第一話『子連れの“生還者”1』

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 午後の空気はどこか騒がしく、くつろぎの中にも慌ただしさが潜んでいる。

 オープンテラスのあるカフェは満席とはいかないが、賑やかさをつくるには十分な数で埋まっていた。

 天気の良い昼間とあって、オフィスのただなかにある此処ここは制服姿の客で盛況だった。


 ただそこに、少し違和感を感じてしまう客がいた。

 いや、少しではないかも知れない。

 年の離れた男女――というよりも、親子と見えるほど年の違う二人。

 男が年上で、革製の明るい茶色をしたライダースジャケットを着ている。歳は三十歳ほど。

 一方女は――女というのもはばかられる年齢で、まだ十歳か十一歳といったほど。艶やかな髪はロングヘアーで、フリフリの服がまるで物語の中のお嬢様か、そういったもののコスプレを思わせる。

 見た目と組み合わせだけで二人はこの店で十分異彩を放っていたが、それをさらに際立たせているのが、男の周りに高く積まれた皿の山々だ。

 まるでひとりで大食い大会でも開催しているように、それは丸テーブルの上で存在感を主張していた。周りの視線も自然と集まるというものだ。

 しかし二人はそんな視線もまったく気にする素振りがなく、少女はご機嫌にフルーツパフェをぱくついている。

 男はコーヒーをすすりながら、スマホをいじっていた。

 その茶色がかった双眸そうぼうはじっと画面の中の文字を追っている。


「――近いな。次はこれがいいか」


 スマホを見詰める男は、そう呟いて更に画面をスクロールする。

 スワイプされて流れていく画面を一度止め、そろそろと通り過ぎかけた画面に戻る。

 表示されたのはひとつの画像。

 そこには、ような“黒い染み”がついた、何処どこかのビルのものと思われる壁が写っていた。

 写っているのはただの汚れた壁であるが、その写真には物言わぬ迫力のようなものがあった。


 まるで、の無念が滲み出しているように。


 男は目を細める。そして更に詳しく情報を読み込んでいく。

 男はしばし沈黙したままそれを熟読し、ぽつりと呟く。


「まだ正式には殺人事件じゃないのか……。痕跡だけで、はなし、か……」


 このお洒落なカフェには到底似つかわしくないその言葉も、男が注目を集めている割に、周囲の雑談に紛れて誰も気にすることもない。周りは男の独り言になど興味はなく、男が平らげた皿の数を数えるのに夢中のようだった。

 少女は少女で、今は目下パフェ以外には一切の神経を使っていないようだった。

 男は文章を追っていく。記述された複数の日付。


「これが“四件目”か。最初が二か月前、次が一か月前、その次が半月前……。そしてこれが六日前か……」


 男の言葉は無意識に出てしまっているのか、完全に自分だけの世界で独り言を呟いていた。


「――エスカレートしてるな。ならそろそろ我慢も限界か」


 そう言うと男は納得したように見ていたアプリを閉じ、スマホをしまう。

 そして残っていたコーヒーを一息に飲み込んだ。

 一方少女はまだ執念深くグラスの底に溶けたアイスクリームをすくっていた。


「さあ、そろそろ行こうか、なごみ」

「うぅーんっ、ちょっと待って!」


 なごみと呼ばれた少女はグラスを逆さまに上げて、じっと口に溶けたアイスが落ちてくるのを待つ。

 なんとも間延びした時間のあと、満足した様子のなごみが席を立つ。


「さあ、いこう! どこにいくのか知らないけれど!」


 充電満タン意気揚々といった感じのなごみは、自分のトランクケースを引っ掴むと威勢よく行進するように店を出ていく。

 進撃のなごみのその後ろでは、連れの男が席で会計をしていた。

 とてもカフェでランチをしただけとは思えない額を渡してから、男もトランクケースを掴んで席を立つ。


 大食いの客が帰ったあとはさあ大変、従業員には大仕事が残った。

 積み上げられた皿に当惑している従業員の女の子は、なんとか持てそうな量の皿をお盆に載せて、最後にコーヒーカップを手に取る。

 しかしお盆の抱えかたが良くなかったのか、それとも大量の皿に気を取られたのが悪かったのか、女の子はそのコーヒーカップを手から滑らしてしまった。


 一瞬にして女の子の頭の中に店長から弁償代を聞かされる光景が浮かぶ。

 惨劇が予想される中、コーヒーカップが落ちていくのもスローに感じられた。

 カップは重力に吸い寄せられ、女の子の中ではカウントダウンが始まる。

 さあ、間もなくオーナーこだわりのコンクリート打ちっぱなしの床に、スイスだかどっかの陶器の花が盛大に咲くぞ――!(せめて床が木材だったらよかったのに!)。


 観念した女の子が見る前で、コーヒーカップは自然の法則通り床に落ち――


「へ?」


 思い描いていたのとは違う現実が目の前に転がっていた。

 女の子はお盆をテーブルの上に置いて、恐る恐るコーヒーカップを拾い上げる。

 コーヒーカップにはヒビひとつ入ってはいなかった。女の子は鑑定団のようにしげしげとカップを眺める。

 こんなこともあるものか。コンクリートに陶器が叩きつけられても割れないなんてことが。

 大きな音さえ立たなかったので、周りの客はこの不思議な出来事に気付いてすらいない。


 首をかしげる女の子を、店を出ようとしていた大食いの男だけが、横目でちらりと見ていた。

 「令くんはやくー」と呼ばれて、間もなく店を後にする。

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