第4話 水見さんは誘いたい(ご飯) ①

「夜ご飯、一緒に食べられる日は連絡してください。言ってくれれば作って待ってますので」


 そう玄関の扉の前で水見さんに言われ、連絡先を交換してから二日が経った。

 なんだか現実感の薄い、されど淡々と過ぎ行く時間にどこかずっと上の空だった。


「なあ、小寺。最近スマホの画面ずっと見てるけど、何か気になることでもあんのか?」


 大学の学食で向かいに座り、から揚げ定食を食べる手を止め、市成が尋ねてくる。


「い、いや。別にねえよ」

「ふーん。まあ、いいけど」


 市成はそれ以上追及することなく、食事に戻っていく。それを横で聞いていた川村は、


「そういや、この前の連休でしこたま飲んだ日の次の日の朝に連絡してきたけど、あれ結局なんだったんだ?」


 と、聞いてくる。市成の質問に便乗したのだろう。それには市成も再度はしを止める。


「え、なに、それ? 俺のところにはそんな連絡来てないんだけど」

「いや、それがな――」


 川村はざっくりと電話の内容を説明する。


「ふーん。それで小寺はなんでそんなことを気にしているんだ?」

「いや、ちょっとさ。酔っぱらいすぎてて、記憶なくってさ。どうやって帰ったとか覚えてなくて、何かあったのか、それとも何もなかったのかを知りたいんだよ」


 大事な部分を隠して、曖昧に返事をする。市成は箸を置いて、腕を組み記憶をたどっているようだった。


「俺も、あの日は飲み過ぎて記憶がちょっと曖昧なんだけどさ、カラオケ行ったのは覚えてる?」

「それはもちろん。市成のバイト先のとこだろ?」

「そうそう。で、ざっくりした割り勘で会計して、それがグダグダ過ぎてさ、そのときレジやってたヤツにあとで笑われたんだよ」

「笑われるようなこと、なんかあったっけ?」


 川村と顔を見合わせて首を傾げる。川村も覚えがないらしい。


「いやな、俺もちょっと記憶が曖昧なんだけど、そいつから昨日聞いた話ではさ、千鳥足でフラフラした俺ら三人がカウンターを支えに、プルプルしながら、俺が俺がって札や小銭を出しまくって、ちょっとしたカオスになってたらしくってさ。お釣りも、市成に渡せ、いや三等分だとか言い合ってたみたいでな。まあ、うまい具合に会計してくれたそうなんだけどな」


 全く記憶に残ってない。ただ迷惑かけたことだけは分かるので市成のバイトの同僚には申し訳なくなってくる。


「なんかすまん」


 そう川村と二人で市成に謝る。


「いや、謝るようなことではないんだよ。そういう客はたまにいることだしな。でさ、そう言われて、俺はなんとなく思い出したんだよ。なんか会計しながら騒いで、店の外に出て、店の前の自販機で水買って、ちょっとすっきりさせた頭でこれからどうする、ってお前らに言ったんだよ。その時さ、川村は道路に座り込んでたけど、小寺はふっといなくなってたんだよな」

「まじで? 俺、どこ行ったの?」

「知らねえよ。水買う一分かそこらで消えたんだって。で、まあ、解散でいいかって思って川村に帰るぞって声かけて、動かないからそのまま置いて帰った」


 さらっと最後に市成はとんでもないことを言ったような気がしたがまあいいだろう。

 川村は「市成くん、置いて帰るなんてひどい。俺、この中でも一番年上なのに」と、わざとらしく不平を言っているが、市成に「さすが一浪の同学年の川村先輩は一味違いますわ」と笑って流される。


「それで小寺。何か困ったことに巻き込まれてるんなら言えよ?」

「そうだぞ。なんでも言っていいんだからな。これでも、年上だし、俺」


 二人なりに気遣った言葉をくれるのは嬉しいが、あの日の朝の一幕を説明し、水見さんが気が付いたらお隣さんでご飯を作ってくれると言われているという今の状況をありのままに説明すれば、目の前の二人は手のひらを返して、襲いかかってくるだろう。それは二人も彼女いない歴が年齢で、女性と縁が全くないわけではないが付き合うまではいかないという少し残念でかわいそうな者同士だからだ。


「気持ちはありがたいけど、大丈夫だから」


 今はこうやって笑って誤魔化し、食事に戻っていく。いつか二人に水見さんとのことを説明できる日はやってくるのだろうか。その予定は今のところ全くないわけだが。

 そんなことを考えながら、うどんのめんすすっていると、テーブルに置いているスマホのバイブが短く振動し、メッセージが来たことを告げる。ロック画面にメッセージの送り主とその一部が表示される。


『水見秋穂

 今日の夜、一緒にご飯食べませんか? よかったらご飯作りますよ』


 それをさっと確認して、どうしようかと箸を止めて考え込む。昨日はバイトで断る理由があったけど、今日はバイトのシフトが入っていないので断る理由がない。仮に今、目の前の二人に晩飯に誘われても、比べるまでもなく水見さんを選ぶだろう。ただ、水見さんの厚意に甘えていいのか踏ん切りがつかないのだ。

 それにあの日以来、水見さんのことを少しでも意識すると、あの日の朝のベッドで横になる姿を思い出し、顔が熱くなる。それから次に思い浮かぶのは、そば屋で見た水見さんのあの笑顔で――。


「おーい。小寺。またスマホ見て固まってんぞ。大丈夫か?」


 隣の席から肘で小突きながら川村が声を掛けてくる。その声に現実に戻ってきて、スマホの画面を見られないように画面を下にしてテーブルに置く。


「ああ、大丈夫、大丈夫」


 そう言って、器を持って冷めた出汁だしごと飲み干すようにうどんを一気に完食する。


「ほんと大丈夫かよ。来週から試験だぞ?」


 市成は食べ終わり空になった皿に箸の先端をコツコツ当てながら言う。それを聞いて、まだ前期の定期試験の時間割をチェックしてないことを思い出す。水見さんとのことがなければ、連休明けに確認しようと思っていたことだがすっかり抜け落ちていた。


「まあ、元から講義にはサボらず出席してるし、ちゃんと追い込めばなんとかなるだろ」

「そりゃあな。でもなあ、俺、専門で一つだけやばいのあるんだよなあ」

「まじで? ちなみに、何よ?」

「経済数学A」


 市成が肩をすくめながら答え、話を続ける。


「俺さ、理系、特に数学嫌いだから経済学部選んだのに、なんでまだ数学あるんだよ」

「でも、そんなに難しいことはやってないだろ?」

「無理。まじで取るんじゃなかった。誰だよ、経済数学取ろうとか言いだしたやつは」

「なに、俺が悪いって言うのかよ?」


 隣で川村が声をあげる。もちろん、どちらも責める気も責任を転嫁するつもりもなくただの愚痴だと分かっている。


「別にちょっと苦痛だけどさ、数学得意な川村がいなかったら、たぶん途中で投げてるわ。あれ」

「それはなんか分かる。てか、履修りしゅう人数少ないし、人気なさすぎだよな、あの講義」

「だよなあ。まあ、おかげで先生との距離は近いし、出席ちゃんとしてれば救済措置は考えてるとか言ってたけど」


 市成と講義についての愚痴をこぼす。しかし、川村はあの講義を気に入ってるらしく、「俺は面白いのに」と、小さな抗議をするが聞き入られずにいた。


「でもさ、去年の一年の時の最初の試験よりは楽かも」


 市成が大きなため息とともにしみじみと溢す。


「ああ、わかる。必修に外国語に専門にさらに般教ぱんきょうにって、ただでさえ最初の試験で要領分からないのに、落としたら再履決定の多かったもんなあ」

「そうそう。それに比べたら、今は仮にまだ落としても影響のないものばっかになったし気は楽だよなあ」

「もう、ミクロとマクロとはグッバイだな」

「そうだそうだ。ついでに朝イチの必修の講義ともグッバイだな」


 市成と盛り上がっていると、隣で「まあ、マクロとミクロも結局他の講義でもちょいちょいエンカウントするんだよな」と場の流れを乱すようなことを川村が言うものだから、無言で肘打ちを入れる。どうやら市成も、向かいからすねに蹴りを入れたようで、川村が「いてえよ、お前ら。困っても手伝わねえぞ」と言うものだから、二人で「それは困る」と口にし、軽い謝罪をして笑い合う。


「それで、今日あたり試験前の最後の晩餐ばんさんってことで飲みに行くか?」


 川村がそう提案する。市成はスマホを取り出し、予定を確認し、「すまん。俺、バイト」と断る。


「じゃあ、小寺。今日は二人で飲みに行こうぜ?」


 そう言われて、自分のスマホに目をやり、


「ごめん。俺も予定ありだわ」


 と、川村の誘いを断る。川村は「なんだよ、二人とも。つれねえなあ」と、わざとらしく凹んでいるように振る舞うが、「試験終わったら、またしこたま飲もうぜ」と笑う。

 学食を出て、次の講義のある教室に向かいながら、水見さんに返事をする。


『お言葉に甘えて、今日の夜、ご飯を食べにいきます』

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