第23話 黒曜石の鏡
その石柱の間を十メートルほど進むと、滑らかな岩が無数のアーチを大小交差させているところに突き当たった。
おばあちゃんがこんなとこ、よく、通ったもんだ。代々、小柄な人ばっかりだったんかなぁ。
階段を降り切ると端末の充電を確認した。
満タン、ホッ。でも電波は届いてない。コワ。
開けるとそこは、大型の石柱が無数に連なり、神殿そのものだった。人工かと思えるけれども確かに
武道場くらい?
奥行きも武道場くらいで、また階段を降りた。
階段は人工。少なくとも、おばあちゃんは修理とかするタイプじゃない。メンテナンス・フリー? それはありえない。
松明を掲げ、左右を確かめる。ここも鍾乳洞で、松明の明かりでは天井が見えない。両壁は棚田状になっている。棚田サイズからお皿サイズまで、それぞれが盆のように水を透明なまま、湛える。真ん中が谷のように通路だ。
両側から水が溢れ出すことはあるんかな? そしたら通れない。
八十歳のおばあちゃんが一人で歩いたんだからアタシだって。あのおばあちゃんが。主語抜きでお喋り続けて、いつの間にかおばあちゃんの頭の中では主語が別の人に代わってる、そんなことは日常茶飯事のおばあちゃんが……
この空間は体育館ほど。
突き当りの岩陰に、更に下に降りる階段が見えた。
今度は天井、二メートルもない。
炎を低く持つと、通路の両側が水面になっているのがわかった。その水は存在していないかのように澄んで、中に
さっき渡った地上の池と同じ形。橋も。
急に天井が高くなった。巨大な、歪んだ真珠のような空間は人工なのか自然のものなのか分からなくなっていく。酸素は十分にあるどころか、深呼吸したくなるほど清々しい空気が満ちている。
通路の幅は六十センチ、昔の二尺のまま続く。誰が作った?
両側の下に広がる水は益々、深い。水の存在がわからないほど透明になっていく。
石筍の水中花が生きているように美しい。十メートル近く向こうにある幾つかは背の高いヒマワリのように見える。手前に咲き誇る様々な形の水中石筍の奥に、確かに、美しい何かが見え隠れしている。
見とれるぅ。
う?
松明をみなもにかざし、ヒマワリのようにすっくと立つ一つを凝視した。
マネキンはこんな所に無いでしょ?
水はあまりにも透き通っているから、確かめるために歩いて降りていけそうな気がする。他の、ヒマワリに見えた石筍に視線を移した。
女? 男?
松明の乏しい光ではベージュか黄色、白、黒の濃淡しか識別できない。
あっちのは子供やわ。幼児も。ホントに石筍?
松明が消えた。ギョッとしてポケットの端末を探った。カバーを開いても画面は真っ暗。電源ボタンを押してもつかない。
――パニックになりそう!
落ち着けアタシ。
戻ればいい――足を踏み外すと水に落ちる、誰も助けに来れない!
落ち着け!
小学校で教えられたように右足裏を地面につけたまま後ろに下げ、回れ右、をした。
まさかマワレミギがサバイバルに役立つなんて。
墨を流したような闇を、すり足のまま、割くように進む。伸ばした手が何かに当たる。
人間がいる!
ギョッとして飛んだ次の瞬間、着地するところがない、体が落ちる、左腕を掴まれ体は宙に浮いた。
「誰? つけてた? あの巫女さんが入れたのね!」瞬間、浮いた体が左に回転させられ、右足が地を踏みしめた。あの男?
恐怖が助けられた感謝を凌駕する。左腕が離された。由希は咄嗟に消えた松明を見えない顔に振り上げた。その手首が掴まれる。
「あなた様の半分です」凛々しい声が発せられた。あの男の声じゃない。「あなた様のお祖母様が、わたくしたちを解き放ってくれました」
「え? あなたサマ? 半分?」由希は目を凝らそうとした。見えない。「どうやってここに?」
「ここは愛する人が生まれた村。育ったのは、わたくしの村。わたくしが殺された後、その人は連れ去られました」発声とともに森の香りが漂う。
「殺された?」
「戦いがありました」
ニニギが言った征服?
「わたくしとの間に生まれた娘が、ここに連れてこられました。あなた様の始まりです」
「火守りの一代目? では、私に」アタシに、といった方がいいのか、少し迷った。「ここで火守りをさせるための監視をしているのね」
「いいえ。わたくしたちを解き放ってくださった、そのお返しに、あなた様も自由になるお手伝いをします」
「何を知ってるの? どこまで知ってるの?」
「わたくしの娘が歩けるようになったころのことです。ニニギは、鏡と呼ばれる、火の山が産んだ平らな石を持たせ、この洞穴に隠すように、と娘に申し渡しました。わたくしの幼い娘が暗い地底で泣く声を聞き、火の山から、地を割いて、わたくしはここまで来たのです。ニニギにはそのころ世継ぎが生まれ、わたくしの娘は邪魔になっていました」
「邪魔? あの男は支配を永続させたがってた。そのために火守りが必要だと」
「三千年前、彼もまだ経験がなく、理解をしていなかった。どんな世界を造っていけるのか。わたくしが娘を地上に送り返したのは純粋な愛情からです。火守りにさせるためではなかった」
「では、娘さんは成長して、地上と地下を行き来しながら火を守り、子供を産んで、その子が火を守り」
「そうです。あの子には選択肢がなかった。時が経つとともに、わたくしと同じ魂が増え、地底を割って行き来するようになりました。力は溜まり、魂が形を持つように、数千年かけて、水の中で蘇りました」
「あの?」マネキンのような石筍があった方を見た。声に向かい手を伸ばす。
もう、何も触れない。
「私を自由に、ってどういう風に?」
沈黙が暗闇に溶ける。誰?
誰? あの石筍がやっぱり人間で、助けに来た? まさか。
この奥にあるのは鏡? 火じゃないの?
平均台の上を歩くように、スニーカーを通し両足の指、外側四本を通路のエッジに沿わせて前に行く。完全な暗闇で、広さがまるでわからない。
しかしそのうち漆黒の中に、どす黒い火の玉が幾つも浮かんでいるのが見えた。赤黒い小さな、消えようとしている炎の名残。由希は暗闇の中、耳と肌で観察した。目が慣れ、火の玉が照らす空間が、おぼろげに浮かんで来た。
一歩一歩、慎重に進んだ。両手の先に固い、薄いものが触れる。それを持ち上げようとすると、ずっしりと重い。
黒曜石の鏡だ。まだ銅鏡を作る技術が無かった時代、石を磨いて姿を映してたらしい。地球規模でも、産地は限られる、火山。マグマが水中とかの特殊な条件下で噴出するとできる。大陸からの渡来物なんだろうけど、どこで採れてどこで加工されたんだろ。
鏡を両手で持ち上げると人魂は消えた。しかし鏡の中に今にも消えそうな赤黒い玉が一つ、見える。後ろを振り返っても何もない。
その鏡に息を吹きかけてみた。人魂はパチパチと小さな音をたてた。明るい黄色い部分が現れる。
暗闇の中にある炎の夢をよく見ていた。明け方に見る夢だ。
あれは松明じゃなかった、これだ……明け方に見る夢は正夢、というのは迷信だと思ってた。
幻聴が聞こえ始めた。微かだけれども、甘い囁き、ため息、押し殺した笑い声、陶酔に落ちていく声、怒鳴り声、そして絶叫。彼らの全身の筋肉繊維が引き千切られている。少し間をおいて、数えきれない断末魔の叫びが遠くに流れた。様々な言語が通り過ぎる。
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