8-3
「――――いってぇぇ!!」
浴室の中に、ディアの叫び声が響き渡った。
シャンプーが目に入ったのだ。しかし、目が痛い原因がシャンプーにあると気付かないから、そのまま目を擦ってしまう。そのたびに沁みて、痛みに悶える。
「ディ、ディアちゃん、大丈夫ですか!?」
ローレルはまだ洗いかけのディアの髪の毛を流し、その金色の目を良く洗う。
同時に彼女は恍惚する。こんなに艶やかな髪の毛をしているのに、自分では洗うことのできないディアが、とても可愛く思えるのだ。にやにやが止まらない。
ギルバードをからかっているときと同じような感覚だった。
「な、何なんだよこれ……毒か?」
「毒じゃないですよ」
ディアは自分の手に残った泡を見ながら小首をかしげた。
普段の彼女なら、ここでいろいろと推測するだろう。吸血鬼の館に居た謎の少女だからこそ、尚更。普通の子供よりもはるかに多い魔力と、似合わない言葉遣い。そして圧倒的無知。これらから、彼女の背景をじっくりと読み解いていく……。
だが、そんなことどうでも良かった。
可愛い! 可愛すぎる!
まだあどけない顔だというのに、長い紫色の睫毛が縁取る黄金の瞳は本物。邪気など一切感じられぬ、子供ならではの振る舞い。その全てがローレルの母性本能を全力でくすぐっている。
「目をつぶっててくださいね。私が洗いますから」
「ん、分かった」
するすると自分の指を通り抜けていく髪の毛の感覚。それをじっくりと楽しみながら、洗っていく。優しく、優しく。艶々で、まるで絹のようだ。少し羨ましいとも感じるくらいだった。
コツッ、と指先に何か硬いものが当たった。
ぐりぐりと触ってみると、明らかに何かがある。頭蓋骨ではない何か。たんこぶというには、少々尖りすぎている。そしてそれは、前頭部に並んで二つあった。
「これは、何ですか……?」
「角だが?」
「角……!?」
流石にこれは、ローレルも少し考える。
しかし、彼女に蓄えられている情報の中に、「角の生えた人間」というものは存在しない。せいぜい彼女が知っているのは亜人の中でも「獣人」である。恐らくそれの一種と予想するが、どこか信じられない。
「獣人」、それは動物の特徴を持った人間のことである。古代に人間が創り出した動物であり、兵器として利用されていたらしい。それらが野に放たれ、獣人達だけで文明を築き上げるようになり、知的生命体として繁栄している……というのがディオックスでの一般的な認識だ。
それは吸血鬼との戦争よりもずっと前の書物なので、ディオックスでは存在を認めない学者もいる。また「紅い月」により、絶滅してしまったのではないか、という説もある。
「え、えっと……ディアちゃんのお父さんとお母さんは?」
「さあ?」
予想外の答えが返ってきた。不謹慎だが、まだ「死んだ」と言われたほうが納得できる。しかし、今の彼女の返答の仕方は明らかに「何も知らない」のだ。しかし、お父さんとお母さんという単語自体は知っていることが分かる。
ということは、ディアは「親がいないことを不思議に思っていない」ということになる。
それを知ったところで、ローレルにはどうすることもできなかった。
何せ、彼女が「外」に出てからたった一か月ちょっとしか経っていない。いくら鳥籠の中で学んだとはいえ、それは古い知識。何も知らないのと同じだった。
ディアがどんな境遇にあったのか、予想することはできなかった。
「おい、どうし……んむ!?」
ぎゅっとディアを抱きしめた。顔を胸に挟んで。
突然の出来事にディアが困惑しているのが分かったが、ローレルはそのまま言葉を紡いだ。
「ディアちゃん。困ったときは助けを求めていいんですよ?」
「???」
まだディアの頭が泡まみれだというのに、抱きしめるものだからぬるぬるする。
それが不快に感じたのかどうかは分からないが、ディアは
「いってぇぇ!!」
湯船につかるころには、ディアは疲労困憊だった。
ただ、そのおかげかは分からないが、「湯」の心地よさに蕩けそうな様子だ。
「そういえば、なんで包帯をしていたんですか?」
「モトユキが巻いてくれた」
「でも、怪我って何もしてないですよね?」
「治った」
「……?」
傷一つ残っていないディアの身体が、ローレルには不思議に思えた。
魔法学校に通っていた彼女にとって、人が包帯をしていることはあまり珍しいことではない。が、その場合、包帯を外すようになっても傷は多少残っていることがほとんど、というか全てだ。
完全に直るような、かすり傷でもない傷をどうして包帯で巻いていたんだろうかと不思議に思った。
でも、少女の傷は無いほうがいいに決まっている。
治ったのならそれでよかった。
「……浮くんだな、
ディアが何やらこちらをじっと見つめている。
しかし、その視線には違和感があった。ローレルが彼女の視線を追うと、それは自分の胸であった。ローレルは巨乳である。普段は体のラインが出ないローブを着ているからあまり目立たないが、実はわりとある方なのだ。戦闘をする際には邪魔なのだが、彼女自身も嫌いではなかった。
こういう場で自慢できるし。
「触ってみたいですか?」
「……いや、いい」
そっぽ向いてしまった。
だが、ローレルは彼女の耳が赤くなっているのを見逃さない。
きっと照れているんだろうなと思って、にやけてしまう。
実際は、のぼせているだけであったが。
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