フィクションの中にノンフィクションを落とし込むのはなし

 わたしがお話を書いているときに常に気をつけていること。

 それはリアリティです。

 いや出来てるかどうかは知らねえよ?

 それは読んでくださった方にしか分からない。

 読んでくださった方が、まるで自分がそれに触れているかのような錯覚をしてくださったら「よっしゃ!」です。

 なんでかっちゅうと、別にそれが小説を書く上で大事とか、そういうことではなくて、そこを自分の持ち味にしたいからです。

 だから、これが正しいってはなしではなくて、わたしの書き方のはなしね。


 わたしが創作をする上で目指したいのは、彼らがまるで実在しているかと思えるくらい、自分に近い存在であること。

 自分の周りにはいなくても、ひょっとしたら隣町くらいには実際にこんな人たちいるんじゃないか、みたいな、それくらいの距離感で生かしてあげられることです。

 んで、どこでそれをするかというと、五感。

 これに限る。

 どんな突拍子もない設定でどんなストーリーであっても、主人公が人間でありさえすれば、五感に大した差はないはずです。

 例えば炬燵にちょっとだけ足を潜り込ませたときの、冷えた爪先にじんわり伝わる暖かさ。

 例えば一緒にいすぎて忘れていた好きな人の身体の匂い。

 口の中と喉を刺激する強炭酸。

 車とぶつかる瞬間の、全てがスローモーションで進むような研ぎ澄まされた感覚。

 蝉が鳴き喚く声。

 誰もが経験したことがあるような感覚を、突拍子もないものの中に潜り込ませる。

 そうすることで、主人公が経験しているものを、過去の自分の経験の中から持ってきてもらって、同調してもらおうって作戦です。

 知ってる感覚なら、そんなに具体的な描写も必要ないしね。

 ストーリーはフィクションです。

 主人公は実在しません。

 でも読んでくださる方に与える感覚はノンフィクションであってほしい。

 

 がんばって読まなければ意味が分からないようなものは、できるだけなくしたいです。

 そのためにあとは、気取らない表現を意識してみたりもします。

 文章を書こう、小説を書こう、っていう感じではなくて、目の前にひとり、わたしが書くのを待っていてくれる人がいて、その人に平易に伝わるように。

 読んでくださったその人が、読みやすいな、読んでいて楽だなって、思ってくださるように、少し自分に近いところで表現します。

 だからかなあ、一人称視点が多いです。

 前に一度だけ、群像劇みたいにして書いたことがあるんだけど、ちゃんと視点が誰なのかを明確にできているのかが不安でちょっと大変でした。

 お褒めいただいていたので、大丈夫だったと思いたいんだけど。

 いや楽しかったんだけどね。

 楽しかったし、あれはあのスタイルじゃないと書けないものだったからそれでいいんだけど、できればわたしは避けたいなって思いました。

 苦手……。

 いやまあ、必要ならやるけどさ。


 ああ、あとなんだろ。

 大きく言ったらこれだけかなあ。

 あとは、自分の身の回りのものをよく観察してみる。

 旦那の脚の毛とか。笑

 雨が降っている音をゆっくり聴いてみたり、町を歩く人たちを見たりしています。

 そうやって感覚を研ぎ澄まして、必要なところに必要なものを持ってくる。

 そんな感じかなあ。


 あ、あとね、人を否定するのをやめる!

 これ大事だった!

 どんな人でもいつかネタにつかう!

 ネタをくれてありがとう変な人!

 わたしはそんな感じでやってまーす。

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