13 魔術師、問う。

 数分後、ナツメに完膚なきまでに叩きのめされたニコラリーが、そこにいた。クラウスが言っていたように魔力で防御膜を張れれば随分違うのだろうが、相手と自分が動き回ることになる戦闘中にそんな余裕はない。


「主殿、ボコボコだな。ナツメ、見事な太刀筋だった」


「聖剣さんにそう言われるとすごく嬉しいな。ありがと」


 汗一つかくことなく、いとも簡単にニコラリーを下したナツメは、クラウスの誉め言葉に頬を赤くして笑う。あの聖剣に褒められれば、誰でも嬉しさではち切れそうになるだろう。特に剣術を磨くナツメのような剣士ならなおさらだ。


 それでも彼女なり手を抜いてくれていたようで、顔や急所には一度も攻撃を当てなかったり、ナツメがあえて大雑把な立ち回りをしてくれたことで、何となくであるが傭兵の立ち回りに対するやり方も少しわかってきたような気がする。


 ナツメと話し終わったクラウスは、それから草原の上に倒れこんだニコラリーを覗き込んだ。


「主殿、大丈夫か? まだいけるか?」


「ああ……。何とか」


 ニコラリーは全身の痛みに耐えながら立ち上がり、まだまだやる気であるという証の笑みを浮かべる。クラウスはそれを見て、何も言わずに彼の背中を叩いて彼とナツメの間へ位置取った。ナツメもそんなニコラリーを視界に添えて、木刀を構えなおす。ニコラリーも彼女にならって木刀を強く握った。


「はじめっ!」






「ぁあ……死ぬ……」


 テーブルに突っ伏したニコラリーが今にも消え入りそうな声で悲鳴を上げた。その席の向かい側に座っているクラウスは悪戯っ子な笑みを浮かべると、手を伸ばして人差し指でニコラリーの額を押す。ニコラリーは大して対抗することもできず、代わりに「う~」といううめき声を上げて対抗した。


 現在は夜、場所はニコラリーの家の中。あの後ナツメとニコラリーとの模擬戦を数回行ったのだが、ニコラリーはろくに回避もできずそのまま打ちのめされたのだった。


「お疲れ様」


 傭兵の鎧を脱ぎ、代わりに私服に着替えたナツメが料理を乗せたお皿をテーブルの上に乗せた。おいしそうな香りが臭覚を貫き、ニコラリーはその瀕死な状態で顔を上げる。


 今夜のご飯は疲労困憊なニコラリーに代わってナツメが作ってくれた。3人分の料理が準備できたところで、3人みんなで手を合わせる。


「いただきます」


 取り皿に痛みで震える手で料理を取り分けようとするも、震えによりうまくいかず奮闘するニコラリーに、ナツメが代わりに取ってあげた光景や、それを温かい瞳で見つめるクラウス、というほのぼのな一幕もあり、三人の晩餐はつつがなく終わる。


 その後で皿洗いをするクラウスとニコラリー。料理ができない代わりに皿洗いぐらいは、と自ら皿洗いを志願したニコラリーであるけれど、思った以上に冷水が傷口や割れた爪先にしみて痛い。食べてるうちに回復したとはいえ、足に重りが結び付けられいるかのように体が重くて、皿洗いをするると言ったことを少し後悔した。


 ニコラリーの隣で、彼の洗った皿を拭いていくクラウスが口を開く。ニコラリーとクラウスで役割を交代したほうがいいのかもしれないが、手のどこからか気づかず出血していた場合、衛生上の問題で嫌なことになるので仕方なく今の役割についている。


「ナツメだが、とても良い太刀筋をしているではないか。出世するだろうな」


「そうなのか。そういや、確かあいつが第三部隊の副隊長になるみたいな話を聞いたことあるな」


 クラウスの言葉に、ニコラリーがポーションを売るために街へ繰り出したとき、いつも厄介になっている薬屋のおじさんが言っていたことを思い出した。街を守る傭兵部隊は第一部隊から第五部隊まであり、ナツメが所属しているのは第三部隊。第三部隊の副隊長が隊から抜けるようだから、その後釜候補としてナツメがその一人に選ばれているようだ。


 手を動かし、ニコラリーは洗っている皿から流し台に滴る水をじっと見つめる。


「……その、なんだ。聖剣としてはやっぱ剣士に従いたいとか、そういうのはあるのか?」


 皿に水を流しながら、ニコラリーはポツリと呟くように言った。クラウスの皿を拭く手がピタリと止まる。


「俺は剣を振れない。俺の下ににいて、貴方は満足なのか?」


 手を止めて、ニコラリーはクラウスの横顔を見つめた。二人の間に沈黙が生まれ、蛇口から流し台へと流れる水の音がいやに大きく聞こえる。しかしそれも束の間だった。クラウスは口元を緩ませると、すぐに手を動かし始める。


「何を言う。我は今では剣として振られるだけの存在ではない。それも主殿の功績だろう? 我が主殿の傍にいるために似つかわしくない理由は、主殿自らが消したのではないか。我は今の立場に不平はない。我を振るうという考えを頭から消せ。今は別のことについて考えるべきじゃないのか? 我のことは置いておけ」


「……そうか。そうだな」


 ニコラリーは彼女の横顔から視線を目の前の皿に戻すと、再び皿洗いに戻った。


 クラウスが自分の傍にいるために似つかわしくない理由は、自分自らが消した。――計らずともニコラリーは、聖剣が持っていた唯一の役割であり、かつ魔術師であるニコラリーにとって無縁の戦闘スタイルである、剣として振られるという根本的な価値観を、偶然にも知能を与えたことにより崩壊させ、ヒトとしてのクラウス・ソラスを生み出した。剣術を持たないニコラリーが、振るわれるだけの聖剣に別の価値観を植え付けたということになる。何とも奇妙な巡り合わせだ。


「さあそれ洗ったらもう寝ろ。明日もみっちりやるぞ」


 ニコラリーは手の甲の染みる痛みに耐えながら、クラウスの言葉に苦笑いを浮かべたのだった。

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