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「こっちがバニラで、こっちがレモン。ミントも入れてみたから大丈夫、だといいな」
当然モドキである。やたらと上機嫌なシイナは、トレイ二つ分、計十八個のマドレーヌを並べ、はにかみながら説明した。新しいレシピとは香辛料の組み合わせを指していたらしい。明らかに違う菓子を期待していたソフィアなぞ、がっかりしていてもおかしくないのに、しかしこちらもご機嫌だ。両手の指で抱えたマドレーヌ一つを恭しく掲げて、深呼吸を繰り返しながら悦に浸っている。
「これいー。いーですよ。すーっとする、すーって。れもーん!」
「おい、どうした?」
おかしなものでも見るように、若干距離を空けながら問うカノン。その手には同じくレモン香るマドレーヌが半分。すでに試食済みだった。
「でもほんとだ、大丈夫そう」
「お腹減らない?」
「ずっと減ってる」
「じゃあ大丈夫だね」
「どういう意味だ?」
「どんなこー果なんですか?」
「滋養強壮、かな」
「いよいよ薬ですねー。でもー、うーん、分かんない」
「シイナ、ちょっとこの桶、運んでみない?」
「やだよ、絶対違う事企んでるもん。何で持ってきちゃったの⁉」
「ほら、もう戻すしかないよ?」
「自分でやって」
口を尖らせながら、並々と水の張られた手桶を持って引き下がるカノン。シイナでなくても見るからに十分重そうだし、溢しそうで危い。実際カノンも、そうっと運ぶ腕がプルプルしていた。
腰に手を添えながら見送ったシイナは、ふぅと鼻から息をはくと、カウンターのこちら側で腰掛けた。わりと立ったり座ったりするので、こちら側に二つ、持ってきてしまったのだ。一緒にマドレーヌを摘まんでいると、対面のソフィアが何事かを思い出した。
「んー、れもーん。あそーだ。シイナ、時計ほしーんですか?」
「えっ、あ、はは」
「このタイマーじゃ駄目なの?」
戻ってきたカノンが、シイナの隣に腰掛けながら問うた。ゼンマイ式のタイマーは、これまでの所目立った不都合はない。あえて難点を挙げるなら、音が慎ましく、三人がかしましいと聞こえ辛い位。
「それは、それ」
「これはこれ?」
「そうそう。これは、これ」
「だから何よ?」
「すっごい悩んだ挙句に、溜息つきながら帰ってたーって聞ーたんですけど」
「そうだよね、筒抜けだよね」
「言ってくれれば、良さそーなの見繕いますけど?」
「ダメだよそんな、これ以上は」
「へ?」
「なんで今更?」
にわかに気色ばむシイナの前で、ぽかんとする二人。呆けた理由は、シイナの突然の変容か、その言葉の内容か。何にせよお互いがお互いを理解できずに居る。
「だって、ツケだよ?」
「だから、なんで今更」
「あー、踏み倒すんですか」
「ちょっとちょっとぉ、流石にそれは困るよ?」
「そんなんじゃないよ。なんでそうなるの?」
「えぇ、だってさぁ」
「悪い事しないなら、どーどーとしてたらいーんじゃないですか?」
「それ、ルカにも言われたんだけど」
「そりゃそうでしょ。やたら申し訳なさそうにされるとさ」
「ですねー。悪い事する気なのかな、って」
「そんなつもりないのに。でも、お金借りること自体、悪い事じゃない?」
「なんで?」
「しょーがないじゃないですか。無いものは無いんだから」
「そういうもの?」
「だってそーしないと、何も出来ないでしょ」
「でっかくなって、色付けて返してやればいいじゃん?」
「あなたやっぱり、結こーコスいですよね?」
「え、金貸しってそういうもんじゃないの?」
「そりゃ利益は見込みますけど、別にお金増やしたいわけじゃ」
「そっか。ちゃんと払うって伝える為にも、堂々としてないとダメなんだ」
やいのやいのと冗談半分に盛り上がる二人を見つめながら、シイナがボソボソと呟いた。その表情は真剣そのもので、二人もつられて居住まいを正す。二人とて元々揶揄っていたのでは無いが、そこまで深刻に話していたつもりもなかったのだろう。
「まーそーですね。尊大になられても腹立ちますけど」
「なんかオドオドしてると、後ろめたいことが有るのかなって疑っちゃうかな」
「逆手に取るのも居ますけどね。その辺はこっちの審美眼の問題なんで」
「要るものは要る。堂々、と。そっか、うん」
「あれ、なんでしょー、嫌な予感してきた」
「さっすが、支部長殿の審美眼」
「えぇー。信じて、ます、よー」
「うん、ありがとう」
今日は目の前に広げられているものが全てだから、シイナが途中で席を立つことは無い筈。持ち込まれた椅子は、早速目的を見失っているが、三人で過ごす時間が中断されないのなら、それに越した事は無かった。
モソモソと食べる事に専念する三人。味と香りを楽しみながら、しばし安らぐ。しかし長くは続かなかった。こっそりと伸ばされたカノンの手を、シイナがパチッと打つ。
「いてっ」
「要るものは要る、欲しいものは欲しい。けど、れそれはそれ」
「これは、これ? くそぅバレないと思ったのに」
「いや、無理でしょ、ふつー。ところでシイナ、何かありました?」
「えっ?」
「ああ、なんか機嫌いいよね」
「そう?」
「それもありますけど、何かやたら気に入ってません? 要るものはーって」
「ああ、うん。同じような話をされたの。夕方位、かな」
「へー」
「へぇ」
「ウィウスさんって人と会ってね」
「は?」
「あー、あのハゲちゃびん」
自然体のシイナから飛び出た名前に、カノンが硬直する。ソフィアからすれば、こちらも何でもない事らしい。そうして温度差が生まれた。
「待って待って、めっちゃ偉い人じゃん」
「うん、工芸区のトップだって」
「いや、それどころじゃ」
「まー、間違っちゃいないでしょ」
「そりゃそうだけど。え、なにこの感じ」
「どうしたの?」
「シイナはね、知らないだろうし。ソフィアもあっち側か。私がおかしいの?」
「取敢えず落ち着きません? えっと、シイナ」
「何?」
「ヨスカロ―の話ってしましたよね?」
「うん」
「この辺って、おっきーな所が後二つありましてー」
「なんだろ、分かったかもしれない」
「あってんだろうなーとは思いますけど、一応全部説明しますね」
「お願いします」
「とー然ですけど、おっきー集落には産ぎょーがあって、立地が違うから内よーも違うんです。これがまー、いー具合にスパっと分かれてまして」
「うん」
「一番、人が多いのがここなんで、出先とゆーか出ちょーさきとゆーか、それがこーげー区なんです」
「うん……」
「さっきもいーましたけど、スパっと分かれてて、独立せーが高いといーますか」
「平たく言や、仲悪いのよ」
「あぁ……」
「険悪とまではいきませんけどね。そんな人たちが一か所に押し込められてるんで、」
「そんな所の、トップ……」
「ついでに言うと、この街が一番でっかいじゃん? だから、この街対それ以外みたいなところ、あるんだよね」
「まー、そーですね。あの二人が顔合わせれば、たいてーの事は決まりますね」
「あんたもだろうが」
「私はよーぼーゆー側なんで」
再び同じ構図を描く三人。カノンにすればやっかみ半分、ソフィアにすれば冗談半分。けれどシイナは全力で本気だった。その真面目な顔に引っ張られて、二人が姿勢を正す。カップを持ったまま硬直しているシイナを、カノンが横から覗き込む。
「シイナ?」
「あ、ごめん。ソフィア、今、二人って言ったよね?」
「はい。ちんちくりんとハゲちゃびんですね」
「あんたいつか酷い目遭うよ?」
「でも事実ですしー」
「ちんちくりん……」
「ちょっと、シイナ? それ、外で言っちゃだめだからね」
「言わないよ。ただ、誰かな、って」
「ああ、町長さん。確かに小さいんだよねぇ」
「町長さんね。うん、小さかった。マーロさん、だよね」
「そーですねー。ん?」
「うわぁ、そっちもかぁ」
「あ、はは。明日、お茶する事に」
「え?」
「えー、よく掴まりましたねー」
「そういう問題⁉ あ、そうか。あんたからするとその程度か。えぇぇなにこれぇ」
「あ、あはは。カノン、厨房借りるね」
「別にいいけど、今から? え、もしかして、これ持ってくの?」
「体調悪い人手を挙げて!」
「へーきでーす。んー、れもーん」
「あんた凄いよ……」
「後に引けないの。今気づいたの」
重苦しい足取りで調理場へ入っていく背中。残されるヘラヘラ顔と愕然顔。カノンとて手伝いたいだろうが、状況が状況だけに手出しが躊躇われるのだろう。形容しがたい空気に囚われた食堂に、シイナがひょこっと顔だけ戻してきた。
「ねぇカノン、魔法瓶ってある?」
「うん、三番目の、って、持って行ける?」
「台車ってあるかな?」
「そっちのほーが重いでしょー。何だったら荷物持ちしますよ?」
「悪いよ、そんな」
「いえいえ、こーでもしないと会ってくれませんし」
「ソフィア、やっぱり……」
「言い返せないんですよねー。はぁ、何がいけないのか」
「全部じゃん?」
「そーですか……」
「おい、ちょっとまて。こっちが悪いみたいじゃん」
「あーやっぱり、このほーが、ゆーこーなんですね」
「おい、こら」
「それじゃお願いしようかな。魔法瓶だけで大丈夫だから」
「はーい。明日はシイナとデートかー」
「あぁ。これか。あんたが言ってたのは、これなのかっ」
「分かりましたー? これでちょっとは優しくなりますかねー?」
「くっそぅ」
「あっはは。よしっ、それじゃ頑張ってきます」
「いってらっしゃーい」
「がんばれぇ」
すっかり持ち直した三人。残された二人は、残りのお菓子に手を伸ばしながら、残りの時間を楽しんでいる。
「しかしまー、よくもこー立て続けに」
「なに、また計算?」
「全然? ただ、すげぇって」
「確かに。なんだろね、しがらみが無いから?」
「それは有るでしょーね。知らないからこそって」
「最初に釣られといて何言ってんだか」
「そーでした。なんだろ。危なっかしー感じがいーのかな」
「うわ、それ、うわぁ」
「言語野ほーかいしてますよ」
「誰のせいだ、誰の」
「これは思ってた以じょーに、いー買い物したかも」
「でたよ。それが本音だろ?」
「否定はしませんよ? 金と宝石は裏切りませんからね」
「はいはい。私は義理と人情で生きて行くんで」
「そんなの、誰だってそうでしょ」
一瞬だけ、口調の変わったソフィア。そちらが本性だと知っているカノンは、それ以上言葉をかけられなかった。揶揄うにもはぐらかすにも、吐きだされたものが繊細過ぎて。
黙り込んだ二人の間で、衣擦れの音だけがする。ぬるくなったミルクティーは、もはやすする必要もなく、咀嚼する音すら耳をすませば聞こえたかもしれない。そんな重苦しい中に、間の抜けた声が届いた。
「カノン、ごめん手伝ってぇ。臼がぁ」
「あぁ、はいはい、今行くから待ってなお嬢ちゃん!」
「どんなキャラですか」
「言っとくけどね、」
「はい?」
「こっからこっち、私のだから」
「あー、はいはい。食べませんよ。いってらっしゃーい」
ふぁさりと纏った割烹着の紐をぎゅっと結んで、カノンは大股に調理場へ踏み込んで行った。頼もしい事この上ない。
残されたソフィアは頬杖をついて息をはく。本人もさんざん宣言している通り、彼女はシイナのお菓子が好きなのだ。シイナと食べるお菓子が好きなのだ。一人取り残されてしまっては、それはただの小麦粉の塊にしか見えないのだろう。残った欠片を指ではじいて、目を瞑った。例え隣がカノンでも、賑やかし程度にはなる。やがて粉を曳き終えて戻ってくるまで、そうやって自分の中に閉じこもっていた。
「別に私、力持ちとかじゃないんだけどさ」
「良かったじゃないですか、人の役に立てて」
「おいこら、トゲトゲしいな」
「べっつにー、一人で寂しかったとかじゃないですしー」
「なんだそれ。寂しいなら男でも作りゃいいじゃん」
「いーですね。どっか転がってません?」
「磨けば光るって? ご自慢の審美眼でどうにかしたら」
「研磨済みがいーです。私好みにカットされてるやつ」
「探す気ねぇんじゃん」
「ごめん、先にお開きにしとけばよかったね」
妙に屋探れた会話を繰り広げる二人の元へ、いつものシイナが戻ってきた。
「もーいーんですか?」
「今だけね。いったん寝かさないと」
「へー。私も何か手伝いましょーか? シイナが居ないとお菓子が美味しくなくて」
「え? うーん」
「ほら、言ってやんな、思ってることをズバァっと」
「ズバァっと? じゃぁ、悪いからいいよ。あと、ソフィア出来なさそう」
「うぐっ」
「あれ、気持ち悪いは?」
「なんで⁉ 全然思ってないよ?」
「私の時は言ってたじゃん」
「いつ?」
「脱がした時」
「あれは、だって本当にサワサワしてたんだもん」
「ほらぁ」
「割烹着がね?」
「まー含みの多い会話だこと」
「なに? 疎外感、感じちゃった?」
「いえ流石に。どーせ、きのーのでしょ?」
「なんだよ、乗ってこいよ」
「どっていかって言うと、ひーてるんですが」
「良かった、ソフィアも普通な所があったんだね」
「シイナ?」
「じゃあご馳走様しようか。残ったのは詰めるね」
「出たよ力業」
「ま、いーですけど」
三人で手を合わせて感謝を述べると、今日はそのまま解散となった。シイナが凝り性を発症してしまったのだ。甘さと焼き加減の違うものを、いくつか用意しておきたいと言い出し、顔を引き攣らせたソフィアは昼過ぎに来ると言い残して、すごすごと退散していった。残されたカノンは泣きそうな顔で付き合う。火元を管理するという立場上、シイナを残しては帰れなかったから。
流石に悪いと思ったのだろう、当初語った構想の半分も実行せずに終了が宣言された。それでも今までに比べれば随分と遅い時間。カノンと別れた後、明日に備えて入念に衣服の手入れを行ったシイナは、翌朝、やらかした。
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