22-3

 あの感情はどうやって形容すればいいのだ!?


 いよいよクライマックスというところ。一気に雰囲気が変わり、官能小説としての生々しい表現が顔を出し始めた。モトユキは多少の動揺を示し、僅かな性的興奮が読み取れたが、それ以上に何かの感情が彼を支配していた。

 それは聖母のように見守る優しさでもありながら、自然の摂理に対して改めて疑問を持つ賢者でもあり、物語を純粋に楽しむ少年でもある。


 ルルンタースは頭を抱えた。二極化した事例のみしか想定していなかったから、今踏み出すべきかどうかわからなくなってきたのだ。

 しかしながら彼女のリビドーは、着々と大きくなっている。他人の思考を読み取れる彼女は、ただ文字だけの質素なものだけではなく、色や形といったものが映像として伝わる。今現在のモトユキの脳内には、ただのポルノが垂れ流されている。確かに女性向けで、ロマンティックな雰囲気もあったが、それが逆に彼女を刺激するのだった。


 小説に踊らされているのは、彼女のほうであった。



「ン……エ? モトユキサンナニヨンデルンデスカー!?」


「小説」


「デモソレ、エッチナヤツデスヨネ!?」


「……まぁ、そうかもな」


「モトユキサンモオトコノコナンデスネ!!」


「静かにしろ」



 表面では冷静を取り繕っているが、内心はすごく焦っている。こと、この状況を誰かに見られることに対してかなり神経質になっているようだった。

 煽り続けるビルギットに対して焦りが大きくなり、モトユキの思考能力がだんだんと落ちてきているのにルルは気が付いた。


 これはチャンスだ。今がその時だ。理性をぶち破れる。

 思考能力が落ちてきているのはルルも同じであった。彼女の場合、今まで自分を抑え込んでいたその理性が壊れ、とうとう溢れてしまった。



 ――――そして、飛び込む。



 モトユキを押し倒し、彼の上に馬乗りになった。これから起こることを想像して、熱くなかった体がさらに熱くなって、鼻の奥からドロリとした血が滴り落ちる。今までは疲労によるそれだったが、今は性的興奮による血圧の上昇が原因だ。滴った血はモトユキの頬を赤くする。


 困惑。訪れたのは沈黙であり、ルルンタースの荒い息だけが小さく響いていた。ビルギット、モトユキ共々、何が起こったのか数秒ほど理解できなかった。



「はぁ……はぁ……はぁ……!」


「え、は?」


「ルルンタースサンノ、タイオン、ケツアツガイチジルシクジョウショウ……ジョウタイ『ハツジョウ』」


「え、何? 発情!?」


「ハイ。カゼデハアリマセン」



 ルルンタースはその場で服を脱ぎ始める。それをモトユキは咄嗟に止めた。同時、彼は事を考え始めるが、思考が上手くできない。彼女から発される甘い匂いに原因がある。花や蜂蜜を混ぜたものに、若干の血液が混じったような匂いだった。

 フェロモン。間違いなくそれ。



 次の瞬間、ドアが開き、ミヤビが入ってきた。



「ただいまー……あれ? あ、失礼しましたー」


「ちょっと待て待て待て!」



 いち早く事を勘違いしたミヤビは、二人きりにして去ろうとするが、それをモトユキは食い止めた。



「えっへぇ、もっきゅんもやるやん」


「違うっての!」


「ホウリツテキニモダイジョウブデス。シャットダウンシマスノデ、オタノシミクダサイ」


「黙れ!!」


「はぁ……はぁ……」


「どけぇ!!」



 ☆



 わちゃわちゃした状態を念力で無理やり落ち着かせたモトユキは、ミヤビから事の全容を聞いた。ルルンタースは我に返り、興奮はなくなっていたが、代わりに俯いたまま、やはり何も話さなかった。

 彼の頬は、拭いきれなかったルルの鼻血が薄く残っている。



「はぁ……つまり、ルルがさっきから良い子だったのは、俺から撫でられるためってことか」


「うん」



 長い溜息をつき、くしゃくしゃと頭を搔いた。ルルは思考を読むのが怖かったため、その光景から目を逸らしていたが、彼から僅かではあるが「怒り」を感じ取ったため、大きな不安に襲われる。一体自分の何がいけなかったのか、それを確認するのが怖くなってしまった



「んで、君の言ったアドバイスを真に受けて、こんなことをした」


「んへへ……申し訳ねぇっす。でも、女の子に押し倒されるなんて機会滅多にないんだから、結果オーライじゃない?」


「……」


「おうふ。ちょっと怒ってる?」


「怒ってるかどうかは微妙だが……」


「マズイ? どういうこと? ルルちゃんがエロスを知ったこと? でもそれは仕方のないことだよ、怒らないであげて」


「違う。俺が言ってるのは、『撫でられたい』から『良いことをした』ってところだ」


「それの何が悪いの? ってかもっきゅん、撫でてあげてよー。良いことをしたのは確かなんだから」


「『依存』の一歩手前なんだ。認められたいから行動するのは」


「……ほぇ?」


「褒めて伸ばされた人間は自立ができない。常に誰かに認めてもらうことだけを考えて生きていくようになる。……言ったかどうかは分からないが、今後のルルは俺と一緒に行動してもらう。つまり俺が保護者になる。そうなった以上、俺は自立のために最善の事を彼女にする義務がある」


「だから褒めない、と?」


「……そうだな」


「いーじゃん! バカ!」


「良くないんだ。そうやって挫折してきた人間が、たくさんいる」


「身の回りに、そういう人が居たの?」


「ああ」


「だったらそれは経験則じゃんか。子育てをしたこともないくせに」


「ちゃんとした理由を話せば長くなる。まぁ、今のところは、俺がそういうめんどくさい人間だとでも思っていてくれ」



 ミヤビのモトユキに対する好感度が若干下がった。



「ルル」



 呼びかけられたその声に反応して、ルルは驚いた表情で彼を見た。

 彼の心の中には、複雑な感情が渦巻いていた。それは必ずしも自分を否定するものではなく、「撫でたい」という感情も少なからずあった。しかし、相手がそれを望んでいたとしても、彼の理性は頑なにそれを押さえつけているのだった。変な理屈だった。変な理屈だけれども、少なくとも、屁理屈でない。経験則だけでもない。彼が今まで勉強してきた「人間」という存在に対しての、答えだ。



「何を思ってこういうことをしたのかを、全て正直に教えてくれ」



 彼の予想は、ほぼほぼ合っていた。自分が「悪くない」と肯定されるために、今のところの「正義」を定義する人間に、認められようと行動したことを。ただ、純粋な好意があったことも確かだったから、それを考えてくれていなかったのは悲しかった。

 自分の記憶を、口移しで渡した。経緯を知ったモトユキは、「肯定されたい」という欲に対してこう答えた。



「好きという感情は、すべてを肯定するって意味じゃない。それと、今回の件の話だけど、君が悪いのなら俺も悪い。でも、誰が悪いか考えたって仕方がないじゃないか。俺が悪くないと言ったところで、皆が死んだという事実は何も変わらない」


「……」



 ルルは泣き出した。なんで泣いているのかは自分でもよく分からなかった。でも、怒られたから、という訳ではない。それだけは確かだった。



「あーあ、泣かせちゃった」


「ごめんな」


「嫌われるよ」


「そうだな。もうすこし、優しく言ってやれば……あぁでも、心読まれちゃうし、あまり意味は無いか」


「ってか、なんでもっきゅんはあのとき撫でてくれたの?」


「……なんでだろうな」



 彼は、泣いているルルの頭をそうっと撫でた。

 癇癪を起した子供には、論理的に諭す前に落ち着かせる必要がある……という理屈。その裏では、撫でられたいって気持ちに、決して応えたくないわけではないようだった。



「嬉しくないわけじゃないんだ。撫でてほしいって気持ち。誰かに求められるのは、むしろ気分が良いこと」


「……」


「ありがとう。色々やってくれて、助かったよ」


「……!」





「じゃあさ、もっきゅんはどんなときに撫でてくれるの?」



 不貞腐れたミヤビが聞く。モトユキはゆっくりとそれに答えた。



「それが難しいところだ。褒美としてのスキンシップか、愛情表現としてのスキンシップか……しっかり見極めないといけない。ま、確実なのは、正面から頼み込んでくれたときだ」


「なぁんだ。私が最初に提案したやつじゃない」


「……俺、死ぬのかな」


「え、急にどうしたし」


「なんでもない」


「やっぱ、変だよねぇ、もっきゅん。すごい頑固だし理屈っぽいし」


「……」


「モテないっしょ」


「うるせぇ」



 モトユキはしばらくルルを撫で、彼女が落ち着いた後、小説の続きを読むことにした。



「あれ、エロ小説まだ読むの?」


「モトユキサンノスケベー!」


「面白いんだよ、これ」

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