第6話
「伝えたいこと……シンプル……」
思いつかないもんだなぁ。
書こうと思っても、納得いく言葉が作れない。それに、歌詞だけならともかく、最近は小説さえも筆が進まなくなってしまった。物語りのあらすじはしっかり書けているのだが、肝心の言葉が探しても見当たらなかった。どれもしっくり来ないのだ。このままいても進まないので、俺は一旦ペンを置いて、伸びをした。
なんとなくスマホを手に取ってみると、一通連絡が来ているのに気づいた。相手は愛風さんだった。
『スタジオ練習終わったらまた練習しようよ! 夏休み前最後の練習!』
そういえば、夏休みは明日からだったか。今のところ、予定は何も無い。家族で旅行だとか、そういう予定もないし、今年の夏休みはかなり暇な期間になりそうだ。
最近、愛風さんがやたら絡むようになってきたが、どうしたのだろうか。実はライブ途中で帰ったことを根に持っているのだろうか。そうだとしたら、早めに謝らなければ。
『わかった。すぐ行く』
『やったー! 早く着いたら練習見に来るんだよ!』
という言葉と共に、スタンプを送ってきた。思ったより返信が早かった。
俺は机に置いてあるコーヒー牛乳を飲み干して、ギターを持ち、外へ出た。天気は曇っているが、予報では雨は降らなかったはずだ。ただ、曇っている分暗くなるのは早いだろう。
向かう途中でコンビニに立ち寄って、ジュースを1本買い、そしておやつも買っておいた。いつも貰ってばっかりなので、今日くらいはお返しとして用意しておきたかったからだ。なんだかんだ、俺もギターの練習を楽しんでいるのかもしれない。これからが楽しみで、思わず口角が上がりそうになる。
気持ち悪いし、自分らしくないのには自覚はある。なんだかんだ、俺自身だって変わっているのかもしれない。
「あ、前来た時の」
「ん? ああ、お前か。今日はなんのようだ?」
入口の前の喫煙エリアで、以前のライブの時に会った店員がタバコを吸って休憩をしていた。
「愛風さんと待ち合わせで」
「そうか、じゃあ中で待っていればいい。それより、なんだお前は? あいつとどういう関係なんだ?」
前は俺と愛風さんの関係について、深く言及することはなかったが、どうやら気になっているようだった。
「別に、ただの知り合いですよ」
少し仲がいいだけで、別に知り合い以上でもそれ以下でもないと思う。強いていえば友達だ。
「そんなもんで、あいつは余りチケット渡したりはしないんだけどな。ノルマもあるし」
少し納得がいかなそうな顔をした。そんなことを言われても、俺は別に嘘をついている訳では無いので、困る。
「それ以上言っても何も出ないですよ」
「まあ、いいか。因みに、愛風達が練習している部屋はA-3だ。丁度あっちの方だからな」
廊下を指さしながら言った。
「なんですかそれ」
「見に行ってやれってことだ。あいつ最近頑張ってるからな」
俺はそれを軽く聞き流して中に入り、ソファーに座った。クーラーが効いていて気持ちいい。気持ちよすぎて、このまま寝てしまいそうになる。
だが、折角部屋番号を教えてくれたので、少しくらいは練習をするところを見ておこうと、軽く涼んだら直ぐに立ち上がった。正直、あれだけのライブを見させられると、普段どんな練習をしているのか気になる。それに、もしかしたら、今の筆が進まない状況を抜け出すヒントになるかもしれない。
部屋番号は若いだけあって、廊下の手前すぐに部屋があった。微かにギターやドラムの音が壁を伝って聞こえてくる。その音は、とても小さかったが、それでも愛風達の音だと気付くのには十分だった。
「あれ?」
近づいてみると、先客がいるのに気づいた。家族を抜けば、一番身近な人だ。その人はドアの外から中の様子を、羨ましそうな顔でぼーっと見つめている。
「天町さん?」
俺が声をかけると、ドアを見つめたまま、ビクッと肩を震わせた。
「あ……えっと、これは」
俺がいるのに気づいた天町さんは、挙動不審になりながら、何か言葉を探していた。どうやら、俺がここに来ることを完全に予想していなかったようだ。
「偶然だね。ちょうど俺は待ち合わせしててね。天町さんは?」
「えっと、あはは。ちょっとね」
最早隠す必要なんてないんだけどなぁ。だけど、今関係をバラすわけにはいけない。
そう思いながら、そのままオロオロとしている天町さんを見ていた。ゆっくりとした時間が流れた。
そしてふと、ドアが開く音がした。
「そら……ちゃん? なんでここに」
「あ、あいちゃん……」
愛風さんと天町さんは、それ以上言葉が出てこないようだった。どちらも面と向かって会うのはひさしぶりなのだろう。それに、天町さんは向こうからしたら勝手に出ていった存在。愛風さんは天町さんのことを嫌っている訳では無いようだが、それでも、もしもの事をあれこれ考えて、なにを話せばいいか分からなくなるのだろう。もし相手が嫌っていたら、何かを話すだけでも気に触るかもしれない。そんなことを少し考えるだけで、途端に言葉は出なくなるものだ。
だが、その沈黙も絶たれる。
「なんで、貴方がここにいるんですか?」
「っ!」
もう1人、スタジオから顔をのぞかせ、その瞬間、明らかに天町さんは動揺した。相手は完全に敵意をむき出しにして、天町さんを睨んでいた。それを見て天町さんは途端に縮こまってしまった。その姿は最早、今まで見たどの天町さんとも当てはまらなくて、全く別の人間を見ているようだった。
「もう、貴方には関係ないですよね、今更なんなんですか?」
棘のある声で責め立てられる。天町さんは相手を見ることが出来ずに、ただ下を向いて黙っていた。呼吸も少し震えているのが聞き取れる。弱々しくて、今にも消えてしまいそうで、見ていられるような状態ではなかった。
「――ごめん」
「そうですね。もう二度と現れないでください」
一言残して、天町さんは背を向けて駆け出した。その目には涙が浮かんでいるように見えた。俺の心も、強く締まるような苦しさを覚えた。
天町さんが居なくなり、一段落ついたかと思ったが、今度は俺に視線が向けられた。
「で、あなたは誰ですか?」
視線が俺へと突き刺さり、キリキリと胃が痛む音がした。冷や汗が垂れてくる。くそっ。何故ヘイトがこっちに。
「江草くん、これは、その」
愛風さんは何か、言い訳をしたそうにしている。しきりに、バンドメンバーを気にしながら。
今までの出来事や言動を繋ぎ合わせて、なんとなく、相手の事情は分かってきた。恐らく愛風さんは、天町さんとまた音楽をやりたいんだと思う。だけど、メンバーの中の一人は天町さんのことをよく思っていないらしく、上手く切り出せないでいるのだろう。
そして天町さんも未練があって、こうしてバンド練習を見に来ていて、そして運悪く、いやもしくは必然なのかもしれないが、結果こうなってしまった。
本当なら愛風さんから事情を聞いた方がいいのかもしれないが、とにかく、今はそんなことを考えたりする暇はない。
「ごめん、今日練習出来そうにない。ギターは、預けておくから」
――追いかけなければ。
そう直感が訴えかけていた。少し愛風さんには申し訳ないけど、今日はそれどころじゃないんだ。
俺は荷物を預けて、駆け出した。まだ遠くには行っていないはずだ。俺と帰る道はほぼ同じだし、家とは逆方面にさえ進まれなければ、通る道はある程度決まっている。俺は自分の直感を信じて全力で走った。
あまり体を動かさないからか、少し膝が傷んだ。小さな段差で足をくじきそうになった。すぐに息が切れだした。
でも、必死に走った。相手が俺よりも運動ができる以上。足を止めたら、元々ほぼ不可能に近い可能性がゼロになってしまう。だからただ一つのことだけを考えて走った。
いくら走っても、天町さんには追いつけない。実はもう家に着いていたとか、もしかしたら俺の予想が外れてしまったんじゃないかだとか、そんな不安が頭に浮かんでくる。
息が絶え絶えで、肺が潰れそうで、それでも走ろうとしたが、俺は速度が落ちて限界になって、立ち止まった。
「はぁ、はぁ、なんだ、あいつ。体力化物かよ」
全く影が見えなくて、「もう明日でいいや。夏休みならいくらでもあるし」、なんて、半分諦めていた。さっきまでの熱意が、走っていたら冷めてしまった。寧ろ、冷静になったとでも言えばいいだろうか。俺は今日は諦めて、家に帰ろうとした。
だがその時、いつぶりか、頭の中にあの言葉が浮かんだ。
――音楽、始めようよ。
河川敷での景色が浮かんだ。楽しかった時間が時を巻き戻したかのように、鮮明に浮かんできた。
今日天町さんを見つけなければ、もう一生会えないかもしれない。なぜだか分からないが、そんな気がしてきた。このままいれば一生後悔するかもしれない。ここで途絶えて、また一人で小説を書いているような、そんな日々に戻るかもしれない。だから、動くしかないんだ。
河川敷だ。いつもの河川敷だ。お願いだから俺の体動け!!
無理やり体を動かして、早歩きの方が速いんじゃないかってくらい、かっこ悪く走った。
すれ違う小学生に笑われた。誰かに指を差された。でもそれは全部関係ない。今はそんなことよりも大事なことがある。
光が差した。河川敷前の歩道。アスファルトで整備されている。そこに、一人の少女が歩いていた。俺はそれが誰なのか、人目見て確信した。
「天町さん!」
俺は叫んで、そして天町さんへと近付いた。そして、天町さんはゆっくりと振り返った。
「……天町、さん?」
天町さんは不気味な程に、目に力がなかった、死んだ魚のような目なんて表現を、今日まで使うことになるとは思いもしなかった。
いつものような覇気がなく、目からは閉じかけの蛇口のように、頬を伝っていた。
最早何もかも諦めてしまったのだろうか。もう、終わってしまったのだろうか。
引き摺られる、グシャグシャに壊れたギターが、全てを物語っていた。
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