向き直った。

「実言、おめでとう。あなたも生涯の伴侶を得て、益々発展ことでしょうね。一族としても嬉しい限り」

 実言と会話をしている園栄の正妻の顔を礼は盗み見た。中年の美しい女性。

「礼」

 急に視線を向けれられて、礼は畏まって頭を下げた。

「実言をよろしく頼みますね」

「わたくしの方こそ、世間知らずですので、ご迷惑をおかけしないように致します」

 自分の態度の頼りなさに礼はふらふらになりながら、次は第二夫人の部屋へと渡った。第二夫人は実言の実母である。先ほど、実言には内緒で会ったところだが、初対面のように演技できるだろうか。

「母上。失礼します」

 実言に続いて部屋の中に入っていくと、毬が澄ました顔で座っていた。二人の姿を見上げると、にっこりと笑顔になった。夫人の前に設えられた席に二人は座ったら毬は声をかけた。

「二人とも、おめでとう」

「ありがとうございます、母上。これが妻の礼です」

 実言が隣の礼に目をやって、礼を紹介する。礼は深々とお辞儀をした。

「礼。随分と待たせてしまったわね。実言の母親として、お詫びします。戦に行って、二年も帰らないなんて、あなたはどんなにか心細かったでしょうね。ようやく、今日の日を迎えられるのは私もとてもうれしいわ」

 毬は時々、実言に鋭く視線を当てながら、礼には優しい眼差しを向けて話す。

「母上。耳の痛い話です。私だって、今から礼にはどうやって償おうかと考えているところですよ」

「あたり前ですよ。それに、礼は二度もあなたのために矢を受けているのですからね。これから、あなたが礼を疎かにするような様子があれば、私は許しませんよ」

「ははは。もちろんです。そのような態度があればいくらでも叱っていただきたい。しかし、これから私は礼を悲しませることはしませんよ、誓って」

「まあ、のろけね」

 毬は扇で口元を覆って、朗らかに笑った。

「そういえば、礼に母上の首飾りを貸してくださったのですね」

「ええ、あなたも覚えていたのね。この品。とても衣装に合っているわね。それは礼に譲るわ。大切にしてちょうだい」

 今も礼の胸にかかっている首飾りを横目で見やりながら二人は話している。

「その品は、父が母に贈ったものなんだよ。私が生まれた時に。……母上、直々に礼のところにお持ちいただいたようですね。 考えれば、私よりも先に妻の晴れの姿を見たのですね。私を差し置いてというのは、困りますね」

「あら。わかりましたの?」

 と言って、毬は礼をそっと見た。

「礼はなにも言っていませんよ。しかし、礼は嘘がつけないのです、様子を見ればわかりますよ」

 礼は実言に悟られていたとは知らず、今よりももっと小さくなった。

「礼は、私が都から少し離れた場所に閉じ込めてしまったから、都の習いに疎くて気後れしているところがあるのです。母上からいろいろと教えていただけると、心強いというものです。だから、母上が早くも礼に優しくしてくださるのは、嬉しいことですよ」

「お母様。私は世間知らずで至らぬことばかりですので、どうか、いろいろと教えてください」

 被せるように話す礼の言葉に夫人は何度も頷いた。

 この家はどこもかしこも煌びやかで、豪華で恐れを知らないほどの勢いがある。礼にとっては未知の世界だ。そこには美しい女たちが当主や息子たちの妻となり、女同士でも力を見せ合っている。侍女たちも美しく着飾って、束蕗原での質素な生活とは真逆な世界だ。

 礼は姉妹がおらず、兄弟は皆男だった。母親も十歳の時に亡くしてしまったので、女性同士の付き合いを知らないといってもいい。束蕗原の生活は、上流階級とはかけ離れており、このように身分や序列による付き合いに、圧倒されているところだ。こんなことを教えてくれるのは、従姉妹であり、親友であり、姉のように慕っていた朔だけであるが、その人を頼ることはできない。

 実言の母に教えを乞うしかない。

 実言と礼は毬の部屋を退出し、自分たちの部屋に戻ると、礼はやっと婚礼の衣装を脱ぐことができる。着慣れない正装に、また装飾の髪飾り、耳環、首飾りが重いが、まずは世間にも知らしめて夫となった実言の世話だった。

 この離れで縫とともに世話をしてくれる岩城家の侍女は澪という。澪に手伝ってもらいながら、礼は実言の正装を解いて普段の楽な格好にした。次は自分の番で、となりの部屋で縫と澪に手伝ってもらいながら一つ一つの装飾を外し、正装を解いて気楽な普段着になった。

 夜には豪華な食事が運ばれて、実言と礼、それに従者や侍女の近しい者たちで食事をした。昼間の宴では何も食べられなかった者たちだ。膳にはアワビや干した魚などの海のもの、青菜や果物、高く持った米などが大小の器に乗っている。礼は実言のとなりで酒を注いだりしながら、楽しく過ごした。

 夜になると隣の部屋に寝室が設えられた。几帳に囲まれた中に夜具が敷かれ、実言はすでに横になってくつろいでいた。遅れて、礼は几帳の端から中に入ると、すぐに実言は起き上がり、礼にそばに来るように呼んだ。実言のそばに正座すると、実言は意外なこと言った。

「礼。昔話でもしようか。私たちがまだ幼い頃の話だ」

 礼は、首を傾げて実言の次の言葉を待った。昔話とは、全く見当もつかないことだった。

「ある人とお前と私の話だよ」

「ある人とは誰なの?私と実言と?」

「……瀬矢様だよ」

 瀬矢。それは、礼をこよなく愛してくれた二番目の兄で、すでにこの世にはいない人である。

「瀬矢兄様?」

「そうだ。私は瀬矢様と一時を一緒に過ごしているんだよ」

「本当?」

「本当さ。お前は瀬矢様のことが大好きだろう。私も瀬矢様のことが好きだ」

 そして、実言は瀬矢とのことを語り始めた。

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