5-3

 とっぷりと日が暮れた夜の街並みを、パトカーが走っていく。

 回転灯も灯さず静かに走行していたパトカーは、ある場所のそばにやってくると徐行し、目的の場所の前で停車する。


 そこは、五階建てほどのビルがまだの姿で建つ建築現場だった。

 枠組みが造られるだけで終わっているこの現場には重機もなく、工事が進んでいる様子は見られなかった。


 数か月間同じ姿のまま放置されているビルの敷地に、仮囲いの中ほどに設置されたアコーディオン門扉もんぴを開けて、二人組の警察官が入って来る。

 明かりがなく薄闇の建築現場に、ちらちらと懐中電灯の光が差す。


 その途端、二人の警察官は声を漏らした。そしてすぐに無線に喋りかける。


「警視114から本部へ。名執なとり捜査官に連絡を。――対象を“発見”」


 警察官たちの目の前に広がったのは、地面がくぼみ、ブルーシートがかけられた建材の一部が、そこだけしまったかのように失われている光景だった。

 本部に連絡した警察官たちは、続いて建築現場を光で照らす。

 異様な光景ながら、その“異様さ”を無視してしまえば整然とした建築現場内を、光が往復する。

 と、光の動きが止まる。その一部を失ったことにより異様さを放つ、ブルーシートがかけられた建材の辺りだ。


 警察官たちは懐中電灯を持つのとは反対の手で、静かに警棒を引き抜く。

 片方の警察官が恐る恐るブルーシートの方へ近づいていく。相棒は息を呑んでその背中を見守った。

 警察官たちが気になったのは、ブルーシートをかけられた建材ではない。


 建材の“かげ”に隠れる、“何か”に関心をかれたのだ――。


 意を決した警察官は、一息に回り込んで、“それ”を照らす――。


 そこにあったのは――――建材にもたれて眠る“一人の男”だった。

 しかし警察官も、その男がことをすぐに理解する。

 男は強い光を顔に当てられても微動びどうだにしない――。

 警察官は今一度無線を取る。


「警視114から本部へ。“被疑者発見”! いや訂正する――“被疑者の肉体を発見”!」



 ※ ※ ※



 杉並区のとあるマンションの一室。

 帰宅して窮屈きゅうくつなスーツから部屋着に着替えた女性は、歌を口遊くちずさみながらキッチンに立っていた。

 カウンターキッチンに立つ女性の背後には、ちいさなダイニングが広がる。

 ダイニングにちょこんと置かれたキャビネットの上では、金魚が水槽の中で悠々と泳いでいた。


 女性は冷蔵庫から卵をひとつ取り出す。

 コンロの上ではすでにフライパンが十分に温まって、卵を入れられる時を今か今かと待っていた。


 女性がフライパンのふちで卵を叩こうとしたまさにその時、部屋にチャイムの音が鳴り響く。


 女性は一旦卵を置くと、火を止めて小走りでインターホンに駆けていく。

 「はい?」とインターホンに出たものの、返事はない。

 女性は『玄関』のランプが光っているのを見て、玄関に駆け寄っていく。

 そして自分の靴を踏みつけて、身体からだを乗り出しドアスコープを覗く。


 ――しかし、そこに人影などはなかった。


 何処どこか気味の悪さを感じるものの、女性は首をひねりながらキッチンへと帰っていった。

 キッチンに帰ると女性はまたコンロに火を点け、今度こそ卵をフライパンの縁に叩きつける。

 少しこぼれた白身を引きながら、女性はフライパンの真上で卵を開く――。


 ジュウと音が立つ。


 悲鳴の理由は――フライパンの上に落ちたのが、黄身と白身だけではなく――何故かそこに、“金魚”が含まれていたからだ。

 戦慄おののく女性の背後では、“空”の水槽の中で水が右へ左へとただ揺れていた。


 眼に涙を浮かべた女性は、目の前で焼けるペットの金魚を救おうと、震える手でなんとかコンロの火を消そうとする――。

 その背後に、不気味な“人影”が立っていることに気が付かないまま――。


 音もなく、静かにその人影は女性へと近づいていく――。



 ――突如、大音量でサイレンが響く。



 その音に反射的に女性が振り向く――すると女性が見たのは、ホッケーマスクのようながらんどうで真っ黒な“眼”を持った誰か――いや“何か”だった。女性の悲鳴が再び響く。


 リヴァイヴ事件に関わったことのない女性には、それがリヴァイヴ能力で創り出した“器”であることなど、分りもしなかった。――もっとも、今はその関わりのなかったものの“当事者”になってしまっているが――。


 その細身の“器”の人物は、今戸惑っていた。

 女性はすっかり腰の力が抜け、キッチンにへたり込んでしまっている。

 “器”の人物はサイレンの音が聞こえてくる窓側を見て、今度はカウンター越しに頭の天辺しか見えない女性を見る。

 今正にその人物は比べていた。――どちらをを。

 外のサイレンの音が増える。


 ホッケーマスクのような顔をしたその人物は、「クソッ!!」と一度吐き捨ててから、玄関へと駆けていく。

 女性は恐怖のあまり声も出ず、自分の横をその人物が通り過ぎていった後も、ただただ涙を流し嗚咽することしか出来なかった。

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