毒乱の終焉
それから私は部屋で待機し、30分程度で戻ってきた上司に連れられて帰路についていた。
ホテルへ向かった時と同じ豪華な黒い車に乗っているけれど、私と局長は少し空間を開けて後部座席に座っている。
それもそのはず、行きより乗車人数が少ない。
今関さんがいないからだ。
『待たせたな、吉川。行くぞ』
『はい。…あの、今関係長がいらっしゃらないようですが』
『奴は先に帰らせた。お前の寮までついてきてもらう必要はないからな』
『はあ…』
もう深夜の時間帯だからだろう。道行く車両は数を減らし、私たちの進行を阻むことはない。
曇りひとつないガラスの外を見上げれば、深く澄んだ空気の向こうで冬の星座がキラキラと光を放っている。
反対側にいる花王院局長をちらりと見てみれば、緩んだ口元のままリラックスしているようだった。
「今日はどうだった?」
車が走り出してから貫いてきた沈黙を破ったのは、案の定局長の方だった。
私は少し考えて、軽く笑って見せる。
「散々でした」
「はっ!そうだろうな」
「…あの、花王院局長、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「構わん。わたしは機嫌が良い、何でも答えよう」
機嫌がいいから答えるなんて…そんな言葉を現実で聞く日が来るとは思わなかった。
でも後にも先にも局長と2人きりで話すことなどこれっきりだろう。
いっそ正直に聞いてみようか。
「雪園家の皆さま…
「ふふ、いきなり直球だな。まあそうなるな」
やっぱり、なんてことをしてくれたのか。
心の内に渦巻く黒いモヤを払って、私は努めて冷静に言葉を続ける。
「どうしてそんなことをされたのですか?私と雪園家の関係は局長も良くご存じのはずです」
「理由か。まあ話しても良いか」
夜のネオンや街頭が車の中を光らせては消えていく。
その明暗を顔に映し、局長はゆっくりと口を開いた。
「花王院家の次代当主としてわたしが指名した孫がいてな。才能も人望も十分だが少々優しすぎて押しに弱いところがあって、とあるご令嬢に好かれてしまってな」
「はい」
「そのご令嬢の押しの強さに困っていたところ、雪園家に助けてもらったのだ」
「雪園家に?」
花王院家は雪園家に引けを取らない上流階級の家だ。
目の前の局長が当主を務めているのもあり、権力はそれなりにあるはず。
わざわざ雪園家に助けてもらうことがあるのだろうか。
「柚那殿に、うちの孫へ近づいてもらったのだ。
その恐ろしい美貌を使ってもらってな」
「…あの、つまり虫よけですか?」
「虫!お前は容赦ないことを言うなあ!」
おかしい。
彼女は自分の見た目を利用するタイプではないし、むしろ集まってくる人々に
「わたしの知らんうちに友人の柚那殿に孫が頼み込んでいたようだ。随分と嫌そうに了承してもらったそうだぞ、はは!」
やっぱりそうだった。
昔から変わっていないらしい。
…安心しそうになった自分が恨めしくなった。
「で、パーティで家柄も人間としても格上な柚那殿とうちの孫の親密な姿を見てご令嬢は戦意喪失。うまくいったわけだな。
その見返りに要求されたのが今回だ」
「……はあ」
なるほど、局長は巻き込まれたのか。
要求に対して孫になんとかしてくれと言われたのだろう。
「災難でしたね」
「いーや、わたしは楽しかったぞ!雪園家だけではない、佑様もなかなか面白かったしな」
「佑様…」
佑様はあれから私のいる部屋に来ることなく、一足先に会場を去ったと聞いた。
毒を盛られたのだからいち早く安全なところにいるべきだし、特に気にしていない。
「佑様とも久しぶりの再会だっただろう?どうだった?」
「…いえ、特に何も」
「どこからか計画を嗅ぎ付けられてな、自分との時間も作れと脅された」
「王族からも…」
別に良いのだ。にこりと局長は笑顔を向けてきた。
「王族や上流階級の人間がこんなことに人を使う。まさに平和な証拠だろう。
それにお前たちは見ていてじれったいのだ、ちょっかいを出さずにはいられん!」
「はあ…」
自分が所属している特殊治安局のトップは、どうやら面白そうなことには首をつっこんでしまうタイプのようだ。
ため息もつけず、私は何気なく星空を見上げた。
脳裏に焼き付くのは皆の顔。
佑様、悠江殿下、真琴様、蛍都様、柚那様。
いっそその夜空の向こうへ意識を飛ばしてしまえたら、きれいさっぱり忘れ去れないだろうか。
なんて、できもしないことを思った。
『お姉さま』
『菜子ちゃん』
捨てたのなら、そのまま存在を消してほしかった。
家族になってくれなかったのに、今さら大切にしようとしないでほしかった。
このまま私のことなんか気にせず、幸せに生きて、幸せに死んでほしい。
私にはもう、雪園家の《大好きだった》人々に、柚那にしてあげられることは、1つしかないのだから。
――雪園家の人間と、一切関わらないように生きよう。
神隠しに遭ってこの世を去ったとき、少しでも彼らが悲しまないように。
彼らの心の中にいる『菜子』の記憶が、少しでも色褪せてしまえるように。
「もう、二度と会いたくないです」
彼女は、何も言わなかった。
「あ」
「ん?」
「そういえば局長、こんな遅い時間なのに今関係長をおひとりで返したのですか?」
「あ、ああ、ああ…」
ぶっくくく、と局長は子供の声で噴き出した。
何のことか尋ねた私の耳に飛び込んできたのは、とんでもない情報だった。
「今晩の彼女には
…え?
「…警察局の白石さんですか?」
「うむ」
「一課 課長の白石さんですか?」
「うむ」
自分の家に婚姻を反対されて破局したという、今関さんの元婚約者の白石課長!?
とまでは聞けなかったものの、局長の楽しそうな笑顔を見ていろいろと察した私は、ついに貯め込んでいたため息が出てしまった。
「面白かったぞ~
本当は奴もわたしが送ろうと思っていたんだが、ばったり白石に出くわしてな。今思い出しても腹がよじれぶっは」
「………」
曰く、毒を盛られた件は別会場にいた白石課長にも伝わり、しっかりと今関さんが参加していることをリサーチしていた彼は慌てて様子を見に来ていたらしい。
そこで破局してから数年ぶりに再会。
局長のいらないお節介によって、家まで送ってもらうことになった、そうだ。
今関さん、大丈夫かな。
「局長、いつか今関さんに刺されても知りませんよ」
「上等上等、あっちの方もそろそろちょっかいをかけたかったんでな。
部下に刺される経験も悪くない」
何言ってるんだろうこの人。
色濃い時間を過ごしたというのに、やっぱり彼女の人となりがわからないまま私は車を降りることになった。
―――――――――――――――――
土日を挟んで月曜日の午後。
すっかり毒が無効化され、止まらない食欲から開放された私は7係の執務室の扉を開けた。
暖かな部屋に入ってコートを脱げば、視界に7係のみんなの顔が映る。
「お!菜子っち!」
「菜子さん!」
私の顔を見るなり駆けよってくる灯ちゃんとカケルくん。
その表情に交じっているのは心配の2文字。
私が毒を飲んだこと、もう知られているようだった。
「体調どーよ?」
「コートとマフラーは預かりますから、座ってください」
「もうすっかり平気です。心配かけてすみません」
いつもの固いソファに座れば、おはよう、と係長の部屋から出てきた今関さんが私の隣に座る。
その表情はいつもの微笑みで、特別な縁の動きは視て取れない。
「灯ちゃん、カケルくん。菜子ちゃん来たから私の部屋から諸々持ってきてもらえるかしら?」
「わかりました!」
「はーい」
もろもろ?
バタバタと小部屋に消えていったタイミングを見計らって、私はこっそりと聞いてみる。
「局長に聞きました。金曜日、その、白石課長に送ってもらったと」
今関さんから表情が消えた。
「………ええ、そうね」
「…………」
うん、これ以上聞くのはやめておこう。
気まずくなった空気は思いのほか早く帰ってきた彼らが破ってくれた。
「菜子さんにいろいろとお届け物があるんです」
「お届け物?」
はい。と短く答えてカケルくんは大きくて平たい箱を机に置いた。
よく見るとお菓子の詰め合わせみたいだ。有名なブランドのロゴが入っている。
「1係の鴨川係長からお詫び?とお見舞いを兼ねてだそうです。…わざわざ本人が届けてくれたんですが、何だか元気がなかったです」
「そうなんだ、ありがとう」
鴨川さん、金曜日の謎の言動は雪園家の面々に会うことを知っていたから、ということかな。
雪園室長と昔なじみらしいし、もしかしたら局長の計画も気づいていてなんとかしようとしてくれたのかもしれない。
後で電話してお礼を言っておこう。
「んで、あとはコレ」
「え?」
ばしゃああ、なんて音が響いて机中にばら撒かれる紙。
その1枚1枚には細かく何かが書かれていて、丁度お札の大きさになっていて…って、これは。
「符!?こんなに!?」
「ごっめん菜子っち、段ボールに入ってたんだけど底抜けちゃったから今修理してんの」
「これ、届いた符の一部なんです…」
カケルくんが困った顔をして、机に落ちた符を拾って机に置く。
そして思い出したように背を向けると、1枚の大きな紙を私に差し出した。
「お手紙も入っていました。どうやら符の説明みたいです」
A4サイズのコピー用紙を私と今関さんの2人で覗く。
そこには少し癖のある綺麗な字が羅列していた。
「誰の字かしら」
「雪園室長だと思います。この符を作ったのもおそらくは」
「そう…ふ、ふふふっ」
黄色の符は胃のあたりに。
紫の符は喉に。
色ごとにどこへ貼ればいいか簡潔にまとめられたその紙をひとしきり読むと、今関さんは突然お腹を抱えて笑い出した。
「どうしたんですか?」
「ふふふ…っ、いやあね、なんだか局長の気持ちがわかってしまった気がしたの」
「局長の?」
今関さんは緑色の文字が書かれた符を手に取り、ペラペラと揺らして笑った。
「
私たちみたいなオバサンには最高に面白いものよ」
「…………」
…なんだか厄介な上司がもう1人増えた気がする。
私はため息をついて、紫色の符を喉に巻き付けるように貼ってみた。
じんわり、と温まっていく感覚。
それは『暴食』の維持のために歌い続けた喉に効きそうなぬくもりだった。
『兄が大切な妹を
食事量の調整が出来ずヘトヘトな胃を労わる薬も、
消化不良で壊したお腹の薬も、
歌いすぎで酸素不足なのか少し痛む頭の薬も、
こっそりバッグに忍ばせてきたけれど、全てお見通しな彼のせいで出番はなさそうだ。
「仕方ないから、今回だけ甘やかしてあげることにします」
「ええ、いいんじゃないかしら」
「こっ、今回だけですよ!今回だけ!」
「ふふ、そうね」
使えるモノは使うべきよ。
今関さんがにこりと笑った。
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