第3話 赤いドレスの行方
「初めてお目にかかります。私はランスロット=アークライト。ユアン王子から命を受け、あなた様の護衛につかせていただくこととなりました」
目の前で礼儀正しく跪き深々と頭垂れる男を見て、エリサの表情筋がようやく仕事をした。
もちろん笑んだのではない。予想外の展開にようやく理解が追いつき思わず引きつっただけのことである。
だが隣でそれを見ていたローズのこれ見よがしな咳払いにより、男が顔を上げるころにはエリサの表情も元の真顔に戻っていた。
「初めましてランスロット様。お噂はかねがね聞き及んでおります。先の剣技大会でも優勝されていらっしゃいましたね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。まさか覚えていただけているとは」
「……私も観覧しておりましたので」
というよりその大会の表彰式でトロフィーを手渡したのが他ならぬ自分である。
これは相当公務にやる気がないと思われているか、相当こちらに興味がないかのどちらかだ。
まあ正直なところどちらでも構わないのだが。
「ところでユアン兄……王子からは何も伺っていないのですが、一体どういう経緯であなたのような素晴らしい方が私などの護衛につくことになったのでしょう」
「どういう経緯で、とはまた」
くくっという小さな音はもしかして笑い声だったのだろうか。
だが彼の表情はあまり変わっていない。どうやらこの騎士様は自分と同じで表情筋の働きが鈍いようだ。凛々しいというより冷たいと表せる真顔にはどうにも見覚えがある。
(私の悪い噂を鵜呑みにして警戒されているだけかもしれないけど)
心当たりがあり過ぎるのが難点だ。とにかく気を取り直してエリサは無言で彼に話の続きを促した。
「経緯も何も、あなたがユアン王子に頼んだのでしょう。ロードウェル王国のパーティーへ行きたいと」
「は?」
「え?」
「あ、いえ……ええ、そうです」
思わず素の声が出てしまったではないか。
エリサは慌てて口元の筋肉を持ち上げ笑みらしき表情を作った。
視界の端に映るメイドがやれやれという仕草をしているのが見えたが今それを指摘している余裕はない。
(ユアン兄さま!私そんなこと言ってません!)
ローズを通して兄に伝えたのは「いらなくなった赤いドレスをロードウェル王国のバイヤーが高値で買ってくれた。近々ロードウェル王国でパーティーがあるのかもしれない。私もそろそろパーティーへ行きたい」という内容だ。
ドレスのことを伝えつつ、次のパーティー参加を意思表示する一石二鳥の作戦であったのだが、何もその渦中に飛び込んでいきたいとは言っていない。
というよりパーティーに行きたいのはただドレスを作りたいがための一心であり、結婚相手を探したりましてや面倒ごとに関わりたいわけではないのだ、断じて。
「ご存知の通り、ロードウェル王国は現在内紛中。王城周辺はまだ警備が効いているとのことですが、地方ではかなり争いが酷くなっているとか。貴女は本当にそんなところのパーティーへ行きたいのですか?」
ふざけるな、行きたいわけがないだろう、という言葉は何とか喉元で食い止めた。
兄のユアンはエリサの話に悪意なく耳を傾けてくれる大切な身内、そして何よりエリサにパーティーのあっせんをしてくれる大変貴重な人物である。各所から煙たがられているエリサはそうそうパーティーに呼ばれることはない。
この充実した服飾ライフを送れているのは、そう、王子たる兄のおかげなのだ。
「……そうです」
絞り出すような声になってしまったが仕方がない。こちとら王女であって女優ではない。
ランスロットは多少怪訝な表情を浮かべたものの、そこは流石に王国軍人、すぐに元の顔に戻ると頭を下げた。
「かしこまりました。王女がそうおっしゃられるのでしたら、私はこの命に代えてもあなたをお守り致します」
「……ええ、期待しています」
そんな血まみれのパーティー、遠慮したい。
大きくため息をつきたい気持ちを何とか押さえ、エリサは決意した。そのパーティーは汚れてもいい服で行こう、と。
「身から出た錆とはまさにこのことですね」
そういうわけでランスロットが退室するのを見送ったメイドの開口一番がこれであった。
「ローズ……言っておくけど、あなたも同行させますからね……」
「嫌ですよそんな危ないところ。私は一介のメイドなんですから」
「私だって一介の王女なんですから!嫌ですよ!」
「パーティーに行きたいなんて言うから」
言った。それは確かに言った。
けれどそこのパーティーに行きたいとは言っていない!
「ローズ、まさかと思うけど、兄さまに変なこと吹き込んでないでしょうね……」
「私はちゃんとエリサ様に言われた通り言いましたよ。だから今回のことは全部ユアン王子がお決めになったことです」
ローズの言葉でエリサは今まで我慢していたため息を大きく吐き出した。
「そうなのよね……。これはユアン兄さまの決定。となればそこに何も意図がないはずがない」
賢王として名高いレイフォード現王をも凌ぐと言われる後継ぎ、それがユアンなのだ。
エリサもそのことは分かっている。エリサが彼を慕うのはただ身内で優しくしてくれるからということだけではない。彼が王子として信頼に足る人物だからである。
「今回のこと、エリサ様はどうお考えなんです?」
「おそらく内偵調査がしたいのでしょう。私はただのカムフラージュ。本命はランスロット。彼をあの国に送り込んで内情を探らせたい。ただ内紛で警備も厳しくなっている中送り込むのは至難の業。どうするのかとは思っていたけれど……まさか自分がダシにされるとは思わなかったわ……」
「エリサ様でとれるダシは渋そうですね。私はいりません」
ローズの軽口には軽い睨みで対応しておいた。
もちろんこのメイドはその程度のことを気にしたりはしない。主人としては多少気にしてほしい所であるが。
「というかそもそもの話をまだ聞いていませんでしたが、今回のドレスの件から何が分かったんですか?」
「ああ、そういえば探ってもらっただけでまだ話をしていなかったわね」
エリサはブロンドの髪を背に払いながら足を組んだ。足全体を覆っていた長いスカートから白い足首が覗く。そしてそのまま左手を顎に添え思案のポーズを取った。
淑女の仕草ではないのは分かっているが、これがエリサの定番思考スタイルである。そして幸いにも今この部屋でそれを見咎める者はいなかった。
「我がレイフォード王国は南に港を持ち、北から東にかけてセイア王国、西にハイラム帝国が隣接している。ここまではいいわよね」
もちろんとばかりにローズが頷く。地図を見れば一目瞭然、常識的知識である。
「レイフォード王国は歴史的に見てセイア王国とは長年和平を保っているけれど、ハイラム帝国とは仲が悪い……あちらが常にこちらの領土を狙っている」
「そうですね」
「では件のロードウェル王国。ロードウェルは我が王国から見てさらに北、セイア王国の北西に隣接し、南の一部はハイラム帝国と隣接している。ロードウェルはセイア王国と協定を結んでいるから、間接的にはこちら寄りね。逆にハイラム帝国にはやはり領土を狙われているから仲が良くない」
「そうですね……そういえばロードウェル王国の内乱が始まったのは、たしかハイラムとの境界付近だったのでは?」
「そう。ハイラムで支持されている宗教がロードウェルに流入してきたのがきっかけと言われている。村同士での宗教対立と言ってしまえば簡単だけど、それが拡大して今に至ってる……ねえ、何かおかしいと思わない?」
顎の先をエリサの長い人差し指がトントンとリズミカルに叩く。
おそらく本人は気づいていないのであろうその仕草を眺めながら、ローズは主人の言葉の続きを待った。
「村同士の小競り合いがどうしてここまで拡大したのか。多分、一方の村がハイラムに支持されていたのよ。ハイラムから武器あるいは戦闘員を与えられたその村は次々と周辺の村を取り込んでいって、紛争の規模が拡大していく」
「それって……」
「そう。宗教対立が表立った理由だけど、武力供給がある以上、本当の目的はハイラム帝国によるロードウェル王国への侵略。とはいえ“始まりの村”はそれに気付いていないかもしれないけれど」
簡単に言えば利用されたということだ。まさか他国の侵略に手を貸しているとは思っていないだろう。
「でもどうしてそこまで分かったんです?」
「それはもちろんローズからあの真紅のフォーマルドレスが高値で売れたと聞いたからよ。バイヤーは全く値切らなかったんでしょう?」
「それどころかこちらが言い値を告げる前に「この値段で買う」と言われました」
「それよ。普通の商人ならそんなことはしない。自ら高い値段で買う商人なんて聞いたことがない。そういう無茶苦茶をやるのはどうしても入用で急いでいるときか、もしくは国が絡んでいるとき。国は金に糸目をつけない場合が多いから」
つまりあの商人は商人ではなく、国の役人であった可能性が高い。
「ローズからドレスを買ったのは、きっと私の噂を知っていたのね。二度と同じドレスを着ないという噂を。であれば一回しか日の目を見ていない、それも貴重な一点ものということになる。そしてそれは誰も見たことのないドレスであるにほぼ等しい」
「それを断る理由のない高値で買った」
「いくら王族のドレスと言えども中古品、しかも城のメイドが王女に黙って横流ししている闇商品よ。こっちから吹っかけることがあっても向こうが高値で買い付けるっていうのがおかしいと思わない?だからローズに調べさせたの」
「ええ、ちなみに私は闇商人みたいなその設定が以前からおかしいと思っていたんですよね」
ローズからまるで相槌のような抗議が挙がったがエリサは黙殺した。
その闇商人が稼いでくる資金で新たな布や糸を購入しているのだ、ここで手を引かせるわけにはいかない。
なお彼女には十分なバックマージンを渡しているので今のところこの仕事を断られたことはない。
「さらに気になるのが、売れたドレスが真紅のフォーマルドレスということ」
ローズの横やりは無視して、エリサは指で顎をなぞりつつその真紅の売れたドレスを思い出す。
そうだ、あのドレスは体のラインが美しく出るよう3日ほど徹夜で考えて作ったドレスだ。就寝したと見せかけてから暗がりの中デザイン画を描くのはなかなかに苦労した。
「内紛中の王国で暢気にパーティー?もし開かれたとしてもドレスをわざわざ他国から買い付けるというのはいささか疑問が残るわね。それに何より真紅!ローズ、ロードウェル王国の国旗の色を知っている?青よ。赤色の旗を掲げるのはハイラム帝国」
「……内乱を起こした国を象徴するようなドレスを欲しがったと?」
「そう。ハイラム帝国を表す赤のドレス……しかもフォーマル。ならば近々ハイラムとの間で公式な何かがあると考えていい。しかもハイラムを尊重するような何か。ドレスを他国から買い付けたのは自国で製作する余裕がもうないから。お金はまだあるようだから足りないのは人手と材料ね。となると王宮は孤立し始めているのかもしれない。ただそのひっ迫した状況を知られたくなくて、誰も見ていないような中古のドレスを買った」
トン、とエリサの人差し指が顎を叩いて止まる。
そのまま彼女は組んでいた足をほどき、長いドレスの裾などものともせずにするりと立ち上がった。
「状況は思っていたより悪そうよ、ローズ。ロードウェルはおそらくハイラムと同盟を組もうとしている。国内でクーデターが起こる前に」
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