初雪の降る校舎裏で
音平稲荷
プロローグ
あれはしんしんと雪の降る、体の芯まで冷えてしまいそうな恐ろしく寒い日のことであったか―――
一二月一五日。
決して忘れない、大切な日だ。
僕はその日、告白された。
校舎の裏。げた箱に一つのピンクの封筒に入った手紙が入っていた。
手紙には線の細い女子の字で、僕の名前と『放課後に校舎裏に来てください』と書かれていただけのものだった。
そして終わりのSHRが終わり教師が帰りの挨拶をすると同時に、僕はカバンをひっつかみ、机を下げるのも忘れて走ってきたのだ。
息を切らして校舎の裏に着くと、僕の目には一人の女子生徒が映った。
長い髪は黒色、身長は一四〇半ばほどであろうか。僕より顔一つ以上小さい可愛らしい女子だった。
僕は白い息を吐きながら、彼女へ近づいて行った。
走ったからだろうか、緊張しているからだろうか、体が火照っていたので、僕はまったく寒さを感じなかった。
代わりと言っては何だが、心臓の振動の激しさが手を胸に触れずともわかり、足もがくがくに震えていたことを覚えている。
彼女も僕に気付き、少し震えた。
そして、小さな肩を揺らし、僕にこう言った。
『私と、付き合ってくださいっ!』
時が止まったかのように思われた。
初めての、告白。
異性から、始めて、『好き』と言われた。
自分のことを、人生を一時期かもしれないが、それでも隣に寄り添って歩くパートナーに認めてくれた。
立ちつくした。
時間間隔が分からなくなった。
自分が今何をしているのか、どこに立っているのか、一瞬、まったくわからなくなった。
だが、はっきりとこう言ったのを覚えている。
『はい、よろこんで』と。
その日。
雪の降る日。
僕に、彼女できた。
彼女の名は、初雪香恋(はつゆき かれん)といった。少し遅い初雪の日に出会った、初雪香恋。僕達の出会いは、まるで小説のようだった。出来過ぎていたともいえる。
そしてそれから、僕たちは色々なことをした。
まず、デートに行った。場所は様々。時に遊園地、時に港、そして近くの公園にまでも、デートに行った。
果たして、近くの公園に二人で出かけることをデートと言っていいのかわからなかったが、それでも、僕たちは十分だった。
彼女は笑っていた。その、美し過ぎる、笑顔が、僕は好きになった。それを見ているだけで僕の心は満たされ、また癒されもした。
他にも、彼女の家に遊びに行ったり、彼女が僕の家に遊びに来たりした。
彼女のお母さんはとても変わった人で、姉、と言った方が正しいのではないか、と言うような風貌な、若い少しお茶目なお母さんだった。僕のこともまるで実の子供のようにかわいがってくれた。
四月。桜の校門の前には綺麗な桜の回廊が出来上がっており、僕は彼女と共にこの美しい景色を見ることをできるのがとてもうれしかった。桜吹雪が僕達を祝福してくれているような気がした。
そして、春休み最後の日だっただろうか。
僕は彼女の家によばれた。その日、彼女の母親も父親もおらず、僕と彼女一人きりだった。
そして、共に寝た。まだ僕たちは大人になっていなかったけれど、今から考えれば、その背徳感がよかったんだろう。その《行為》自体は知らなくても、僕達は同じ布団で一緒に寄り添って寝るだけで十分だった。
直接触れ合った彼女の肌からは、優しい温もりが感じられた。
彼女の鼓動、体温、息。すべてが一体になって、感じる。
触ったら壊れそう。
でも、そこにいると安心できたのだ。
これらが、僕達が出会ってからの、最高の日々だった。
毎日が楽しくて、日を追うごとに彼女のことを好きになっていく感覚。それがたまらなかった。
だが、それは、永遠に続くことはなかった。
四月三〇日。
桜も散りきった、少し暑い日のことだった。
その時、僕達は近くの高校に通う数名に絡まれた。
理由は単純。僕だ。
その頃の僕は、ある分野において、かなり秀でた能力を持っており、直前に受けた能力の昇格試験では、史上最年少で昇格を果たした。
それが、妬ましかったのだろう。
相手は昇格試験で最後に戦った相手だった。
彼らは僕に勝負をして来た。仕方なく僕も応じた。
相手の人数は五人。たいして、こちらは二人だが、香恋は戦力に入れな方がよいと思った。
勝負はすぐには決まらなかった。
僕は当時、かなりの強さであったが、流石に五人を相手にするのは至難の技だった。
そうしているうちに、香恋が一撃を受けた。重くはなかった。だが、一撃を受けたことに腹が立ったのだ。
僕は自制を忘れ、彼らと戦った。叫び、走る、相手をたたく。数分で勝負がつき、彼らは逃げ帰った。
僕は彼女の方を見た。
『もう、大丈夫だよ』
言った。
彼女は、僕に微笑み返した。
『うん、ありがとう』
そして、
血を吐いて、倒れた。
彼女はすぐに病院に運ばれた。そして、ベッドに載せられて治療室へ。そこの扉の上では手術中、というランプが煌々と輝いていた。
僕には原因が分からなかった。たかが高校生の流れの一撃を受けたくらいで、倒れるはずがない。
何故?
何故なんだ?
そう自問しているうちに、手術中のランプが消えた。
医師が中から出てきた。
その医師は、
首を振っていた。
僕は医師の向こう側を見た。
彼女が寝ていた。
呼吸マスクをつけられ、手にも複雑に管をつけられた彼女を。
まるで眠っているかのような、安らかな顔。その表情は、数時間前まで見ていた彼女の顔となんら変わりはない。
しかし、
彼女は息をしていなかった。
信じたくなかった。でも、手術室から出てきた彼女は、胸が上下に動いていなかった。
心拍を表す線が、一直線のまま動いていなかった。
もう、眼を開かなかった。
初雪香恋。享年一四。
彼女は短い生涯を終えた。
僕は泣いた。叫んだ。
涙が枯れるほどに、泣き、のどが痛くなるほど、叫んだ。
医者に止められるまで手当たり次第に殴り、蹴った。ものに当たらなければ、とてもではないが意識を保ってられる自信がなかった。
しばらくして、彼女の両親が入って来た。
そして、教えてくれた。
彼女が、死んだ理由を。
もうすでに、一年前に、余命一年と言われ、もうその生涯を閉じることが分かっていた理由を。
彼女は、初雪香恋は。
悪霊に、憑りつかれていたのだ。
その出来事は、僕の心を壊した。
めったに人を信じず、関係を作ろうとせず、まともに青春を生きることもなくなった。
自らを殻に閉じ込めた。
僕は―――いや。
俺は、その日、大切なものを、失った。
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