第11話 正道だけでは守れぬものもある……‼

「……この一連の件、君はどう見てるかな?」


同時刻、警察庁警備局長室で、法務省上級官僚の大量の汚職が発覚した一件の報告書を受け取った権蔵は、届けた男性職員に意見を求めた。


「これを口実にテロを敢行することもあり得ますが、大師討ちも新戦組もその手の情報を掴んでいないとなると、やはり当分は武力行使を避けるでしょう」

「幸村翼のこれまでの行動を考えると、有り得るな」

「ですが、ことはどうなるか分かりません。引き続き大師討ちだけでなく、公安や組対部にも、いつでも出動できるように申し伝え、サイバー犯罪対策課にも、情報収集に力を入れるように申し伝えるべきでしょう」

「その件は既に私の方から各部長に伝えてある」

「では、私はこれで」

「うむ、ご苦労」


 権蔵の言葉を受けた男性職員は、短く敬礼をしてそのまま警備局長室を後にした。それと入れ違いに今度は一人の女性職員が入ってきた。其の女性は大師討ち元・渡真利派の姉川であった。


「失礼致します」

「……君か……」


 権蔵は彼女に不安を与えぬよう、微笑みながら彼女を迎え入れた。


「局長、私の人事は……」

「分かってる。渡真利君直轄チームからは正式に外すことにするよ。今後の君の活動に支障があるのなら、その辺りは考慮せねばならないからな」

「ご無理を聞いていただき、ありがとうございます」


 そう言いながら姉川は、権蔵に対して深々とお辞儀をした。


「例の件が、堪えたかな?」

「……テロリストと断定した輩が相手ならまだしも、単に友人だったという理由だけであそこまでの行為に及ぶなど……」


 姉川は無念そうな表情で拳を握りしめながらそう言った。


「……まだ時間が必要だったか……」

「はい?」

「君は、渡真利君とMASTERとの間の因縁を知ってるかね?」

「七年前の聖翼の命日で妻子を殺されたというのは、聞いてますが……」

「だから私は、彼をもう少し前線から外すべきだと、そう願っていたのだよ」

「前線から外すべきだったって、それは……」

「少なくとも私はそうすべきだったと思っている。今回のような状況に陥らなければ、それも続けられたのだがな……」


 そう言う権蔵の表情は、どこか苦悶の色を見せていた。


「……私は、渡真利警視長のやり方についていけなくなりましたが、私心を除いて申し上げさせていただければ、警視長の能力は対MASTERの鍵になっていると思えますが……」

「それは承知している。だが問題なのは能力ではなく、彼の心情だ」

「……MASTERへの憎しみですか?」

「うむ。結果にそれが、彼と太師討ち渡真利派の大きな力になっている。現に渡真利派には、彼と同様にMASTERへの強い憎しみを抱えていて、それが強力な組織運営力に繋がっているのも確かだ」

「はい」

「だが、いかに憎しみを力にするにしても、指針が必要なのだよ。警察官として忘れてはならない指針がな」

「警察官として、忘れてはならない指針……」


 権蔵の言葉を受け、静かにつぶやく姉川。


「君は警察官が守るべき最も大事なものが何なのか、分かっているかね?」

「警察官として、市民を守る正義、でしょうか?」

「間違ってはいない。ではそれを実行する為に必要な思いは、なにかな?」

「それは……」 


 権蔵の立て続けの質問に、姉川はやや戸惑いを見せる。


「……我が国の法の番人としての意識と、人としての道徳心だ」

「法の番人としての意識と、人としての道徳……」

「だが今の渡真利君は、その二つをないがしろにし始めている。只でさえ大師討ちは、MASTERの構成員に限定して拷問を認められている。それで死者が出ても罰せられない。それだけの権限と管理を有するということは、他の警察官以上に先の2つを守らねばならないということだ」

「ですが、今の渡真利警視長は……」

「踏み越えている。警察官として超えてはならぬ一線を……」

「大師討ちの二分化。それは今後の新戦組との連携に問題が生じかねないですね」

「だからこそ、私の方でも出来る限りのことはしている。これ以上新戦組との連携で支障をきたすような状態にする訳にはいかない」

「……私も、同感です」


 姉川がそう発言した瞬間、権蔵んデスクの電話がコール音を響かせた。権蔵はそのコールが二回発せられたタイミングで受話器を取った。


「私だ……分かった。彼らは出動させろ。君達は一旦その場から離れなさい」


 受話器の向こう側の人間に対してそう指示した権蔵は、そのまま受話器を置いた。


「警備局長?」

「姉川君。些か良くない展開になってきている」

「良くない展開と仰いますと……?」

「渡真利君が、また勝手なことを起こすそうだ。今日の午前四時二十分に大師討ちの本部へ向かう。その時、君も来るかな?」

「……あっ、はっ、お伴致します」


 事情をあまり飲み込めていない様子の姉川であったが、やや不安そうな権蔵の表情を見て只事でない事態になったのではと察し、彼と同行することを決めた。



⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶⊶


 警視庁本庁舎地下の一角に設置された大師討ち本部。その司令席で全面のモニターに映し出された監視カメラの映像や、これまでに収集したMASTER関連の情報を確認していたのは、今年に入って大師討ちの新リーダーに就任した渡真利司警視長である。


 彼は七年前に聖翼大学で起こったMASTERの最初の襲撃「聖翼の命日」で妻子を殺され、以後MASTERへの憎悪を深めていた。

 故に警察内に設立された対MASTER組織「大師討ち」への編入を以前から望んでいたが、権蔵や当時の警察上層部によって、地方の本部長職に甘んじていた。しかし昨年の永田町・霞が関襲撃事件。沖田総一の警視庁・東京襲撃を受け、東京の警備の更なる強化の為に、彼の能力を欲した上層部の思惑によって警視長への昇進と共に大師討ちへ派遣された。


 その理由は、妻子を失ったことによって正気を保てない状態の彼が大師討ちへ派遣された場合、私怨から来る問題行動によって新戦組との連携が取れなくなるのではと言う懸念が大きかったからである。

 表向きには事情を公表できるはずもなく、人事上の都合と言う理由で外されていたのだ。これは以前より激情に駆られやすい性格の彼を慮っての配慮とも言えるものであるが、彼自身にとっては極めて不本意であり、だからこそリーダーとして派遣されたことは何よりの本懐でもあったと言える。それでも権蔵の懸念は拭えなかった。


「渡真利君」

「これは警備局長。一体どうなされたのですが?」


 突然の権蔵の来訪にもかかわらず、渡真利は驚くこともなく席を立って淡々とした態度で敬礼をし、周囲の大師討ちメンバーも彼に倣って権蔵に対して敬礼をした。


「……姉川君、君が警備局長をお呼びしたのかね?」


 渡真利に敬礼する姉川を視界に捉えた彼は些か睨み付けた。

それを見た権蔵はこう彼女を弁護した


「彼女は関係ない。あくまで君の派閥から離脱する許可を取りに来ただけだ。大師討ちの人事に関しては、まだ私が権限を握っている」

「それに関して、手をまわしておきます。それで、警備局長がこちらへいらしたのは、如何なる理由でしょうか?」

「世田谷区で本日午前四時三十分に、MASTERが爆破テロを起こすという件についてだ」


 権蔵が暴露した瞬間、渡真利を除く大師討ちの面々は一斉に仰天して権蔵の方を振り向いた。


「……ご存知でしたか……」

「この情報は新戦組には既に流したのか?」

「流していれば、この情報は更に前に警備局長のお耳に入っているはずですが?」

「尤もだ。何故この情報を流さなかったのだ?」

「その必要がないからです」

「必要がないだと?」


 渡真利の言わんとするところを理解しかねた様子の権蔵に、渡真利は淡々と説明を続けた。


「今、警備局長が仰ったことは事実です。事前に大師討ちによる情報収集と検証によって、発生はほぼ確実でしょう。それにしてもまさか、大師討ちの中でも私の派閥とその他ごく一部にしか教えていないこの件をご存知なのは、正直驚きましたが、まさか……」


 淡々としながらも、何かを悟ったような表情になった渡真利。それを見た権蔵はこう話を続けた。


「君のことだ。それぐらいの察しはついておろう」

「……やはり、大師討ちにあなたの手引きした人間を送り込んでいたのですね?」

「私の行為もだが、君自身も違法行為に出ている以上、お互い様であろう」

「……何故あなたがそこまでして私を警戒なさるのですか? 私はあなたの利益や権限を損なうような真似をした覚えはありませんが」

「それとは無関係だ。警察官僚としての君の行動の問題だ。先日の容疑者への暴行もそうだ。そもそもあくまで容疑の時点でMASTERの構成員と断定できていない場合は、通常の警察での取り調べを優先すべきものを、君は大師討ちによる拷問を強制した。その上この件を表向きにはテロリストだったと偽ったのも問題だ」

「お言葉ですが警備局長。相手がテロリストといかなる形であれ、関係がある以上はそれ相応の手段を以て相対するのが常ではありませんか? ましてここまでMASTERにしてやられ、罪なき国民が多く虐殺されているのです。これ以上奴らの蛮行を許すわけにはいきません」

「渡真利君……‼」


 持論を展開した渡真利に対し、権蔵は睨みを聞かせながら迫った。


「……以前も言った筈だ。警察官が如何なる正義を掲げようとも、決してないがしろにしてはいけないものがあると……」

「それはあくまで平和な中で守られるべきものです。今はそのようなものを守っていては本当に守るべきものを守れなくなります」


 渡真利は自身に対して睨みを利かす権蔵に対し、怜悧な眼差しを向けながら反論した。


「……いずれにしても、テロを未然に感知しておきながらそれを見逃すような真似を見過ごすわけにはいかん。既に現場には私が手配した部隊を向かわせている。もう、テロは防がれているだろう」

「……そうですか……」


 そうつぶやきながら渡真利は腕時計の秒針を眺めた。時刻は午前4時29分55秒を指していた。


「……間もなく、テロの時刻です……」


 大師討ちのメンバーの一人の男性職員は、まだ動揺を抑えきれない様子で額から流れる汗をハンカチで拭きながら報告する。

そして秒針がにゼロに到達した瞬間……。


「こっ、これは一体……‼」


 権蔵は大師討ちのモニターの一つを見て絶望を覚えたような表情になった。その画面に映し出されたのは、文京区の区役所のいたるところから爆発が発生し、職員とその周辺を歩いていた多くの通行人が血を流しながらその場に倒れ、更に爆発に慄いて悲鳴を上げて逃げ惑う人々の光景だった。


「確かに今日の午前四時三十分より、永田町と霞が関で暴れたMASTERの構成員によるテロの可能性はありました。ですがそれが世田谷区であるということは、私は一言も申し上げておりません」

「文京区役所……渡真利君、まさか……‼」

「誤解なさらないように、私はあなたが大師討ち内部にスパイを潜り込ませていたということは、あなたから聞かされるまで存じ上げてません。ですが万一と言うこともあり、情報に関しては核心を突かれないように配慮をしていました。既に爆発物処理班にも出動命令を出されたことでしょう。原因究明の為にね」

「つまり私が入手した情報は、君達の中で使われる隠語と言うことか……‼」


 渡真利は怒りを隠すこと無く渡真利にぶつけた。


「警備局長、今私を更迭しようと動いたとしても、更に上層部(うえ)の人間がそれを止めるでしょう。これ以上警察の威信を損なうようなことを望まない方々の意思によって、今の私がいるのです。そしてあなたはその方々の前では無力でしょう」


 権蔵の怒りにし大して全く意に返さない様子の渡真利は、そこまで言った後に彼の方を振り向いてこう言い放った。


「あなたが私に対してどう思おうがそれは私の感知するところではありません。ですがあなたのその些細な怒りと比較すれば、私のあの害虫共への憎悪はそのはるか上を言っていると自負しております」

「……もう何を言っても無駄なようだな……」


 渡真利の自信をも上回る怒りと憎しみの籠った眼差しに対し、権蔵は先程までの怒りの視線を改め、諦観と憐みにも似た視線を送りながらそう言った。


「リーダー‼」


 そんな彼の隣で、姉川は毅然とした表情で渡真利を睨んだ。


「いくらMASTERを討伐する為とは言え、このようなやり方は間違っています‼」

「……君の言っていることは正しい、このやり方は確かに間違っている。それくらいの自覚はあるさ。だが正論を吐くだけでは、正しいやり方だけではいかんともしがたい時もあるのだよ」


 そうつぶやきながら渡真利は表情を硬くさせた。まるで義務感でこの行為を行っているかのように。


「リーダー……‼」


 その気迫に圧倒されながらも、姉川は一歩も引かずに彼の姿を視界に捉えて対峙するのだった。

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