42. お母さんはあの日

「あの子についているのが幽気だってことは、前に話したわね。幽気は、幽世に近づいた人を覚えているの。一度でも死のふちにひんした人は、幽世と縁ができてしまう。幽気がとりつきやすくなってしまうのよ」


「死にかけたのっていったら、五年前の……」


 のどかの言葉に、みちるさんがうなずく。


「二人のお母さんが亡くなったときよ」


「……みちるさん。五年前、何があったの?」


 みちるさんはこめかみを押さえ、大きく息を吸って吐いた。


「そのうち教えるって約束だったものね」


「だいじょぶですか?」


 と、姫神さまがみちるさんの肩に手を置いた。


「はい。わたしには責任があります」


 みちるさんは頷き、わたしとのどかに向きなおった。


「……今からちょうど五年前、二人が小学校にあがる直前だったわ。姉さんは散歩が好きで、その日はしずかとニオちゃんを連れて湖畔に出かけていたの」


「それって、わたしたちが溺れかけたときのこと?」


 わたしには、その記憶はないんだけど。


「ちがうの」


 みちるさんは首を横に振った。


「それは嘘。姉さんは、水難事故にあったんじゃない」


「お母さんは御役目みやくめをはたそうとしたんだよね」


 不意に、のどかが言った。


「知ってたの?」


 みちるさんが目を見開く。


「知ってたわけじゃないよ。僕はそのとき神社で留守番してて、みちるさんが祭具を持って走って出ていくのを見たんだ。あのときは何が起きてるのかわからなかった。祭具を持ちだす、その意味がわかったのは最近のことだよ」


 のどかの告白に、みちるさんは「そう」とつぶやいた。


「……あの日、突然嵐が起きたの。夏の台風よりもっと激しい嵐で、自然に起きるようなものじゃなかった。自然現象だったら、放っておけば神気が散っておしまい。こないだしずかが魂鎮めした嵐みたいにね。でも、五年前のあれは神気の暴走による天災だった」


「じゃあ、お母さんは、それで……」


 みちるさんは「ううん」と否定した。


「姉さんはその程度じゃ負けない。わたしが湖畔に駆けつけたとき、神気はほとんど鎮まった後だった。少しはなれたところでニオちゃんが寝転がっていた。神気にあてられんでしょうね。そして、しずかは……」


「わたしも倒れてたんじゃないの?」


 だからわたしには記憶がないんじゃ?


「いいえ。しずかは、ずっとニオちゃんに声をかけ続けていた」


「意識があったの?」


 まったく思い出せない。濃いかすみがかかったように、記憶が見えない。


「わたしが着いて、もう神気が鎮まるといったそのときだった。幽気が湧いてきたの。とんでもない量だった。後にも先にも、あんなのは見たことがない」


 みちるさんが顔をしかめる。


「神気に紛れこんでいたんでしょうね。姉さんもわたしも、直前までまったく気づかなかった。その幽気は、気を失っていたニオちゃんをおそった」


「何でニオが? 気を失ってたから?」


「わたしも姉さんも、そしてしずかも神仕えの一族だから。神通力じんつうりきが人より強い。幽気は、神世との縁が強い神仕えを避けるのよ」


「……それで、そんな理由で」


 ニオは、選ばれちゃったの?


「姉さんとわたしはニオちゃんをおそった幽気の魂祓たまはらえにかかった。二人がかりで何とか御解みほぐしはできたわ。大幣おおぬさも守り刀もあったしね」


 みちるさんはうつむいた。


「だけど、ニオちゃんはもう死に近づきすぎていた。幽世との縁は結ばれてしまった。あの子の髪の毛のこと、不運体質のことは、あんたたちもよく知ってるわね」


 わたしも、隣にいるのどかもうなずいた。


「だからみちるさんは、ニオのことを気にかけてるのね」


「わたしの責任だから」


「……みちるさん。御解しはできた、って」


 のどかがその先何を言おうとしているのか、わたしにもすぐわかった。


「ええ」


 みちるさんがうなずく。


「幽気の御解しはできた。でも、御寧みやすめはうまくいかなかった」

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