無知なオレと、戦争が終わった日

オリーブドラブ

無知なオレと、戦争が終わった日

 ――1945年、8月15日。日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は終わりを告げた。

 それから何十年という月日を経た今も、この日は終戦を迎えた記念日として語り継がれ――犠牲となった人々を悼む式典が、毎年のように執り行われている。


 昭和と平成が終わり、「令和」を迎えて久しいこの時代に於いても、その伝統に変化はない。

 当時を知る世代のほとんどが鬼籍に入っても、続いているくらいなのだ。きっとオレが死んだ後もずっと、変わらないのだろう。


「あづい……溶けそう……マジでどうなってんだ、今年の夏はァ……」


 そしてオレは、風に揺れる木の葉の音と自然豊かな景色に、申し訳程度の癒しを感じつつ――だるような陽射しの下を歩いていた。

 曽祖父ひいじいちゃんの墓を掃除するために、地元の墓地まで足を運ぶ。それ自体は毎年恒例なので慣れたものなのだが、問題はこの陽射しだ。

 視界の先は熱気で揺らめき、首に掛けているタオルはすでに、かなりの量の汗を吸っている。まだ何もしてないのに。


 近年は地球温暖化がさらに深刻化しているらしく、一昨年は祖父じいちゃんが熱中症で倒れて大騒ぎになっていた。いつまで経っても争いが絶えない人類に、御天道様もおかんむりなのかもな。


「……ん?」


 などと、暑さのあまり途方のないことまで考え始めていた頃。汗を拭いながら、曽祖父ちゃんの墓に辿り着いたオレの前では――見知らぬ1人の男性が、墓前で手を合わせていた。


 彫りの深い顔立ちと太い眉。無造作にうねる炎のような黒髪。見るからに暑苦しいその男性の口元には、僅かなほうれい線が窺える。年齢は……おおよそ30代くらい、だろうか。


「あの……誰っすか?」

「……む。御家族の方か、済まない。こちらの御仁には以前、世話になっていた時期があってな」


 隣から声を掛けてみると、彼は熱い意思を宿した眼差しでオレを射抜き、すっくと立ち上がった。


「世話って……あぁ。昔、曽祖父ちゃんが開いてたっていう剣術道場の門下生だった人?」

「うむ。まだ俺が『戦士』になる前、幼少の頃に……手ほどきを受けていたことがあってな。厳しくも暖かく、優しい先生だった」

「ふーん……」


 オレもそこそこ背は高い方、のはずなのだが……彼はそれ以上にデカい。彼の言う「戦士」ってのがどういう意味なのかは分からないが、筋骨逞しい身体つきを見るに、デスクワークで暮らしてる人って感じじゃないのは確かだ。


「ところで、君は先生の……」

「曽孫ですよ。オレは剣耀流つるぎあかる、あなたは?」

竜崎焔りゅうざきほむらだ。……不思議な話だが、君とは他人のような気がしないな。今こうして、初めて会ったばかりだというのに」

「そりゃ、おんなじ墓の前まで来ちゃってますからね。もう他人って感じじゃあないでしょ」

「ふふ、確かにそうかも知れんな」


 彼は軽く会釈すると、暮石の正面をオレに譲ってくれた。この炎天下すら霞むほどの暑苦しさを放ってるものだから、ついギョッとしてしまったけど……まぁ、悪い人ではなさそうだ。


「今年も来たぜ、曽祖父ちゃん。しかも今日は珍しく、お客さんまで……ん?」


 そして、墓前で手を合わせた途端。オレは、暮石がすっかり綺麗になっていることに気づく。

 ……どうやら、一足先に焔さんが掃除を進めてくれていたようだ。


「済みませんね、本来オレがやらなきゃならないことだったのに」

「いや、気にすることはない。俺が勝手にやっただけのことだ。……君も先生の手ほどきを?」

「ううん、曽祖父ちゃんはオレが産まれる前に亡くなりましてね。剣術なら、祖父ちゃんにちょっとだけ教わりましたけど……まぁ、役に立つほどのものじゃないっす」

「とてもそうは見えんがな。その逞しくも無駄のないしなやかな筋肉。整然たる背筋に、剣だこだらけの手。かなりの修練を積んできた証だ」

「げぇーっ。やめてくださいよ、そんな祖父ちゃんみたいな話。そういう話題になったら大抵、よし特訓するか! って流れに持っていかれちゃうんですから」

「ははは、なるほどな。失礼かも知れんが、血は争えんということか」


 それからは水を替えて花を添えたり、暮石周りの雑草を抜いたり……という一連の作業を、雑談を交えつつ焔さんと2人で続行した。

 2人掛かりでやると、作業も早く進んでしまうもので……本来の予定よりも遥かに早く、清掃は完了した。午前中に済ませられたおかげで、今日は陽射しが強くなる前に帰れそうだ。


「今日はありがとうございました、焔さん。曾祖父ちゃんも喜んでますよ、きっと」

「うむ、そう言って貰えると俺も嬉しい。……ところで先生は、君が産まれる前に亡くなられた……とのことだが。君は先生について、何か色々と聞いたことはあるのか?」

「へ? どうしたんですか、急に」

「恥ずかしい話だが、俺は門下生でありながら……あまりあの人のことを知らないままだった。まだ幼かった俺には、先生がどのような思いで剣術を託してくれていたのか、知る由もなかった」

「いや、そんな大袈裟な……」

「俺にとっては、大袈裟ではない。かつての先生のように、剣を振るい後進を育てる立場になって、ようやくその難しさを知った俺には……切実な問題だ」

「……そういうもの、ですか……」


 そして、掃除を終えて帰り始める頃。焔さんはどこか思いつめたような声色で、オレに問い掛けて来た。

 やたらガタイがいいなとは思っていたが……察するに、焔さんも剣術の先生をやっているらしい。それで教え子のことで悩んでる、ってところか。


 ……まぁ、確かに剣を扱うんだから「戦士」っちゃ「戦士」か。にしてもこの人、言い方がいちいちオーバーなんだよなぁ……。


「んー……まぁ、祖父ちゃんはよく曾祖父ちゃんの話をしてましたねぇ。いつも夜に1人で、悔し涙を流してた……って」

「悔し涙……先生が?」

「曾祖父ちゃんって、昔は日本海軍の士官だったらしいんですよ。で、戦時中にあちこち駆り出されて、なんとか生き残ったらしいんですけど……学生時代の親友を、特攻で失ったんだとか」

「……戦争、か」

「それで昔、その親友と一緒に学んだ剣を後世に残したいからって、剣術道場を開いてたらしいんです。まぁ結局、経営が苦しくなって道場は畳んじゃったんですけど」

「……」

「それから亡くなるまでずっと、曽祖父ちゃんは夜な夜な親友に謝って、悔やみ続けてたんですって。名前は……確か、飛羽隼一ひばしゅんいちって人だったかな」


 この話をすると、否が応でも湿っぽい空気になってしまうので、なるべく避けたかったのだが。あんな真剣な目で問われたら、さすがに無視できない。

 昔、祖父ちゃんから聞いた曽祖父ちゃんの話に、焔さんは感慨深げに耳を傾けている。静かな青空を仰ぐその佇まいは、さながら「歴戦の戦士・・」であるかのようだった。


「……貴重な話を聞けた。ありがとう、耀流君」

「いや……まぁ、役に立ったんなら別にいいんですけど」

「死を賭して国を守らんと、戦い抜いた英霊達の魂が、この手の剣には宿っている。それを知れただけで、俺はこれからも戦っていけるだろう」

「は、はぁ……」

「俺は必ず生き延びて、来年もここに来る。そしてその時こそ、先生の霊前に改めて誓おう。あなた方の剣と魂は確かに、この竜崎焔が継承している……と」

「……ま、何の話かはイマイチよく分かんないですけど。来年も来てくれるってんなら、曽祖父ちゃんは絶対喜んでくれますよ」


 いちいち台詞が仰々しい上に、やたらと暑苦しいし、たまに変な話も交えてくるけど。彼が凄くいい人だってことだけは、なんとなく分かる。余計に気温が上がりそうなオーラ出すのは勘弁して欲しいけども。


 ……オレも、曽祖父ちゃんのことは昔話でしか知らないから、どうにもピンとは来てないんだけど。曽祖父ちゃんも、飛羽さんって人も……たぶん本当は、戦いなんて好きじゃなかったんだろうな。


「じゃあ、オレんちこっちの道だから……あ、ついでに寄って行きます? ウチの祖父ちゃん、追悼式の中継観ろーってめっちゃうるさいですけど」

「いや、せっかくだが遠慮しておこう。実は先程、仲間達から緊急連絡が入ってな。急いで東京まで戻らねばならん」

「そうですか……なんだか大変そうですけど、身体には気をつけてくださいね。最近、熱中症ヤバいんですから」

「あぁ、肝に銘じておこう。君も、達者でな」


 きっと、それでも戦ったんだ。オレ達や、焔さん達を守って。そして、そのために生き続けて、死んでいった。


 そんな人達のために、出来ることなんてたかが知れてるけど。焔さんみたいな人を見てたら……まぁ、祈るくらいはしてもいいよなって、思うよ。


 この国が、これからもずっと……平和でありますように、ってさ。


 ◇


「しかし耀流や、珍しいこともあるもんじゃのう」

「……何がだよ」

「去年まではイヤイヤ行ってたお前が、妙にやる気満々で掃除しに行ってたことじゃよ。ようやく御先祖様の有り難みが分かったか」

「別に、そんなんじゃねーし。……ただちょっと嫌な夢見て、気分が悪かったってだけ」

「嫌な夢……戦争の夢か?」

「……かなぁ。なんかさ、オレが焼け焦げた街の中にいてさ……真っ黒に焼け爛れた人達が、一面にぶわぁーって広がっててさ。匂いとかも、やたらリアルでさ。気がついたら、震えながら手を合わせてた」

「そうか……。それはきっと、曽祖父ちゃんが教えに来てくれたんじゃろうよ。なにせ、お盆じゃからな」


「……なぁ、祖父ちゃん」

「うん?」

「平和、続くといいな」

「……おぉ、そうじゃな」

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