第77話 怪物

 俺は魔術用のプレートをその場に落とすと、代わりにポケットから起動済みだったスマホを取り出し、既に表示してあった魔術を発動する。


≪ソニック・ウォール≫


 超音波の壁が俺の眼前で半球状に展開される。


 10重の防御魔術はさすがに堅固で、5重の魔術が複数あるとはいえ、そのすべてを蹴散らしていった。


 魔術の効果が終わり、陽炎のような揺らめきが消えていく。


 その向こう側に居たサラザールは、その様子を忌々しそうに睨みつけた。


「それが神器か……」


「まあな」


 実際にはたまたまこの世界の魔術と相性が良かっただけの機械に過ぎない。


 神器を騙っているのはそれが選ばれた者しか使えないと思わせて、盗人を牽制するためだ。


 だが、それでもと思う者は居るだろう。


 もしかしたら自分も選ばれるかもしれないと。


 ちょうど、俺の目の前に居る男がその諦めの悪い男だった。


「てめえは神器を使ってるから強いだけだ。てめえにはふさわしくねえんだよ。俺に寄越せっ」


「お前が持ったところで間違いなくこいつは使いこなせない」


 ただ10重魔術を使うだけでは魔族を倒すことなど出来はしない。


 相手の弱点を突いて、的確に運用し、時には魔術を応用してより強力な物理現象を引き起こし、それでようやく倒せる相手なのだ。


 科学的知識がほとんどないサラザールが持ったところで使いこなせず終わるだろう。


「俺が持って始めて魔族を倒せるほどの力を持つんだよ」


「ほざけぇっ!!」


 サラザールが叫ぶとともに、頭上に巨大な火球が現れる。


 あれは恐らく、バーニング・エクスプロージョン。着弾と共に爆風と炎をまき散らす魔術だ。


「街中でそんな危険な魔術をぶっ放すとか気は確かか!?」


「知るかぁ! だいたいこの街自体が気に食わなかったんだ。一度灰になるのもいいかもなぁ!」


 やはりおかしい。明らかに奴の倫理観はふり切れている。


 だが、それよりもどう防ぐ?


 障壁を展開しても、反対側に炎がまき散らされてしまう。冷却……はだめだ。そんな一瞬で冷やしきれないし、なにより強力な爆風が問題だ。


 なら――。


 俺は両腕の盾を正面に構え、突撃を敢行する。


 そんな俺に火球を投げつけようとサラザールが反応するが――。


「お前も巻き込まれるぞっ」


 俺の脅しを受けて、一瞬躊躇ためらいをみせた。


 彼我の距離は数メートル。その一瞬で近づくのは事足りる。


 俺は突進の勢いそのままに、右の盾を思いきりサラザールの顔面に叩きつけた――のだが、特別重いサンドバッグを殴った様な感触がして、サラザールは小動すらしない。


「ケハッ」


 サラザールが酷薄な笑みを浮かべ、剣の柄を俺の腕に叩きつけてくる。


 異常な腕力で振るわれたそれは、ゼアルの守護に当たって固い音を響かせ――そのまま問答無用で俺の右手を打ち落とした。


 グラリと俺の体が傾ぎ、その隙を貰ったとばかりに拳が振るわれる。


 狙われた場所は顔面。顎を撃ち抜かれでもしたら、意識が根こそぎ刈り取られてしまう。


 ならっ。


 俺は体を沈め、サラザールの拳に自ら額をぶつけていく。


 ゴッと視界が少しだけブレて、タイトロープを渡る様な防御法に成功する。


 顔面で最も固い場所である額を用いての攻勢防御。実際にボクサーが相手の拳を壊すためにやるらしいが、どうやらうまく行った様だ。


 だが、サラザールは少し顔をしかめているだけで大したダメージは無いらしい。


 俺は右手でサラザールの拳を掴むと、左の盾をサラザールの顔に何度も叩きつける。


 それを剣を掴んだ手で防御しようとするが、今の俺たちは顔をぶつけ合うほどの超近距離に居る。長物を持った状態ではうまく防御できるはずも無かった。


 2、3発が直撃し、サラザールの額が切れる。だが、血は一滴も流れ出さず、代わりにドス黒い液体が飛び、盾を汚す。


 ヴァイダが言っていた、黒い物とはこのことだろうか、なんて思考が一瞬よぎるが戦いの最中に深く考えて居る余地はない。


「邪魔だぁっ」


 サラザールがこちらの腕に自らの腕を絡みつかせて動きを封じようとしてくる――が、


「俺は体育で柔道を選択してんだよ」


「は?」


 それは、日本人の俺にとって、最も得意な状況だった。


 この世界における戦闘相手は基本魔物だ。人間と戦う事はあまりない上に、あっても剣や魔術を使う方が多い。


 だから、今まで使うタイミングが無かったのだ。


 柔よく剛を制すなんてことわざを持つ、やわらを頭に関した技術を。


 俺はスマホを口にくわえると、左手で襟首を掴み、拳を握った右手を引いてサラザールの体を引き出す。


 そのまま腰をサラザールの下に潜り込ませながら、素早く自らの足をサラザールの股の間に滑り込ませ、内側から奴の左足を跳ねあげる。


 内股。


 本来ならば、少し身長差があるため俺からサラザールにかけるのには向いていない技だが、柔道なんて基本すら知らない相手にかけるのだから防ぐ術などない。


 その昔、日本が初めてアメリカとラグビーで戦った際に日本人選手がアメリカ人選手を投げ飛ばしてしまったのと同じようなものだ。身長や膂力にどれだけ差があろうと、一方的に投げてしまえる。


 サラザールの体は綺麗に空中を回転すると、ズダンッと地面に叩きつけられた。


 審判が居れば一本の旗を上げてくれるだろうが、今俺がしているのは試合ではない。殺し合いだ。


 腰をしたたかに打ち付けたサラザールは、苦悶に顔を歪め、呼吸を詰まらせうめき声すら上げられないでいる。


 ――今だっ。


 俺はサラザールから手を離すと、口に咥えていたスマホを手に取り、素早く操作をしながら上空の火球を見上げる。


 制御を失った火球は明らかにこちらへ向かって落ちてきていて――。


≪ストーム・ライオット≫


 7重魔術が発動し、昇竜のごとく体をうねらせる竜巻が火球を飲み込んでいく。火球は竜巻に流されあっという間に天高く上昇していき――盛大な爆音と共に破裂する。


 爆風は周囲に散っていくが、そこは何もない上空。誰も傷つける事はない。そして炎は風に呑まれ、粉微塵に砕かれていった。


 誰も傷つかなかった。その事に胸をなでおろし――。


「てめえ!」


 もう回復したのか、サラザールが罵声と共に剣を振るう。


 俺はそれを右の盾で受け止め――切れずに弾き飛ばされてしまった。


 明らかに、力が強くなってきている。


 時間が経つごとに、サラザールは化け物へと変わって行っていた。






□□□□□□□□□□□□□□






 少し時間は遡る。


 ナオヤとサラザールが戦い始めた辺り。人々がヴァイダの呼びかけで避難を始めていたその時だった。


「助けて!」


 血まみれの服を身に着けて、ちぎれた鎖を首に巻いた女性が、ギルドの建物に駆け込んでくる。


 女性は酷く憔悴しているのか、顔は真っ青で、浅い呼吸を繰り返していた。


「殺される!」


 再度助けを求めて悲鳴にも似た声をあげる。


 その女性を見たアウロラが――。


「グロリア!?」


 そう声を上げた。


 このグロリアなる女性は、アウロラと共にサラザールのパーティーに入り、共にサラザールの指導を受けて来た。


 実際には指導などされず、ほとんど放置に近かったのだが。


 いずれにせよグロリアは持ち前のしたたかさでサラザールに取り入り、そこそこの働きで分け前にあずかるという立場を手に入れていた。


「どうしたの?」


 アウロラとグロリアはそんな立場の違いから、大して話もしなかったし仲も良くなかった。しかし、こんな状態のグロリアを見捨てるほど、アウロラは狭量ではない。


 血まみれのグロリアを抱き留めると、怪我がないか調べていく。


 体の各部を探られながら、グロリアはうわごとの様に呟き続ける。


「……食べられた。全員、食べられて殺されたの……」


「全員ってパーティーのみんながって事?」


 グロリアは首を縦に振る。


 グロリアの居るパーティー。つまりサラザールのパーティーはそこそこに実力があるため、そうそう簡単に全滅などしないだろう。ヤバくなったら逃げるくらいの判断はできるだろうし……。と、アウロラはそこまで考えたところで気付く。


 全員が食べられて殺されたはずならば、あのサラザールはなんなのだ?


「まさか、魔族に!?」


「違うの」


 そして、アウロラは次に続いた言葉を聞いて、耳を疑った。


「サラザールが、みんなを殺して食べたの」


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