第85話【夏休み お嬢様の戦略】


 「ちょっと........どこ行くネ。ケント。」

 「ん? まみやくん?」


 「いや、普通に休憩に入る.........。」

 「で、どこ行くネ。スタッフルームはあっちダロ.......。」


 「........。」

 リンリン、そういうことじゃないんだよ。

 そしてそのジト目をやめろ.......。

 とりあえずアリスを宜しくな。


 「おい、ケント! って、いらっしゃいマセー。」


 サイン、サイン、サイン........。


 休憩時間に入った俺は、先ほどから脳内に思い浮かぶその言葉に従い、彼女のもとへと一目散に足を進める。


 なんで彼女が........。

 弟君か? それにしても何であんなにレアなものを........。

 ほんとアレのせいで仕事に身が入らずに大変だった.......。


 まだ帰ってないよな。待ってるって言ってたもんな。帰ってないよな。

 って、いた。


 「あっ、間宮健人。ふふっ来たのね。」

 「........。」


 「まぁ座りなさいよ。」

 「.......。」


 俺は言われたままに静かに彼女の前の席へと座る。

 

 「今日はやけに素直じゃない。まぁ、これのおかげかしら。」

 そう言って再度自分の鞄から先ほどのサイン色紙を取り出す彼女。


 あ、や、やっぱり、ま、『まみやくんへ』って書いてる。

 まじで書いてる。やばい。やばすぎるぞそれ。


 「な、なんでそれを。」


 「何でって? ふふ、まぁ、パパのツテでね。ほら弟がこの漫画のファンじゃない。」

 ツ、ツテって......やっぱり彼女の家は噂通り普通じゃないのだろうか。

 

 「それで間宮健人も確かこの漫画が好きだったかなと思ってね。一応サインをもらっておいたの? 違うかった?」


 「いや.......違わない。」

 そのとおり。何も違わない。


 あ、あ.....直筆の俺の名前が入ったサイン。

 それに主人公の顔もしっかりと。


 「ふふ、欲しい?」

 「ほ、欲しい。」


 「ふーん。欲しいのねー。」


 今、目の前にはそう言ってものすごい笑顔で俺に微笑んでくる彼女。


 欲しい。欲しい。まじで欲しい。


 「ふふ、ならあげるわよ。私に感謝しなさいね。間宮健人。」


 「あ、ありがとう。本当にありがとう。え、ありがとう。」

 本当に嬉しい。柄にもなく嬉しすぎてやばい。


 「ふふ、間宮健人のそんな嬉しそうな顔。初めて見た。パパには本当に感謝ね。」

 あぁ、渋谷さんのお父様にはマジで感謝。


 「って、え........。」


 「ふふ、でも一つ条件があるの。」

 そう言って彼女は目の前にあったサインを再び自分の鞄の中に......。


 「え、条件........。」

 じょ、条件って何だよ........。


 え......サイン。


 「ふふ、別に何も難しいことではないわ。一つお願いを聞いて欲しいだけよ。簡単なお願い。」


 「簡単なお願い?」


 「そう簡単なお願い。」


 そ、そうか。確かに........こんなレアものがタダで手に入るわけがないか。

 でも........お願いってなんだ。


 そんな俺の目をみつめながら今度はニヤニヤとしてくる彼女。


 え.........。


 「な、何だ。そのお願いって?」


 あのサインの為なら大抵のことはする。

 本当に欲しい。加瀬先生のサイン........。

 でも何だよ、その表情は.....。


 「ふふ、じゃあ私と海に行きなさい。間宮健人。ふふっ」


 「........。」

 って、は?


 「ん?え?」


 「だから海よ。海。一緒に私と海に遊びに行こってこと。」


 「........何をしに?」


 「だから遊びによ。」


 「え、誰と?」


 「だから私と二人でよ。」


 「........。」


 は?


 「う、海? それも二人で?」


 「うん。そう。暑いしちょうどいいじゃない。」


 「い、いやちょっと海は.......。」

 

 あんなチャラついた奴等が行くところ......。

 そ、それに二人って.......。


 「あーそう。じゃあこのサインはいらないのね。わかったわ。さようなら。」


 「え? ちょ」


 「ん? 何?」


 「........。」

 いや、サイン.......。


 「ん? 何もないの? じゃあね。」


 「いや........。」


 「あっ、そう言えば、もう一枚こういうのもあったんだけれども。まぁいらないわよね。」


 「え、あ、え?」


 そう言って次に彼女が出してきたのは先ほどと同じ色紙だが、中身がさっきとは違う物。


 え? 主人公とえ、そ、そ、それは俺?

 

 今、俺の目には色紙に描かれた主人公と俺にかなり似た人物の絵が肩を組んでいる姿。


 え.......。う、嘘だろ........え?


 「じゃあね、美味しかったわ。今度こそ。さようなら。」


 いや......え。


 「____ます。」


 「ん? ごめん。ちょっと聞こえなかったわ。」


 「う、海.......行きます。」

 

 「ん? 行くの? 海?」


 「はい.......。」


 「えー。でも見る限りあんまり行きたそうな感じじゃないし。無理しなくていいのよ。間宮健人。」


 目の間の彼女はまたニヤニヤとしている.....


 「いや.......行かせてください。」

 くっ、あんなものを見せつけておいて.......何を言っている。


 「ふふ、まぁ間宮健人がそこまで言うなら仕方がないわね。じゃあまた連絡するわね。水着も買わなきゃいけないし。」


 「.........。」

 み、水着.......。

 

 そしてそう言って店を後にしようとする彼女。


 「え.......サイン。」


 「ふ、サインは二人で海を楽しんだ後にね。じゃあね。間宮健人。」


 「........あ。」


 そして今度こそ、彼女は店を後にして立ち去っていったのであった......。


 海.......。 


 サイン.......。


 何だろう......いつの間にか。

 とんでもないことになってしまっている気がする.......。


 でも........サイン。


 加瀬先生のサイン.......。


 あぁ........サイン。


 

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