6.5 「幻魔の誇り」

「――――嗚呼、魔物様! この愚かな魂の浄化を!!」



 天へ向けてそう叫ぶ男は、金の装飾が施されている赤いフードマントを身に着けていた。この町で最も大きな建物の屋上に立ち、眼下に広がる景色を見つめる。そして、彼の背後に整列した集団は、男と同じフードマント(だが金の装飾はない)を身に着け、膝を立て、一斉に「浄化を」と口にした。

 マントが風に翻ったとき、町は「地獄」と化した。


 断末魔。

 生物が死ぬ時に発するその声は、何かを嘆くか、死に抗うか、ともかく強烈なうめき声のようなもの。町中がそれに包まれ、やがて錆鉄の臭いが漂ってくる。



 ハトル、パテカウル大陸中部に位置するその町は、もともとはダラムクスと同じくマイアミル王国領であった。だが、先の紅い満月ブラッドフルムーンにより、マイアミルが王国としての機能が失われてしまったため、この場所は無法地帯なうえに壊された建物が未だいくつも残る、そんな町となってしまった。


 先日、とある宗教団体がこのハトルへ訪れた。彼らは「幻魔教紅緋派」と名乗り、ハトルの治安維持活動や建物修理などを請け負い、練達な魔法でハトルをみるみるうちに復興させていった。人当たりもよかったので、ハトルの民が彼らを支持するようになるまではそう時間がかからなかった。

 彼らの教えは「魔物も同じ生き物」だと言い、殺生を酷く嫌った。殺生など当たり前のように行われてきたハトルの民はこれに感心し、幻魔に入信する者も少なくなかった。やがて、十数人だった幻魔教紅緋派は百数十人程度にまで膨れ上がることとなる。


 だが、そんな彼らを信じなかった者もいる。

 その多くは権力を持っていた金持ちや、魔物を狩って生活するハンターなどだった。金と武という力がある彼らは、幻魔の力など借りることなくとも、贅沢な暮らしはできていた。例えば、適当な金を与えて借金を作らせ、奴隷という名が正式についていなくとも奴隷と呼べる、労働や淫売を強いる生活をさせる。紅い月から命を守る代わりに、法外な(法など存在しないが)金を要求し、払えなければ、やはりこれも、奴隷と呼ぶべき仕事をさせるのだ。



 彼らは今どうしているか?

 ……魔物に食われている。



 そう、食われている。

 魔物などもってのほか、人間を支配してきた彼らが、今、四肢をもいででもその命保とうと、足掻き、もがき、苦しみ、逃げ惑う。私腹を肥やしてきただけの金持ちならまだしも、剣を持ち、戦うことのできるハンターはどうしているか? どうもしていない。どうにもできないのだ。奴らは強すぎる。いつもは一撃で殺せるはずのゴブリンでさえ、魔法で強化されているのかは知らないが、その柔い皮膚に刃を通すことができない。



「うぁぁぁ!! 助けてくれ!!!!!」


「こいつ!? 俺の腕を食いやがった!? ふざけるな、ふざけるな!!!」


「お願いします、どうか、心を改めますので……どうか……。い、嫌だ、来るな!! 死にたくない!!」



 その光景を見て、残っている民(貧民)はせせら笑う。

 あれだけ恐ろしく神よりも強い力を持っていたはずの奴らが、今では蟻のように、いや、勇敢に戦う蟻と卑下するのは気が引ける、そのくらい、惨めで、地を這い、泣き叫んでいる。



「ひゃはははははははははははははは!!!!! いいぞ! いいぞ!!」



 幻魔教紅緋派代表、アメノ・レン。

 中肉中背の黒いミディアムヘアー、切りそろえられた眉に高い鼻をしていて、間違いなく美青年と言える。だが、その甲高い笑い声と右側しか上がらない口角のせいでそれも台無し。先程の儀式の音頭をとったのが彼である。


 彼はこの世界の住民ではない。真の名を「雨野蓮」という。

 所謂転生者であり、「意識神ウォルンタース」の御子である。

 祝福「識絶」。目を合わせただけで気絶をさせることができるだけでなく、対象の意識を「壊し」、自分という存在を刷り込むこともできる。


 彼自身には魔物に立ち向かう牙も無ければ勇気もない。ナイフで一突きされれば致命傷を負うような身体だ。だが、他を寄せ付けない絶対的な能力とそれを扱う残酷無慈悲な心を持ち合わせる。

 故に最強。どんなに強き者も、脳を作り替えられ、操られる。彼の側近にいるのは、誰もかれも美女であり、かつ強力な魔法の使い手。一切苦労することなく彼女らからの忠誠を得、今こうして響き渡る断末魔に耳を澄ませ、そして感嘆している。



 ……嗚呼、これほど美しい光景がこの世にあるだろうか。



 うっとりと、様子を眺める。魔物に潰され、引き裂かれ、ちぎられ、そうして料理された彼らが食われていく。食物連鎖の頂点だと奢っていた彼らは、今、何もできずに死んでいく。さっきまで動いていて、人生という、楽しくもあれば辛くも悲しくもある「それ」を積み上げてきたのに、最後は、どう形容しようか迷うのだが、こう、ぷちっと死んでいく、その瞬間が、思いを馳せるだけで、ゾクゾクとした感覚が背中を走る。



 気持ちいい、きもちいい、キモちいい!!!



「あぁ、皆! 魂の浄化を歓迎しよう! 傍若無人の限りを尽くした彼らは、今、死ぬ! ここで死ぬ! その人生を終える! 心臓が止まり、血が脳みそに行かなくなり、空っぽになった頭で形容しようのない恐怖と闘いながら、本来脳みそに行くはずだったきったない血を散らしながら、嗚呼!!!」



 新しく教団に入った者は、腹の底から湧き出る「何か」によってくすぐられているような感覚がしていた。悪いことをしている、はずなのに、どうしてか、良いことをしている、かのような、狂った感情になっていく。それを分かっているのに、それが心地よく、灰色の曇天が雲一つない晴天に思えるのだ。


 ……今ここに、レンを悪く思う者はいない。



 やがて、断末魔は聞こえなくなった。星一つない深夜のような、恐ろしいほどの沈黙が場を包み込む。至る所にあるのは、引き抜かれた内臓、飛び散った血、食べ残された肉、骨、毛、衣服。

 この美しき静寂を破るのは、レンの一声。



「――――さあ、『真の』浄化を始めよう!」



 直後、「はい」と応えたのは、ハトルに来たときから幻魔の人間だったレンの側近たちだ。ハトル出身の、新しく幻魔に入った彼らには何のことか分からなかったが、何かいいことが起きるに違いないと信じていた。



 ……信じていた?

 否、違う。期待していたのだ。さらなる殺戮を。



 そんな彼らの表情も、次のレンの行動で恐怖に染まる。

 一番前に並び、幻魔に対して最も誠実な姿勢を見せていた老人を、おもむろにレンは選び出した。そして、自分の隣に立たせ、固く握手をしたままその拳を天へ向けて突き上げた。栄光の雨が老人へ降り注ぐ。



「彼は、我々の活動に最も尽力してくれた。その栄誉を称えよう!」


「あ、ありがとうございます……!」



 ……このときは、まだ。

 まだ、レンが人徳者であるように思えた。





 ――――次の瞬間、老人は建物から突き落とされる。

 地面に落ちた衝撃で、骨がいくつか折れ、息のできない痛みに襲われる。何が起こったのかは分からなかったが、しかし、これから何が起こるのか理解することは、彼、そして彼らにとって容易だった。


 腹をすかせた魔物が、老人の体を持ち、そして引き裂いた。

 しわがれた悲鳴が響き、それにかぶさるようにレンの笑い声が響く。



「ひゃはははは!! どう!? 嬉しい!?」



 彼らは今更悟った。いや、ずっと前から知っていた。

 自分等が尊敬していたのが、狂人であると。

 所詮、自分等も、魔物の餌に過ぎないのだと。


 逃げた。

 驚かされた虫の如く、必死で逃げた。

 建物から降りる階段で、転がり落ちて死んだ者もいた。

 建物から飛び降りて、頭から落ちて死んだ者もいた。

 逃げる大人に踏みつぶされて死んだ子供もいた。

 それでもかまわず、希望という名の暗闇めがけて、走った。


 第二陣の断末魔の嵐。

 どうあがいても殺される運命からは逃れられない。

 子供も赤子も然り。



 しばらくして、ハトルの民は全滅した。

 たった十数人……いや、たった一人によって。

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