あまなのはじめてのおつかい ②


 昼食の後片付けを終え、いよいよ天那がおつかいに出発する時間となった。


 来週には12月というのもあり本格的に冬の寒さが目立って来ているため、天那の装いは白いファー付きフードが特徴のピンク色のジャンパーを羽織り、パステルブルーのチェックスカートに黒タイツを穿き、茶色のブーツと白い手袋という温かなモノで纏められている。

 背中のリュックには財布はもちろん、買った醤油を持って帰り易くするための小さいエコバッグが入っており、天梨が如何に入念な準備を凝らしたのかが窺える。


「天那。お財布とハンカチとティッシュは持ちましたか? スーパーまでの地図は大丈夫ですね? 防犯ブザーは手の届く位置に付けていますか? 慌てず走らずゆっくり行くんですよ? 知らない人に声を掛けられたりお菓子を見せられても付いて行ってはいけませんよ? 他には──」

「その確認の下りもう4回目だぞ。心配性も程々にな?」 

「和さんは何も分かっていません!! 外は危険が一杯なんですよ!?」

「その有り様でよく今まで学校に行かせられたな……」


 目線を合わせて何度も同じ確認をする天梨のあまりに過保護な言動に、和はツッコミを放棄して呆れるしかなかった。

 確かに外には危険が多いので彼女の心配も分かるのだが、マンションがある地域の治安は然程問題視されていない。

 それは幼い天那が毎日学校に通えていることからも明らかだ。


「あまな、がんばっておしょーゆかってくるねー! いってきまーす!」

「おう、いってらっしゃい」


 この数週間ですっかり慣れてきた挨拶に背中を押され、天那はスーパーへおつかいに出掛けた。

 

 空は晴天、気温は肌寒いが着込んでいるためあまり問題ない。

 はじめてのおつかいに、小さな足は心なしか浮足立っているようにも見える。


 目的地のスーパーまでは1㎞程の距離があるが、マンションを出てから左に曲がって一直線に進むだけで辿り着ける。

 途中で信号のある交差点が4か所あるものの、信号無視をするような性格ではないので心配はない。

 買い物時間を含めたとしても、往復でおよそ1時間程度で済む。


 そんな順調に思えるおつかいだったが、天那はその歩みを止めざるを得ない状況に直面する。

 それは……。


「バウッ! バウッ!」

「わぁ、おっきいワンちゃん……」


 道路沿いの住宅の庭で、すれ違う人や車に向かって手当たり次第に吠えまくる大型犬がいた。

 その大きな体格に見合う大声の威嚇は、今にも噛みついて来そうであり、通りすがりの大人でも肩を揺らす程に驚かさせている。  

 特に母親と並んで歩いていた小さな男の子が、すっかり怖がって泣き出している姿が目立つ。

 柵が防波堤となって実際に襲われることはないが、それでも犬の気迫は子供にとって十分な脅威である。


 無論、天那とて例外ではない。

 大きな犬にああも吠えられては、足が竦んでしまいそうになる。

 出来れば遠回りしたいところだが、犬を飼っている住宅の周辺には回り道が存在しない。

 

 だが、ここで立ち止まるわけにも引き返すわけにいかない天那は、意を決して犬の前を通り抜けるべく歩みを進める。


「バウバウッ! バウッ!!」

「うっ……でも、だいじょーぶ……!」


 1mも無い距離で吠えられ、小さな体をビクッと揺らしながらも、足早に通り抜けていく。

 犬の鳴き声が後方から聞こえるようになり、天那はようやく安堵の息を吐いた。

 帰る際も同じ道を通る必要があるが、吠えられるだけだと分かれば今回よりも恐怖は和らぐだろうと思い直す。


 思わぬ足止めを受けてしまったが、天那は気を取り直してスーパーへ向かう。


 その後姿を、陰ながら見守る男女の存在に気付かないまま。


 =====


「あんなに気性の荒い犬を庭に出すなんて、近所迷惑じゃないでしょうか……?」

「単に人馴れしてないだけだろ? それより、あまなちゃんを追わないと」

「もちろんです。そのためにこうして後を尾けているんですから」


 その正体は和と天梨であった。

 天那に尾行がバレないように、2人とも変装をしている。


「さっきも聞いたけど、天梨の変装は本当にそれでいいのか?」


 スーツ姿に伊達メガネを掛けたサラリーマン風の和がそう疑問を口にする理由は、変装した天梨の姿にある。

 何せ、彼女は髪を三つ編みに束ねた上で、たまたま残っていた高校時代の制服ブレザー&スカートを着ているのだ。

 確かに普段の天梨と比べると気付きにくいが、20代真ん中であるにも関わらず制服をチョイスしたセンスに、和は呆れと動揺を隠せない。


「どちらかと言えば恥ずかしさはありますが、意外とすんなり着れたので問題ありません」

「さいですか……」


 天梨の言葉をそのまま受け取るならば、彼女は高校卒業時から体型が変わっていないということになる。

 事実、その若作りと思わせない着こなしぶりは見事という他なく、誰が見ても大人びた女子高生にしか見えなかった。

 学生時代から歳を重ねているとはいえ、彼女は昔から人目を集めやすい容姿をしているのだと実感する。

  

 ──どうか、女子高生を連れ回す成人男性として通報されませんように……。


 和は密かにそう願いつつ、スーパーへ向かう天那の後を追う。

 2つ目の交差点に着いた段階で、小さな変化が起きた。


「おばーちゃん、おにもつおもいの? あまな、おてつだいするね!」

「あら、可愛い子ね~。ぜひお願いしちゃおうかしら?」

「はーい。まかせて!」


 隣り合った老婆の手押し車に乗せられていた荷物の一つを抱えたのだ。

 歩幅を合わせながら荷物を運び、揃って信号を渡り終える。 


「お嬢ちゃんのおかげで楽が出来たよ~」

「えへへ、よかった! あまな、おつかいのとちゅーだから、そろそろいくね!」

「まぁ偉いねぇ~。転ばないように気を付けてねぇ~」

「うん! バイバーイ!」


 そんな微笑ましいやり取りをした後に、天那は三度スーパーに向かって歩き出した。

 天梨から知らない人に話し掛けられても付いて行くなと言われていたが、困っている人を放っておけない純粋な優しさを見て、和はほっこりと温かい気持ちになる。


「あまなちゃんらしいよなぁ……」

「──えぇ。自慢の娘です」


 無意識の内に零れ出た呟きは、噓偽りなく天那を称賛するものだ。

 天梨も一連の様子を見て、感慨深い眼差しを浮かべながら同意する。


 そうしていよいよ、天那は目的地であるスーパーへと辿り着いた。

   

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