第十八話 病の姫

 ――最近ハクアが来ない。

 毎日の日課を終わらせた俺は、ふとそんな事を考えていた。


 正確に言うならば、昨日から来ていないと答えるのが正解だろう。前回、ハクアに雇われてからすでに二週間ほどが経過しており、その間ハクアは毎日やってきた。

 しかし、なぜか昨日は来ていない。もちろんハクアも立場上忙しいだろうし、しょうがないのだが少し心配してしまう。


 ハクアならば大丈夫だろうと取り合えず納得し、俺はバーに入った。


「あらん。……いつもならハクアちゃんと入ってくるのに。昨日もそうよねん」

「ああ。今日も来なかった」


 いつもならば俺の修行が終盤にさしかかったあたりで、近くの手ごろな石に座っているのだが。今日はいなかった。昨日もそうだが、やはり心配だ。


「どうしたのかしらねん」

「……ここに来るなと言われたとか?」

「……今のハクアちゃんがその程度で止まるとは思えないわん」

「そっか」


 そうなると、戦いでもあったのだろうか。戦争の噂は聞こえないし、ハクアが何も言ってこないのでこの線はない。

 ならば、病気だろうか。ハクアも人の子。風邪にも病気にもかかる時はあるだろう。


「病気だとしてもハクアなら大丈夫か……」

「だったらお見舞いにでも行って来たらん。ハクアちゃん喜ぶと思うけど」

「……王宮にいるであろうハクアにどうやって会いに行くんだろう」


 まず伝手がない。伝手があっても、俺の様な貧民街の住人が王宮に入るなんて普通はできない。


「それは。……気合よん」

「気合かー」

「グレイちゃんはハクアちゃんが心配じゃないのん?」

「めっちゃ心配に決まってる! でも、ハクアの元に行く力がないんだ」


 自分の産まれがいまこそ恨めしい。もう少し、ハクアの近くで産まれていれば。なんて思うのだ。


「そうねん。しょうがない事ねん」

「ああ……」


 沈黙が訪れる。いわゆる気まずい沈黙。なにか話題でもないかとキョロキョロしていると、突然カランとドアが開く音がした。


「あらん? いらっしゃい。だけど開店時間前よん」

「……ハクア? じゃないか」


 俺は扉の方を見る。そこにいたのは、深くフードをかぶった人。ハクアはフードなんか被らないし、背はもう少し低いので違うだろう。


「おい。きさま」

「ん、俺? いきなりなんだよ」


 怪しい奴だ、と俺は剣のつかを握る。マスターも、いつでも戦闘できるように意識を切り替えている。


「姉様が病気だ。さっさと来い!」


 そう言ったフードを脱いだその人物は。ハクアの妹だった。


「ハクアの妹? いやそれよりハクアが病気だと!? 本当だったのか! それで容体は! 大丈夫なのか!」

「うるさーいッ! 一気に聞くな。姉様なら命に別状はない!」

「そ、そっか。それだけで安心だ」


 妹は、手近な椅子に腰かけて俺を睨んでくる。


「それでどういう事なんだ? ハクアの妹」

「私にはグリシャという名がある。お前には特別にグリシャ様と呼ばせてやろう」

「はあ。それでグリシャ様、どうしたんだよ」


 俺の言葉に、グリシャはため息をついてくる。行動一つ一つがハクアの妹とは思えない。

 優しくて、愛らしくて、気遣いができて、料理が上手で、抱きしめたくなるハクアと正反対だな、グリシャ様は。共通点なんか銀髪で緑眼ってぐらいだろ。


「不本意ながら、お前には姉様の見舞いにいってもらう」

「見舞い? そりゃ俺からたのみたいが。……グリシャ様はそんなキャラじゃないだろ」


 何週間か前に、お前と姉様は釣り合わない! と襲い掛かってきた奴とは思えない。グリシャ様ならばそんな事をわざわざ言わないだろう。


「……きさまの名を呟きながら苦しんでいる姉様が見捨てられなかっただけだ。いいか、調子に乗るなよ? 私は認めてないし、姉様とお前はさっさと別れて欲しい」

「そうか。残念ながらハクアと俺は相思相愛なんでな」

「ちっ」


 舌打ちされた。しかし、ハクアのお見舞いが出来るならばいきたい。


「今から行くのか?」

「はぁ? いくら私でもきさまを王宮に連れていけるわけがない」

「じゃあどうするんだ?」

「良いか? 南側の上層区の壁には小さな穴が開いている。そして真夜中の王宮は裏の柵が警備が薄い。警報装置は切っといてやるから来い」

「王宮に忍び込めと!?」

「そうだ!」


 馬鹿か。ハクアの妹とは思えん。こいつは馬鹿だ。世紀の馬鹿だ。


「裏庭の一番大きい木から、姉様の部屋に入れる。後は任せた!」

「いやいや。王宮に俺が忍び込めるわけが」

「問答無用! 私は帰る」


 それ以上の会話は必要ないと、俺の言葉を遮った馬鹿は風の様に去っていた。


「王宮に忍び込むとか難易度高すぎるだろ」

「あらん。ハクアちゃんは会いたがってるんでしょ? 病気の時は心細いの。行ってあげなさい」

「捕まれば死刑すらありえるんだが……」

「そうなったらハクアちゃんを頼りなさい。死刑は免れるわ」

「……はあ。捕まらねえように全力を尽くすよ」


 ハクアが俺の名を囁けば、そこに駆け付けるのが男ってもんだ。

 俺は夜に備えて、準備する事にした。



 ◇



「……到着」


 月明かりというのは、どうしてこうも頼もしいのだろう。

 満月という事と、協力者がいた事で大変ではあったが侵入は完了した。

 バルコニーに降り立ち中を見る。まず驚愕するのは、広さである。王族の個室ってこんなに広いのかと思わず驚く。バルコニーの窓に鍵は掛かっておらず、おそるおそる中に入った。

 部屋は物が少なく、ガランとした印象を受ける。そのせいもあり、天窓つきの大きなベッドのインパクトはすさまじかった。


「ん……誰?」


 足音は立てていないはずなのに、ベッドからハクアの声が聞こえてくる。


「ハクア……俺だ」

「ぐれい? グレイ……!」


 ベッドの上で上半身だけ起こしたハクアは、バルコニーから侵入してきた俺に目を見開く。


「グレイ……」

「おいおい。病人だろ」


 ハクアはベッドから起き上がって、こちらに近づいてくる。その足取りはおぼつかなく、顔も健康的ではない。ふらふらと近づいてくるハクアは、俺の前にきてぼふんと倒れてきた。


「大丈夫か?」

「ん……大丈夫……じゃないかも」


 俺の胸に倒れこみ、全体重を預けてくるハクア。そっと抱きしめると、その体は火照っていた。


「ベッドに行こうな」

「うん……」


 頭があまり働いていないのかボーっとしているハクアをお姫様抱っこで運び、ベッドに寝かせる。


「……グレイ。寂しかった」

「大丈夫だ。お見舞いに来たぞ」


 ベッドの上で目を潤ませながら言うハクア。差し出してくる手を握ると、安心したように微笑んだ。


「夢……かな?」

「夢じゃなくて現実さ」

「そ、っか」


 しかし、ハクアはしんどそうだ。失礼しておでこに手を当てれば、熱を持っている。


「ん……」

「大丈夫かよ。ちょっと待ってろよ」


 俺は、直前で用意してきた濡れタオルをハクアの額に置く。


「時間経ってるけど、ないよりはマシだろ」

「つめたい……ありがと」

「ゆっくり休めよ。しばらくいるから」

「うん。……手、にぎって欲しい」

「了解」


 近くにあった椅子を持ってきて座り、ハクアの手を握る。


「ん~。治った気がする」

「それは気のせいだろ。しっかり寝てな」

「うん……頭撫でて」

「はいはい」


 甘えん坊な声で懇願してくるハクアの頼みは断れない。よしよしと頭を撫でればとろけた様な表情となった。


「ちょっと、治った」

「それは良かった。……まあ、しっかり休めよ」

「うん……お休み」


 ぎゅっと手を握り、たまにやさしく頭を撫でれば、すうすうという寝息が聞こえてきた。

 月光に照らされるハクアを見ながら、俺はしばらく手を握っていた。




 ずいぶんと長居をしてしまったように感じる。少し苦しそうだが、熟睡している事を確認した俺は、バルコニーに出る。下を見れば、警備の騎士などもいない。そろそろ夜が明ける頃合いなので、さっさと帰らねばならない。


「さて。スリル満点だったな」


 捕まらないかとひやひやしたが、この分ならば大丈夫だろう。

 バルコニーに伸びている木をつたって、下に降りる。辺りを警戒しながら、ひょいっと柵を超える。

 もう大丈夫だろう少し気を抜く。それが油断というのだろう。


「きみがグレイ君……かな?」


 背後から聞こえてきた声に、すぐに振り向く。王宮を囲む柵にもたれかかる様に、一人の男がいた。

 ――強い。

 この男。かなり強い。おそらく……俺と同じぐらいか。背後をとられるとは。油断しすぎた。


「誰だ……!」

「落ち着いてくれ。敵意はない。ただ、ちょっと話したかっただけだ」

「……誰だ?」

「ふむ。僕の名はレインクルト。ハクアの兄と言えば分かりやすいか」

「兄!?」


 それを聞いて、おもわず警戒をとく。つい先日ハクアの妹と会ったばかりだが、この人はハクアの兄といえる落ち着きがある。


「それで。何か?」

「ああ。君とハクアは結構噂になっていてね。上層部にも届くほどだ」

「…………」

「いずれ、事態を重くみた彼らは動くかもしれない」


 ……まあ。覚悟はしていたことだ。変装もせずにハクアと一緒に歩いていればそういう事も。俺が馬鹿だったのか。もう少し警戒するべきだったか。


「もう会うな? と」

「いいや。もっと会ってくれと」

「えっ!?」

「上は僕がどうにかする。君は、ハクアともっと遊んで欲しい」

「……はぁ」


 思わず気の抜けた返事をする。いや、想定していない言葉だ。妹がああだったから、兄もてっきりもう会うなと言ってくるかと思っていたから。


「ハクアは変わった。君と会ってね。からっぽだったあの子を変えてくれて感謝しているんだよ」

「……そう、か」

「今、この国は腐りきっている。権力争いに明け暮れて、政治は不正塗れだ」

「それで……?」

「僕がそれを正して、ハクアが幸せになれる様な国にする。その後も、君にはハクアの事を任せたい」

「……はあ」

「じゃあそういう事で」


 それだけを言うつもりだったのか、兄は帰っていった。


「……ハクアの兄は……良い奴だな」


 あいつが王になるならば、俺はずっと付いていける気がした。

 

「ふぁ。眠いし。帰るか」


 朝の日課は昼に延期だなーなんて思いながら、俺は帰路についた。

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