10 魔術師、吹っ切れる。


「……そのままボコして終わりでもよかったのに……」


「我の力に頼るな、小童。貴様は我の主なのだ。自覚を持て。そして強く在れ」


「……」


 ニコラリーの視界に映る彼女の姿が、古の遺跡の奥深くの神秘的かつ厳格な出立ちで佇んでいた聖剣の姿と重なった。声色もいつものそれより幾分トーンが低く威厳を感じられる喋り方に、ニコラリーの中の軽い気持ちが吹き飛んで真剣さだけが残る。


 同時に、気づくことがひとつあった。それは、本来の彼女はこのようにただ者ではないと、街に出て他人に見せたかったのかもしれない、ということだ。


 ニコラリーはあえて聖剣という出自を隠しているのに、心の奥底では人に見せびらかしたいという二律背反を内に秘めていたのかもしれない。今まで平凡な暮らしの中で平凡とし評価されてきたニコラリーが、突然聖剣を手にした事実が己の中の自己顕示欲を掻き立てていた。男たちに感じたムカつきも、この背景があったからこそ表に出るほど大きくなったのだろう。


 不思議だ。彼女の言葉を聞いた途端、バラバラだった思いが一つにまとまった気がする。


 ニコラリーにとってこのような経験は始めてだった。

 今までのニコラリーをよく知っているナツメやテオドールに、これを知られたら幻滅するのではないかとか、ニコラリーのことはよく知らないが、その話を聞いてニコラリーを身勝手に評価する人物が出てくるのではないかとか、そういう気持ちばかりで先行して気持ちが悪かった。


 しかし今はどうだろう。本当に不思議だ。


「よし……! 稽古、頼む」


「任せとけ、主殿! 一週間で見違えるほど強くしてやる」


 ニコラリーも立ち上がって、クラウスの手を取った。彼女も満足そうにうなずいて彼の手を強く握り返す。


 その一幕をナツメはテーブルへ肘をつき、楽しそうに見上げていた。


 ――そんな中、突如として部屋の扉が、バタン! と音を立てて開いた。三人の視線がすぐさま扉へ向かう。


「やあ。君たちが僕の面子を潰してくれた、貧民どもか」


 二人、正確にはニコラリーとクラウスに向けて暴言を吐く赤髪の男が、そこにいた。


「クロード……!」


「どーも、ナツメ嬢。まだそんな格下の奴と一緒にいるのかい? 見る目がないねぇ」


 ちゃんちゃら可笑しい、といった風に腹を抱えて笑う赤髪――クロード。彼の言葉に、ナツメは顔をしかめた。傍にいたニコラリーも、嫌悪感でクロードから目線を反らす。


 このクロードという男は、いうなれば貴族生まれの傭兵だ。そして剣術もそこそこの腕前で、生まれつき囲いの者からもてはやされてきた。結果、その性格は傲慢で歪に成長した。


「ところで、君か。僕の下っ端どもを蹴散らしたというのは」


 クロードの漆黒の瞳が、クラウスを捉える。


 クロードは名のある貴族である点と持ち前の剣術により、あの三人組のような、同様に親のコネで入ったカタチだけの傭兵たちに幅を利かせていた。まるで子分をまとめるボスのような、そういう役回りを持っていた。


 あの三人組も、クロードの配下にいたのだろう。その彼らが、クロードの忌み嫌っている、家名も無名で金持ちでもないニコラリーのような者に、大衆の前でみっともなく敗北したことがクロードのプライドを傷つけたようだ。


「いいねぇ。ほら、その綺麗な顔で僕の靴を舐めろよ、貧民。そうしたら許してやる」


 クロードは右足を前に出して、クラウスを鼻で笑った。クラウスは彼の無礼な態度に対し、まるで反応せず冷静沈着に応える。


「許す? ――笑わせるな。脆弱な貴様なんぞ、我にとっては雑草のようなものだ。許す許さないも、どうでも良い」


「ふん……。言わせておけば……っ!」


 クラウスの軽い挑発に乗って、クロードは懐に差していた剣を抜刀し、クラウスに切りかかった。ニコラリーは突然のことに反応しきれなかったが、マズイ! と思って彼女に届くはずのない手を伸ばす。


 結局、その攻撃はクラウスには届かなかった。鉄と鉄のぶつかり合った金属音が鳴り響く。その太刀筋を自らの剣で防いだのは、鋭い眼差しをクロードに向けているナツメだった。クラウスはその後ろで、全く動じずにその二人を見ている。


「一般人に切りかかるなんて、免職ものよ!」


「免職だって? 誰が! 僕を! 免職するんだい!? 僕はガイアの家系だぞ! 司法でさえ、僕の靴を舐めるのさ!」


 ナツメの怒号に、クロードは笑い交じりに大きな口を開けて叫び返した。クロードはそのまま拮抗していたナツメの剣を弾いて、ナツメと距離を取る。


 その後、三人を見てフッと鼻で再び笑うと剣を腰に収めた。


「まあいいさ。僕がここに来た目的は、ちょいとした報告を君たちにするためさ」


「報告だって?」


 さっきまで肩の外だったニコラリーが立ち上がり、クロードに聞き返す。そんなニコラリーにクロードが「君、いたんだ。忘れてたよ」と面白おかしく笑いながら言い、再び剣を抜いて矛先を彼に向けた。ナツメがそれに対抗して構える。


「あの三人は、全治一か月以上の怪我で動けなくなった。だから、奴らの代わりに僕が君と決闘をすることになったのさ」


「……!」


 クロードの言葉に、その場にいた三人が目を見開いた。さっきまで全く動じていなかったクラウスまでもが、目を見開いてクロードを見る。その視線に、気持ちよさそうに微笑むクロード。クラウスは確信する。


「貴様……、追い打ちをしたな」


「追い打ちぃ? 何それ? 君がやったんだろ? あんなにも惨く傷つけるなんてね。全くの非道だ。その非道を正すべく、僕が決闘に応じるのさ。君らのような悪人は、この街にいらない」


 剣をニコラリーへ向けたまま、クロードは続けた。


「もし君が決闘で負けたら、そこの薄汚いニコラリー、君はこの街への侵入を今後一切禁止する。もしも殺人鬼に追われていて、この街へ逃げ込もうとしたとしても、この街は君を絶対に入れない」


 勝手な言い草だ。しかし、クロードにはそれを実現させる金の汚い力があった。権力も資産もないニコラリーは、それに対抗することはできない。ナツメが何か言いだそうとした瞬間に、クロードはわざと次の言葉を上から被せた。


「そして、そこの君。中々の顔をしている。だから、僕のペットになれ。飽きるまでかわいがってから、刑務所の醜男の餌にしてやる」


 その言葉の矛先は、ナツメの横を抜けてクラウスへと向けられていた。この無茶苦茶な命令には、さすがのニコラリーも否定しようと身を乗り出すが、それはクラウス本人によって止められる。


 その行為にニコラリーだけでなく、クロードも訝し気な目線を向けた。ナツメの冷静な視線が彼女へ飛んでいる。


 クラウスは笑って語った。


「良いだろう。その条件、呑んでやる」


「――なっ!」


 自身満々なクラウスの言葉。一番その言葉にうろたえたのは、ニコラリーだった。


 あんな態度をとっているクロードであるが、その腕前は独りでもあの三人組より上だ。その三人組にあっけなく負けたニコラリーが、一週間という短時間でクロードに勝てるわけがない。だから、ニコラリーは慌てていた。


 一泊開けて、クロードが勝ち誇る。「確かに聞いたぞ。二言は認めない」とだけ言い、背を向けるクロードに対して、クラウスが聞いた。


「待て。貴様が負けたら、どうなるのだ?」


「僕が負ける? あの貧弱で無能な男に?」


 クロードは顔だけ振り向き、ニヤリと黄ばんだ歯を見せて笑った。


「ありえないな」


 クロードはそれだけ言うと、そのまま廊下の闇の中へ来ていった。


 ついさっきまで温厚な雰囲気があったはずの部屋には、冷たい空気に包まれている。


「……大丈夫なの? あんな見栄張って」


 ナツメがクラウスの方を向いて言った。その言い方は穏和なものとはいえず、若干脅迫めいている。


 そして、ニコラリーは自分の弱さを遠回しに指摘されているようで、胸が引き締められた。自分の目指しているものは、国一番の魔術師。しかしそれが、今ではお荷物のように運ばれているも同然だ。


 金で成り上がって威張り散らしているお坊ちゃまにすら勝てない。その事実がニコラリーの夢を地に落とす。現実に、引き戻される。



「ふん。余裕だ」


 ――ニコラリーは、はっとしてクラウスを見た。


 クラウスの顔は、虚言を語っているような顔ではない。自信満々の、いつもの感じだ。クラウスは続ける。


「主殿、安心と自信を持て。今の主殿には、我がついているのだ。我の誇りにかけて、主殿を見違えらせてやる」


 クラウスの言葉は真っすぐで、ニコラリーの倒れていた心が矯正される気がした。


「明日から、みっちり稽古をつける。死ぬ気でついてくるのだな」


 それだけを言うと、クラウスは厳然たる足取りで部屋から出ていった。


 その威風堂々と出ていったクラウスに、ニコラリーは威圧された。扉が閉じられる。

 はっとして、ニコラリーはすぐに続こうとしたが、ふとニコラリーは――多分、ナツメも――思いついたことがあってその場で待機していると、部屋の出入口からそーっとクラウスの顔が覗き込んできた。


「……道案内を頼む」


 ですよねー。とてもじゃないが締まらない。ニコラリーは何だか疲れてため息をつく。


 しかしそれを見ていたら、ニコラリーは何だか吹っ切れてしまった。

 目の前には天然ボケをかます、めちゃくちゃ強くてきっもたまを持っている彼女がいるのだ。彼女と一緒なら、なんとかなるような気がしてきた。


 ニコラリーは微妙な表情――いや、微笑みを持った表情で彼女のもとへ歩き寄る。扉の先には真っ暗でひんやりとした廊下が先まで続いていた。


「帰るか」


 ニコラリーがその暗がりに足を踏み入れ、それにクラウスが続いたのだった。

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