ふたりは一人暮らし

村井なお

第1話 カップ麺

「カップ麺の賞味期限って、意外と短いですよね」


 隣に立つ津久井つくいさんがそう言った。


「半年くらいで切れるよね」


 僕がそう返すと、津久井さんは少しだけ頭をこちらへ寄せてきた。


 平日16時台の下北沢しもきたざわ駅には音があふれている。人の足音、駅の案内放送、電車の走る音。そんな雑多な音の中で、雑談の声を拾うのは意外とむずかしい。


「でも、あれって『賞味』なんですよね。『消費』じゃなくて」


「『賞味』しようよ。『消費』じゃなくて」


「『賞味』しなくても人間は生きられます」


「その発言、きみの人間レベルに暗雲立ち込めさせてるよ」


「そんなことないですよ、センパイ。わたし、常識のあるとこを披露しただけです」


「常識的な人間はカップ麺の寿命を意識しないと思う」


 僕がそう言うと、津久井さんは「ふんっ」と鼻で笑った。


「語るに落ちてますね。自分だって賞味期限の長さ、知ってるくせに」


「ぼくは常識人より上を行ってるんだよ。きみは下だけど」


相模さがみセンパイ、カップ麺の賞味期限切らしたこと、あるんでしょう?」


「……一人暮らしを2年もしてるとね、いろいろなことが経験できるんだ」


「ほらあ」


 津久井さんは「ぷぷう」と手で口をおさえて笑った。


「あれは惜しいことをした。期間限定のメープルきつねそば、食べてみたかったな」


「え。もしかしてセンパイ、捨てちゃったんですか?」


「賞味期限、2週間も過ぎてたからね」


「えー、もったいない」


 津久井さんが大げさにのけぞる。


「だって『賞味』期限ですよ? 半年くらい過ぎててもだいじょうぶですよ?」


 津久井さんの人間レベルが5下がった。


「いくらなんでも半年はお腹壊すよ」


「たしかにお腹痛くなって泣きました」


「津久井さんの人間レベルが10下がった」


「学習しましたよ。胃薬は常備しておくべきだって」


「こうして人間は成長していくんだね」


「まあ、10分もしたら治ったんですけど」


「津久井さんは脳みそより胃腸を進化させた種族なのかな」


「やっぱり日本の製麺技術はすごいんですよ」


「人のせいにするの、よくないよ」


 そのとき、ふと気づいた。


 津久井さんは高校入学のため東京に出てきたらしい。


 今は3学期。津久井さんはもうすぐ2年生になる。


 一人暮らし歴は約1年。


 カップ麺の賞味期限はおよそ半年。


 彼女は賞味期限が半年過ぎたカップ麺を食べた。


 半年+半年=1年。


「津久井さん、それいつの話?」


「今朝です」


「4月に買ったカップ麺、そのまま忘れてたの?」


「一人暮らし始めるとき、楽しくていろいろ買っちゃいますよね」


 津久井さんはぺろっと舌を出した。


「で、キッチンにしまいきれなくてベッドの下に隠していたらですね」


「誰から隠してたんだ」


「センパイも経験ありますよね。大事なものはベッドの下ですよね」


 と、そのとき。


 駅の案内放送が、階段の上、かしら線ホームの方から聞こえてくる。案内放送は、各駅停車の到着を告げている。


「電車来たみたいですね」


 津久井さんはそう言って、上り階段の方へと一歩を踏みだした。


「今日は間違いなく津久井さんの方が人間レベル低かったね」


 振り返った津久井さんが唇をとがらせる。


「わたしの方がたくましいってことですよう」


 僕は下北沢の駅から小田急おだきゅう線各駅停車に乗る。


 津久井さんは井の頭線各駅停車に乗る。


 この時間、各駅停車は10分に1本走っている。


 僕たちはいつも、各駅停車を2本見逃してから帰る。


 その20分。駅の通路の端っこに、僕たちは立っている。


「じゃ、センパイ。おつかれさまでした」


 津久井さんが右手で敬礼する。


「おつかれ」


 小さく手を振って返す。


 津久井さんが背を向けると、背中までの髪がふわりを舞った。


 僕も小田急線のホームに向かう。




 僕と津久井さんは、一人暮らしをしている。


 そして20分の間だけ、僕たちはふたりになる。

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