7 聖剣、キレる


 周りの怪奇そうなたくさんの視線を受けながら、ニコラリーは歩く男たちに連れられていた。


 その行先はやはりというべきか、街の中でも目立たず人通りも少ない路地裏と呼ばれる場所だった。ここで彼らはニコラリーとおっぱじめるつもりなのだろう。


「言い残すことはあるか? 兄ちゃん」


 3人、それぞれ腕を鳴らして胸を張る姿に対抗し、ニコラリーはフツフツと煮えたぎる胸の中のムカつきを表情へと昇華していた。


 そのムカつきの行先は何も知らない彼女を侮辱し続けた彼らに、そして何よりも、



 彼らと似た思いを、自分が抱いていたことに。


「黙ってろブサイク」


 襲い掛かってくる三人の男。ニコラリーは自身の手のひらに魔法陣を展開して応戦しようとするも――。






 クラウスが本を買って店を出たときには、すでに店先にはニコラリーの姿はなかった。


 彼と一緒に何やら話していた男たちもいなくなっている。彼らは一緒にどこかへ行ってしまったのだろうか。クラウスは知らない場所で一人取り残され、ポツンと一人ぼっちの寂しさを感じた。


 とりあえず、初めての買い物である本を抱いて、壁にもたれかかってニコラリーの帰りを待つ。


 一分、五分、十分。いくら待てど彼は一向に帰ってこない。


 クラウスは背中を壁につけ、足をぶらぶらと遊ばせながらていた。適当に足をぶらつかせておきながら、しかしその表情は決して穏やかなものではない。


 クラウスはぼーっと虚空を見つめてこの街に来てからの自分の行動を顧みていた。ニコラリーにたくさん咎められても気にならないほど、クラウスの心は頑固ではない。


 知的欲求が高すぎる故に、彼女からすれば3000年後の未来の世界で、彼女の知る世界とは思えないほどに発展した光景を見て冷静でいられず、思わず暴走気味になってしまった。


 そこに悪意はない。故に後悔もしているし反省もしていた。


『オイオイオイ! 売り物を店の外に持ってきちゃダメだろ!』


『そうそう! そりゃ万引きだぜ万引き!』


 さっきの男たちが言っていた言葉が脳内を反芻する。それによって今まで考えていた思考回路が一気にバラバラに砕け散り、再び再構築を始めた。


 ――変なプライドで思考を濁すのはやめにする。モザイクのない視点での思考回路が再編成され、鮮明に思考として刻み込んでいく。


 ニコラリーに絡んできていた男たちは、きっと自分のことをバカにしていたのだろう。それを材料にして彼女と共にいたニコラリーにたかっていたのだ。


 自分のせいだった。欲求を抑えきれなかった。今ニコラリーはどこにいるのだろう。絡んできていた男たちに何かされていないだろうか。心配ばかりが頭の中で募っていく。


 今すぐにでも彼を探しに行きたいのはやまやまであるが、彼女の足を止めていたのはまさしく彼の言葉だった。


『あの、もうちょっと大人しく――』


 クラウスは自己分析ができていた。自分が勝手も分からずあちらこちらを縦横無尽に行きかい、また何かをやらかしてしまった場合、その尻拭いをするのはニコラリーになってしまう。


 今日だけでも、さんざん迷惑をかけてしまっている。これ以上は迷惑をかけられない。故に、ここで静かに待っていようという保守的な考えがあった。


 しかし、逆にニコラリーを探しにいかなくてはいけないだろう、という考えも存在していた。


 ニコラリーと一緒にあの場にいた男たちの間に、友好的な関係が生まれるとは到底思えなかった。


 そして、時間を挟んで帰ったその場所にはニコラリーと男たちの姿はない。それは男たちとニコラリーで別々の時間帯に去っていった、というよりも男たちとニコラリーが一緒にどこかへいた、と考える方が妥当であるとさすがのクラウスにもわかっていた。


 探しに行ったほうが良いのではないか、という心配も確かに存在している。


 両方の思考はせめぎ合っていたが、時間がたつにつれて後者の思いが強くなっていった。


 ニコラリーがどこかで男たちにひどい目にあわされているのではないだろうか。不安が大きくなっていき、もしそうならとただ何もせず待っていた時間がずっと惜しく思えてくる。


 初めて来た知らない街で付添人もない状況で、主を探しに街へ繰り出すか。どうするのが正解なのか。


 クラウスはその場を動かなかった。しかし動かなくても時間は知らずに進んでいく。


 ニコラリーが返ってくる気配は全くない。探しにいきたいが、どこをどう探せばいいのかわからないし、この場所に戻ってこれるかも怪しい。


 でもこの場所にはニコラリーがいないのだ。自分の主が、ここにはいないのである。



 クラウスは壁から離れて一歩踏み出した。



 背中が壁から離れてからは早かった。踏み出したその足が数歩進んだときには歩みが小走りになっており、大通りをキョロキョロと見渡しながらニコラリーがいるかどうか探していく。


 たくさんの顔を見たが、その中にニコラリーはいない。探せば探すほど、どうしてもっと早く探しにいかなかったのか、という後悔がどんどん膨らんでいった。


 そしてそれは焦りへと直結し、足の速度を速める。嫌な予感が頭の中をよぎっていく。


 見知らぬ人に話しかけてみても、具体的にどこへ行ったかを知る者はいなかった。


 ただ、彼が質の悪い傭兵たちと一緒にいたのを見た者がいた。その容姿が本屋の前でからかってきた男たちと一致してると知るや否や、もういてもたってもいられなくなって、向かい側から来る歩行者など目もくれずに駆け回った。それでも見つからない。


 クラウスにとって、エインアリーの街中は複雑で広すぎた。額に汗を流しながらも走り回って、ニコラリーの居場所を探し続けた。


 ふと、鉄の鎧を着た集団が一方へ向かっていくのをクラウスの視界がとらえる。まさか、と体の芯を冷たい棒が通ったような嫌な感覚が過ぎ去り、慌ててそのあとを追う。


 その傭兵の行先は、寂れた路地裏前だった。その集団がついたころにはすでに傭兵などがある程度集まっており、何かが起こったあとのようだ。


 クラウスは震える手を抑えて、その場所へゆっくりと近づいていく。


 近づくにつれ、その傭兵たちの真ん中で小難しそうなにガバンに挟んだ紙を睨みつけている、女性の傭兵が見えた。


 クラウスは彼女を知っていた。清潔な黒髪は鎧をつけていても嫌なねばつきを感じさせなず、ただピシリとした厳粛な雰囲気を保っている。


「な、ナツメ!」


「――!」


 クラウスの声に、まるで前もって聴く準備をしていたかのような速度で反応し、数多の野次馬の中から彼女の顔をすぐに見つけ出したナツメ。


 隣にいた傭兵に一声かけてから、野次馬の観衆の間をかいくぐりながらクラウスの下へ向かってきた。


「あ、主殿は」 


「しっ」


 クラウスの反射的に出てしまった声量の大きい声を、途中でナツメが人差し指を差し出し中断させると、クラウスに耳打ちをした。


「ニコは無事よ。今は治療のために詰め所にいる」


「そ、そうか……」


「うん。それで伝言があるんだけど……」


 ナツメはそこで言葉を切った。クラウスは眉を潜めて次の言葉を待つ。聞く気満々の彼女にひくに引けなくなったナツメは、次の言葉を紡いだ。


「『ごめん』って。これってどういう意味……ってちょっと! 詰め所までうちの傭兵が案内を――」


 ナツメが言い切らないうちに、お礼も言わずにそこから立ち去るクラウス。ナツメの制止も聞かずに彼女は駆けだしていた。一心不乱に駆け出すクラウスの心情は、いうまでもなく穏やかなそれとは一線を画すものであった。


 クラウスにニコラリーが残した『ごめん』というシンプルな伝言は、彼女の中にあるものを発火させた。


 彼が誰にやられたのかなんて一目瞭然で、その実際の人物もこの目でちゃんと見ている。あの三人の男が犯人なのだ。そいつらを探せばいい。


 クラウスは我も忘れてそいつらの行方へと向かった。


 ここでクラウスは無意識に千里眼クレヤボヤンスの力が発現していた。二つの瞳とはまた別の、いわば第三の瞳ともいえる視界が解放され、脳内にその映像が浮き出てくる。

 それはクラウスの本来の視界からは見れない地点から、彼女の周囲を白黒の映像として映し出していた。


 その膨大な情報量を誇る視界であるが、普通に扱うならば視界が巨大すぎて探し人を一人探すのに時間と労力がかかるであろう。


 しかしクラウスにはまだ眠っている潜在能力があった。


 勘の領域を超えた超感覚を寄せ付ける『末那識まなしき』。――それも千里眼によって得た膨大な視界から、三人を見つけ出すための感覚として、端くれではあるが覚醒した。


 千里眼と末那識の端くれ、その二つの能力が無意識に発動し、目的の三人がすぐに見つかった。クラウスは目もくれずにその場所へ向かう。


 その場所とは、エインアリーに存在する各大通りをつなぐ交差点であり、その真ん中に噴水とそれを囲むベンチが置いてある憩いの場だ。


 噴水の真ん中には銅像が配置されていて一種のシンボルとなっており、男三人はその噴水の脇に座って談笑していた。


「おい」


 クラウスは男たちと数メートルという位置で仁王立ちをし、話しかけた。男たちはその声に気づいて一斉にクラウスの方を向いたと思うと、どっと笑いが巻き起こった。三人のうちの金髪の男は言う。


「おっ! さっきボコった奴のアホな連れじゃねえか」


 クラウスの神経は今まで以上に張りつめていた。それはまさしく爆発寸前の爆薬であり、男たちの行為はそれに火をくべているようなものだ。怒りのボルテージが確実に上がっていているのは言うまでもない。


「もしかして、あいつを見限って俺たちのほうに来たってワケ? ぎゃはは! いいぜ、買ってやるよ!」


 スキンヘッドがとてつもなく悪い姿勢で舐めるようにクラウスを見ながら、その直前まで迫ってくる。そしてその手がクラウスの白い頬に触れようと伸ばされたところで、



「――ッ!」



 生理的嫌悪感。クラウスに内在された怒りの一部が魔力となって放出され、近づいてきたスキンヘッドを吹き飛ばした。


 その魔力により、クラウスの足元のタイルが彼女を中心とした複数の円の円周上を辿るかのようにヒビ割れ、それに一瞬遅れてその円板内のタイルも大きすぎる力を前に一斉に窪んだり隆起した。


 前振りもなく予想外で不可視なるその攻撃にスキンヘッドは対応できず、噴水の中に飛沫をあげて落ちていく。


 その一瞬の、クラウスにとってはコップから一滴の水を垂らしたかのような微弱な魔力で、さっきまで賑わっていた会場の雰囲気を一気に沈黙させた。ベンチの中のひとつが、窪んだ石畳のヒビにとうとう呑まれて崩れ落ちる。


 クラウスの怒りの対象とされ、噴水からの中から起き上がらないスキンヘッドを除く残りの二人は、声も出せずに震えていた。


 怒りの矛先を向けられていない、周囲にたまたまいた第三者でさえ金縛りにあったかのように動けず喋れないのだから、まさに矛先が向いている男たちにおいては呼吸すらも忘れてしまうほどの恐怖に支配されていた。


 クラウスが右手を前にかざす。その行為を止める者はいないし、止められる者もいない。


 クラウスはごく普通に右足で一歩、踏み込もうとする。足が地面から静かに離れて、それが着地した瞬間に轟音と共にその地面は抉られ衝撃波が広がった。


 足を踏み込んだクラウス自身は姿を消す。――否、右足の一歩からの超神速で、常人では認知できないほど速く移動したのだ。その先は言うに及ばず、もちろん残っている男たちに向かってだ。


 クラウスの感知していた世界は、凡人からするとスローモーションのような世界であった。目にも止まらない、傍から見れば一秒にも満たないであろう超神速の間にも、クラウスが精密な動作をしながら思考を練ることができる時間間隔を持っていた。


 そのコンマゼロ秒以下の、意識が時の流れを緩慢なものに超越し屈折した世界で、クラウスは手刀をあの二人に叩き込もうと決めた。これで、ニコラリーの顔も立つ――、



 待て。違うのではないか。



 クラウスは考える。時が意識的に緩慢となった世界で、超神速を放ちながら考えた。


 ここで男たちを始末したら、ニコラリーはどう思うか。それを見た他の人はどう思うか。クラウスとニコラリーの間柄は、従士と主という上下にある。主が敗北した相手を従士が圧倒的な力でねじ伏せたとして、周囲の人は、ニコラリーはどう感じるであろうか。


 ニコラリーはクラウスの主だ。故にニコラリーの顔を立てなければならない。


 しかし今回のように、貧弱なニコラリーがやられた報復として、強大すぎるクラウスが出っ張り圧倒的な力で葬ることを続ければどうであろうか。


 ニコラリーは、いや、彼に限らずクラウスに守られる者の成長はそこで止まり、ずっと弱いまま。周囲からの評価も、それはクラウスがいる前提での恐れを含んだものとなり、本人単体での評価は圧倒的に低いものになるであろう。


 クラウスが無駄に出張った結果、主の成長する機会を奪い成長を止め、悪い方向へと流れていくような気がしてならなかった。


 ふいに、ニコラリーからクラウスへの伝言を思い出した。『ごめん』と。『頼んだ』とか『やり返してくれ』なんてものではなく、『ごめん』。


 そう伝言を残したニコラリーの気持ちとは。そして紆余曲折してたどり着いたクラウスの答えとは。



 時間の流れが独立した意識空間から放たれ、万国共通のものへと同期する。


 クラウスの超神速は数メートルという短い距離だけに使われ、その着地に伴い地面が沈没し辺りの石畳がバラバラに吹き飛んだ。


 それとほぼ同時に彼女から放たれた手刀は名刀の一振りだとかそういう次元ではなく、射程を無視して噴水を真っ二つにし、さらに銅像までもバラバラに千切りにするという、威力も射的距離もさながら、切り口が一線ですらなく歪曲している代物だった。バラバラに刻まれた銅像のかけながら噴水に落ち、噴水の水は切られた仕切りの切り口からあふれ出していく。


 その斬撃を直近で体験した男二人は、生きているのにも関わらず、生の実感を失っていた。


 クラウスは一息つき、その場で直立しなおした。そして青い顔で彼女を見つめ続ける男二人に言う。


「これは、宣戦布告だ。貴様らに不条理に襲われ怪我を負った我が主殿との再戦を、一週間後にこの場所で行うことにする。もちろん、貴様ら三人と我が主殿一人の、変則的な決闘だ。この決闘は、一方的に敗北した我が主殿の名誉挽回の機会であり、先に仕掛けてきた貴様らが逃げることは許さぬ。そして、この決闘において手を抜くことも許さぬ。精々それまでに腕を磨いておれ。主殿は、そのさらに上を行くだろうが、な。刻は十時。――今のこの舞台は、その聖なる決闘にふさはしくないな」


 クラウスは片手をあげ、そこから魔力を放出し始めた。


 エメラルドグリーンのベールが彼女を包み込み、彼女の魔力によって崩壊されたその広場に、息吹が吹き荒れた。


 ――『再生魔法』。壊れたものを本来の材料さえ残っていれば、修復を可能にするという超上級魔法だ。


 彼女が背を向け、その場に去ろうとしているのにも関わらず、魔法による修復は続いていく。


 バラバラにされた銅像は切れ口がわからないほどに綺麗につなぎ合わされ、沈没したり隆起したりとぼこぼこになっていた石畳は、吹き飛んだ小さなタイルのカケラがあちらこちらに舞っては埋め込まれていき、ゆっくりと徐々に元の平らなものへと戻っていく。

 壊れたベンチは風に揺られて低空から急上昇した凧のように組み立てられ、噴水から漏れていた水は止まり、いつしかいつもの光景が戻っていた。


 そこにいた者にとって、突然始まったさっきの光景はまるで夢を見ていたようなものだった。


 金髪の男は動悸をする胸を抑えながら、噴水の中をのぞいて確信する。最初に吹っ飛ばされた、スキンヘッドの男が沈んでいたからだ。


 あれは白昼夢でも幻でもなかった。現実だ、その事実に、宣戦布告に、体の芯から震えていた。








 爽快とその場から退場したクラウスであるが、ちょっと歩いたところでとあることに気づいた。


 三人の男を探すために千里眼と末那識を用いた彼女だが、それは無意識化で潜在能力を使ったにすぎず、意識的にそれらを呼び起こすのはまだできないのだ。


 クラウスは周囲を見回す。知らない人、知らない建物、知らない道、知らない光景。頼れそうな人は誰もいない。ここがどこかも分からない。クラウスは心細さに途方にくれて、ぎゅっとスカートの端を握りしめた。



 彼女がナツメに発見されたときは、すでに日が落ちており、寂しさと心細さで涙目になっていたことをここに記しておこう。

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