第69話 強制されし理想郷
桜色に染まったヴァイダの顔が離れる。
ヴァイダは嬉しそうに己の唇を片手で押さえると、はにかむ様に笑みをこぼした。
「ナオヤ様。天使と人間の恋愛実験にお付き合いくださいね」
実験って、それならなんでもありじゃないですかー……。
「ちなみにこれ、私の初めてですよ」
そっかー俺も初めてなんですよねー……。
「そうなのですか!? それは悪いことをしてしまいましたね。てっきりアウロラ様とはしているものとばかり」
「ヴァイダさんなんの話してるの!? っていうか何してるのが先っ!!」
心を読めるヴァイダは勝手に俺の心と話を進めてしまうので、アウロラが置いてけぼりにされてしまっていた。
というか当事者の俺も、思考が追い付かないというか、先ほどのキスで魂が場外ホームランされてしまって何も考えられないというか考えたくない。
「ナオヤ様のファーストキスを差し出がましくも私が奪ってしまったので、是非ナオヤ様の童貞はアウロラ様が奪ってさし――」
「何の話よっ!!」
いやマジでアウロラの言う通り。てーか俺がなんで童貞ってバレて……しまっ。
面白いネタを手に入れたぞ、という感じでにやぁとヴァイダの顔が歪む。
その表情は、魔族よりも悪魔らしかった。
「なるほどぉ。やはりナオヤ様は一度も性交渉をなさったことが無かったのですね。大丈夫ですよ、私もゼアルさんも、恐らくはアウロラ様もしたことはございませんので」
「もー、言わないでぇ!」
もう状況はヴァイダに引っ掻き回されてぐちゃぐちゃだった。
先ほどまで殺し合いをしていたというのにその名残は欠片も無い。
もう少し静かに――あっ。
ふと、脳裏にある考えが閃く。
チラッとヴァイダの顔を伺うと、彼女は人差し指を口元に当てて、しーっと少し困った様な表情を見せる。
とはいえそれは一瞬だけで、すぐにあの邪悪な笑顔に戻ってしまったが。
――思考が読めるのも考え物かもしれないなぁ。
なんて同情は、たぶん大きなお世話だろう。これがきっと彼女の生き方で、彼女の良い所なのだ。
「もう、ナオヤ様。そんな事を考えられてはもっと惚れてしまうではありませんか。控えてください」
「いや惚れる要素どこにあるんだよっ」
そんな関わり方してねえよな? ゼアルとアウロラにそう想われてる理由は……ちょっとは分かるけど。
「懸命に生きている姿をずっと見せてくださいましたし、私の知らない知識を教えてくださいました。それに……」
ふわっと俺の顔が温かくて柔らかいものに包まれる。
一瞬遅れて、ヴァイダが抱き着いて来たからだと気付き――全身が鉄の様に固まってしてしまった。
いやその……大変良い物をお持ちですね。
「敵の命を奪った事ですらそうやって悔やむ貴方のその在り方が、とても尊いと思ったのですよ。守ってさしあげたいな、と」
「いや、あの……その……」
「ちょっ、ヴァイダさんは中身だけって話だったでしょ!」
そういやそんな怖い事言ってたなぁ。
「そうなのですが、中身以外も欲しくなってしまいましたので……ね?」
「もー! もー! ナオヤはダメェ!! 渡さないんだからっ!!」
あのー……アウロラさん?
そのですね。腕をそんなに引っ張られると痛くはないんだけど、頭がこう……ヴァイダさんの膨らみにですね。挟まれてたゆんたゆんと……いいぞ、もっとやれ。
「大丈夫ですよ、アウロラ様。私はきちんと順番が待てる女です。アウロラ様が直結なさった後に――」
「直結とか言わないでぇ!」
もう、なんだろ。幸せだからどうでもいいや……。
「あれ? ナオヤ様?」
「ナオヤ!? ナオヤ!?」
頭に茹った血が上りまくった状態で、美女と美少女に揺さぶられまくった俺は、もうどうしようもなくて……。戦闘による疲労や凍傷などのダメージも相まって、意識を手放してしまったのだった。
「…………いっ……ろっ。ナオヤ!」
ぼんやりと煙がかった頭を揺さぶられ、次第に意識が覚醒していく。
「ナオヤ、起きろっ!」
薄っすらと目を開けば、まず飛び込んできたのは心配そうなゼアルの顔で、その隣には同じく不安そうなアウロラの顔があった。
「あ……悪い。なんでだろ、寝ちゃったのか」
「いいから寝てろ、このバカ。お前結構酷い状態だったんだぞ?」
酷い? まったく自覚症状なかったんだけどなぁ。
今も痛みは全くないし。
視線を下ろしてみると、どうやら防寒着や手袋の類は全て脱がされた後の様だった。
わきわきと手を握ったり広げたりして見るが、どこも問題があるようには思えない。
「右手が凍傷でぜんぶ紫色になっちゃってたんだよ」
「特に小指は壊死寸前で下手すりゃ千切れるってくらいになってたんだよ。手袋外そうとしたら小指が一緒についてきそうになった時には血の気が引いたぞ」
……ああ。剣をコキュートスの腹に刺して投げた時に冷気が剣を伝わってたのかな。ゼアルの守護も突破してくるとかヤバいな、マジで。
普通だったら近づいただけで凍らされてたんだろうなぁ。
「それから左手親指も、鉄片が張り付いて真っ黒になっておられましたよ。ですが、私やゼアルさんの魔法でなら数秒で治療できますのでそこまで心配はしておりませんでしたが」
それからヴァイダは淡々とした口調で俺の状態を説明してくれる。
どれもこれも既に治療済みとの事で、まあいっかと思わなくもない。
っと、それより……。
「アウロラは大丈夫なのか? 奇襲の為に体を冷やして……」
「私は大丈夫だよ。それよりナオヤの方が大変だったんだからきちんと休んで」
アウロラが必死に俺の手を握り締めてくる。
彼女のあたたかい心が伝わって来て、とても――。
「治療して心配していたゼアルさんの事もお忘れなく。泣いてしまいそうなほど取り乱していたのですよ?」
「てっ、てめぇヴァイダっ!!」
そうだったのか。それは悪いことしたな。
俺は全く痛みの無い、ゼアルによって治療されたばかりの左手を、彼女の頭にポンッと乗っける。
ふわふわとした金の髪が心地いい。
「ありがとな。本当だったら真っ先にお前にお礼を言わないといけなかったのに」
治療してくれたのはゼアルとヴァイダさんかな。後でお礼言っておかないと。
「人間守んのはオレの仕事だから気にすんな」
「それでも、ありがとう」
俺はゼアルの頭を撫でながら、ヴァイダの方へと視線を移す。
思考を読める彼女なら俺が頭に思い浮かべたお礼をもう読み取っているかもしれないが、それでも口で直接伝えるべきだろう。
「ヴァイダさんも。助かりました、ありがとうございます」
「いいえ」
まさに天使の微笑みを浮かべながらヴァイダは頭を振る。
先ほど悪魔的に邪悪な笑顔を浮かべた人と同一人物とは到底思えないおしとやかさだった。
「お礼の唇は先ほど頂きましたので言葉までは結構でございますよ」
訂正しよう。やはりこの人は悪魔だ。
「お前まさか、ヴァイダにまで手を出したのか?」
「そうだ! そういえばさっきヴァイダさんと……」
ああもう。ゼアルの視線が痛い――って、このシチュエーションなんかデジャブっていうか……。
「えいっ」
「ふえっ!?」
「なっ!?」
いつの間にかアウロラの背後に忍び寄っていたヴァイダが、アウロラとゼアルの頭を掴み――。
…………はい、二人の唇はとても甘くて蕩けそうでした。
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