囚われの俺と魔女

瑠璃ヶ崎由芽

奪われた平穏な日常

「んん……ん? ここはどこだ……?」


 西羅にしら真華しんげの意識が徐々に覚醒かくせいし、閉ざされていたまぶたが開かれていく。そこで目にしたものは、薄暗くとても気味が悪い空間だった。いくつか燭台しょくだいが置いてあり、そこに火が灯っている。その灯りが唯一の光で、部屋の全体を見渡すことはできず、見れたとしたら部屋の模様ぐらいだった。それはとても禍々まがまがしく、恐怖感を与えるようなそれであった。これらの情報だけでもここはとても長居したいと言えるものでなく、とにかくここからすぐにでも逃げ出したいと思ったその矢先、


「目が覚めたかね、西羅真華くん」


 部屋の明かりの灯っていない暗闇からそう言って真華の方に歩いてくるご立派な太鼓腹をもった男が現れた。ローブのようなものを羽織っておりフードも被っているため顔がよく見えないが、声は野太く、いかにもデブってそうな感じだった。


「一体全体何だよこれ! ん? な、何だよこれっ!?」


 そのデブの男に歯向かおうと真華は手を動かそうとするが、思うように動かなかった。その原因を確かめようと自分の手を見ると、彼は自身が置かれている状況に気づいてしまった。『はりつけ』にされていたのだ。両手と足を何か発光する物体に縛られ、身動きが取れない状況にあった。さらに詳しく周りの状況を見渡すと、床には明らかにヤバそうな魔術で使いそうな魔法陣のようなものが書かれている。先程の燭台も、その外周に沿って置かれている。その事態を把握した真華は焦り始め、いよいよ自分がとんでもないことになっていることに理解してしまう。


「ハハハ、今キミに動かれると困るんでね、で拘束しているんだよ」


「魔法……だと?」


 いぶかしげな顔をしながら、その言葉に疑いの念を抱く真華。彼が生活していた日常に、そんな『魔法』という非現実的すぎるものは存在しなかった。そんなものは創作だけのもので、フィクションだと思っていた。それなのにも関わらず、いい年した中年ほどのこの太っちょは確かに『魔法』とハッキリとそう言った。そんなもの存在するわけがない。真華は太った男の言葉を聞いた後も、それを信じて疑わなかった。


「まあ、信じられないのはしょうがない。キミもいずれは信じるようになるさ。さあ、それよりも儀式を始めよう!」


 真華が信じなかったことも気にもとめず、両手を広げとても期待と嬉しさが入り混じったような表情をして、そう宣言をする。その言葉を合図にしたかのように、さらに暗闇から1人また少女がやってくる。トンガリ帽子を深々と被って顔を隠し、今度は黒いマントを身に纏い、魔法陣の方へと向かってくる。


「ロコ、ではさっそく始めてくれ」


「御意」


 そして太った男のその言葉と共にトンガリ帽子を人差し指で上げ、顔を表す。藤色の目に、長く美しい漆黒の髪。その顔はまさに日本人と言った和風な顔立ちであった。さっきの肥満男に比べれば、この『ロコ』と呼ばれる人物は華があって、その顔立ちも相まって真華の心を魅了していた。真華は彼女に釘付けになり、その動きを目で追ってしまうほど気に入ってしまったようだ。だた彼には1つ疑問に残ることがあった。それはその出で立ちについてである。まさにそれは『魔女』と呼ばれるような服装で、杖などは持っていないようだが、先程のデブの『儀式』のことやこの魔方陣のことを考えると、彼女はもしや本物の魔女なのではないだろうか。そんな考えが彼の頭には浮かんでいた。となるとその儀式とは――?


「Hgl Dqlkvlq Ldnxv WxRkD pRzR WlKRqR NdNxr GDP Dv lpdn」


「――汝は此れより人を捨て、魔を宿す者とならん! さあ、祝福の時は来た! 祝え!」


 ロコはそう詠唱えいしょうのようなわけのわからない言語を発した後、古臭い言い方でそう宣言する。すると、たちまち魔法陣が発光を始める。そして1つ、また1つと魔法陣に置かれていた燭台の火が消えていく。そして全てが消えたところで、魔法陣の床から銃の照準のような円が2つ出現し、それがはりつけ状態の真華と、ロコを内包するように移動してくる。


「おい! ふざけんな! 身勝手すぎるぞ!」


 いよいよ魔法陣が光りだし、怪しげな円が自分をロックオンしたとなると、真華の焦りはもう頂点に達していた。最後の抵抗と必死に体を動かそうとするが、どんなに力を入れてもビクともせずまるでコンクリートの中に手首を突っ込まれているかのようだった。でもこのままではいけない。真華にはこの儀式の全貌が少し分かり始めていた。さっきのロコの発言からして、もしかするとこれは『人を魔法が使える者』に変えてしまう儀式なのではないかということだ。だが、太鼓腹の男はそれを本人の了承も得ずに、しかも言ってしまえば『拉致らち』してここにはりつけにまでしたのだ。そんな者たちの思い通りにしていいわけがない。真華は最後の最後まで諦めずに、もしかしたら手首が引きちぎれてしまうんじゃないかと思うほど力を入れてみるが、相変わらずその謎の拘束具は固く、うんともすんとも言わなかった。そんなことをしている間にも、今度はロックオンしてきた円が光り始めてしまった。もう残された時間はごくわずかとなっていた。


「くっそおぉおおお―――」


 無抵抗のまま、人ならざる者に変えられてしまうことに真華は悔しさを感じつつ、いよいよ覚悟を決めて目をつぶる。そしてそのロックオンした円の光が真華とロコの体を包んでいき――


「ふふっ、儀式失敗」


 儀式が終わったのか、光が消えていたところで魔女が不敵な笑みをこぼしつつそんなことを言ってくる。その言葉に逆に真華の心には不安の気持ちが溢れてくる。魔法使いにならないのはいいけれど、『失敗』ということでまた何かしらのリスクを背負わされるのは必死だろう。


「なっ、何っ!? 何をしている!? 貴様、まさか――」


 太っちょの男もこの儀式失敗は予想外の事態だったようで、頭を抱えて困惑しているようだったが、すぐに事の真相に思い当たる節を見つけたのか、にらむような目つきで魔女を見てそう言いかける。


「さて、ここら逃げるわよ、人間さん」


 それをさえぎるように、魔女は真華に向かってそんなことを言い放つ。はたしてここからどうやって逃げるというのだろうか、真華にはそれが疑問だった。この部屋には特に出られそうな場所がない。しかも、儀式失敗によって怒り始めたデブの男がいるこの状況では、ヤツに逃亡を阻止されるのは目に見えた事実だろう。そんな中、魔女は自分の右手を掲げて、


Blatsブラッツ


 そう呪文を唱えていく。すると次の瞬間、掲げた右手には今にもまるで水晶玉のような球体が現れた。透明で、中で今にも吹き出そうなぐらいに炎が燃え盛り、いかにも危なそうなものであった。そして魔女はそれをすぐさま床に振り落とし、それが床に到着するまでの間に、まるで周りがスローモーションになったかのように高速に魔女は移動して魔法で真華が縛られていたものを破壊し、確保する。そしてすぐさま、


Prawプロウ!』


 次の魔法を使い、真華ごとこの部屋の外の、安全な場所へとワープしてしまった。対して残された部屋の方では先程の球体が地面に投げつけられるような形で接触し、

その勢いのまま一気に爆発。あの球体は水晶玉ぐらい大きさだったのにも関わらず爆発力はすさまじく、その部屋だけではなくその建物全体を木っ端微塵こっぱみじんにしてしまうほどであった。その凄まじい威力に、真華は目を見開いて驚愕きょうがくしていた。実際問題、決して信じようとはしなかった『魔法』というものを身を以て体験し、それによる破壊も目の当たりにしてしまった。それはつまり、現実に魔法が存在するということを認めざるを得なくなったのだ。まさかないと思っていたものがある日突然、急に目の前に現れたら誰でも驚愕してしまうことだろう。


「どう? これがあなたが信じていなかった『魔法』よ、スゴいでしょ?」


 驚愕し、呆然としている真華に得意気な顔をして腕を組んで自慢するロコ。


「まっ、まあ確かにすごいけどよぉー……これはやりすぎじゃねぇか……?」


 これだけの威力の破壊をただ自分を逃がすために使った。その事実に若干引いてる真華であった。あまりにもやり方が豪快すぎてついていけてない。


「アイツらムカつくからねーさて、さっさと逃げましょう! どうせ追手が来るわ」


「はっ!? あんな大炎上してるのにかッ!?」


 あの建物があんなにもごうごうと燃えているというのに、はたしてさっきの太っちょの男は生きていられるのだろうか。それが真華の疑問だった。あの中にいたら、熱さと煙で間違いなく生きてはいられないだろう。


「ええ、そういうヤツらだから、あの人たちって。蛇みたいにしつこいのっ。さあっ、掴まって」


 ロコがその『組織』についてそう説明した後、彼女は真華の首を右手で支え、

左手で足を後ろから持ち上げ、お姫様抱っこのような形になってそう真華に指示をする。女の子に抱っこをされているという、傍から見ると変な光景となっていた。しかも普通に50~60kgはあるであろう高校生男子の体を、特に重たそうな顔も見せずに軽々と持ち上げていく。これもまた魔法か何かの効果なのだろうか。そしてロコは目をつぶり、意識を集中させ、


Gwinグウィン


 そう魔法名を宣言した。次の瞬間、なんと彼女の背中から天使のような羽根が生成されていく。そしてバサッとその大きな羽根を張るように伸ばしていく。そこから、一旦ロコが膝を曲げ、足に力を入れてジャンプするかのように力を地面へと加える。すると面白いように2人の体が浮かび上がり、後は羽根を羽ばたかせて空へと上昇していった。


「――逃さないわよ……この裏切り者ォ!」


 そんな最中、下の遠くの方からそんなドスの利いた声が聞こえてくる。その方に2人が顔を向けると、そこにはおそらく先程の太鼓腹の男の仲間と思しき魔女がいた。彼女も同じように羽根を生成し、ロコたちの方へ向かってくる。


Ginnlightギムリット!』


 その向かってくる間にも、ロコの方へ人差し指を突きつけ、魔法を発動する。そして指先から閃光が走ったかと思えば、目にも留まらぬ速さで雷撃がロコたちの方へと一直線に飛んできた。だけれど、そんなものまるで止まって見えるかのごとく、簡単にひょいひょいとかわしてくロコであった。


「そんな下級魔法、当たらないわよぉー?」


「このぉー……人をおちょくりやがってぇえええ!」


 そんなロコの煽りに、怒りがどんどんと増幅し、今にも噴火しそうな勢いとなっていた。今にも人を殺しそうな目、何でも潰してしまいそうなあの握りこぶし。それを見ただけで、真華にとってはもはや恐怖そのものだった。対してロコはそれに全くもって恐れていないようで、


「ふふっ、じゃあ、これについてこれるかしら?」


 さらに煽るように、敵を挑発していく。


Cleacクリーク!』


 そして今度の魔法は発動したと同時に、真華とロコの2人の体を包むように光だした。それは数秒程度で終わったが、その終わった瞬間にロコは目にもまらぬスピードで空を駆けていく。


「チョッ、魔女さん! き、気持ち悪いんですけどぉ……つか、失神しそう……」


 その速度はジェット機ぐらいのスピードで、普通の人間である真華にはとても耐えられるものではなかった。胃から何か逆流してきそうになって、意識を少しずつだが朦朧もうろうとなっていた。


「すぐ終わるから、それまでは我慢してっ!」


 だけれど、いい対処法はなかったようで、我慢という精神論で片付けられることになってしまった。その間にも、2人は数秒で何十kmを渡っていく。敵の方はそんなスピードに追いつけるわけもなく、その魔法もどうやら使えないようでそのまま巻くことに成功した。


「ねえ、あなた。たぶんね、ヤツらこれで終わるとは思えない。さっきも言ったとおり、アイツらは蛇みたいにしつこいから。だから少しの間、私がかくまうわ、いい? 答えは聞いてないけどっ!」


「じゃあ、最初っから言うなやぁ……」


 そんな楽しい雰囲気の会話をしているが、実は事態はかなり深刻になっているのであった。ただし、この時の2人にはまだ知る由もなかった。そう、それは人間を遥かに超越した力を持つ魔女にさえも――

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