55話 アビス 闇より暗い海の底

 飛ばされてきた日から数え、三日目の無人島。あれから何度か食料を焼いては食べ、まともな量を確保できない水を少し作っては、愛が飲む。そうやってなんとか二日目を乗り越えた二人は、一日目と同じく焚き火を囲んで就寝していた。


朝日がやっと昇り始めた頃。火の番をしなければいけないとはいえ、流石に二日連続ほぼ寝ないのは辛かったのか龍二は砂浜に寝転んで睡眠を取っていた。


 火を付けれる龍二が寝ていると、当然焚き火は消えてしまってしまう。そのため少々寒いが、睡魔には勝てずに二人とも眠っている。


 やっと訪れた無人島での穏やかな時間だが、それも、長くは続かない。


「ぐッ……来たか……!」


 突然の頭痛に眠りから覚める龍二。いつか来るとはわかっていた災厄が今二人に襲い掛かろうとしていた。龍二の頭痛、それが知らせるのは同じベルゼリアンの接近。この場所にこのタイミングで来るのは一人しかいない。空を縦横無尽に飛び、風を自由自在に操るハルピュイアのベルゼリアン、オキュペテ。


「おい、起きてくれ。戦いになるぞ!」


 敵がここに襲い掛かってくる前に、急いで愛を叩き起こす。まぶたをこすってまだ寝足りない様子の愛だが、今の状況を理解して、すぐに起き上がった。


「もう、来るんだ」


「……ああ」


 いずれは来るとわかっていた。しかしいざ襲い掛かってくるとなると、胸が騒めいて仕方がない。なぜならばこの戦いは龍二が死を覚悟するほどの状況の悪さだからだ。龍二が決して勝つと言い切れないその意味の重さを、愛も少しは感じ取っていた。


「絶対は無理だって、わかってる。だけど……お願い、死なないで」


 それでも龍二に、いや、愛する人に死んで欲しくないと思うのは当然の事だ。だから贈る言葉は約束ではない。あくまで勝利への祈り。


「……努力はする。俺も無駄死にするつもりはない」


 祈りへの答えは、歯切れの悪いものだった。この島に飛ばされてきてから、龍二はもう一度オキュペテが襲い掛かった時、どう戦うか考え続けてきた。しかしどれだけ長く、何度考えても不利な戦いだ。


 小さな島で、周りは海。その状況で相手はこちらにない飛行能力で飛び回り、操る風に剣とも互角に渡り合う爪で連続攻撃を仕掛けてくる。戦闘能力は今まで戦ってきたベルゼリアンの中でもトップクラス。


 それに対して今の龍二は徐々に自分の体に蝕まれ力は低下、虎白から貰った薬の力もすでに切れ始め、無人島生活で体力も使っている。前回戦った時よりもボロボロだ。


 この状況下で愛を守るためにオキュペテを倒すには……龍二の頭の中には相打ちの言葉が浮かぶ。それが愛の望むことではないとわかってはいても、守り抜くために自分の出来る全てをする覚悟は揺らぐことはない。


「来るぞ、なるべく俺の近くにいてくれ」


 龍二がそっと愛を庇うように前に出た。波が少し高くなって、木々の揺らめく音が大きくなった気がする。この風は奴が来る合図だ。


「お久しぶり、青龍さん。こんな辺鄙な場所に飛ばされてどんな気分かしら?」


 昇ったばかりの太陽を背に、上空からオキュペテが襲来する。圧倒的な状況に余裕の笑みを見せる彼女に、龍二も同じく不敵な笑みを浮かべながら。


「わざわざバカンスに送ってくれてありがたい、礼に冥土へぶち込んでやろう!」


「あんたは回遊ツアーがお望みのようね!」


 オキュペテが翼を大きくはためかせると、白い砂浜の上に視界が遮られるような砂嵐が巻き起こる。これで相手の視界を奪い、優位を取ったと思っていたが、それが油断を生んだ。


 空を飛ぶことが出来なくても、跳ぶことはできる。龍二は驚異の跳躍力で垂直にジャンプし、砂嵐の中から脱出する。その勢いのままオキュペテより高い位置に行くが、ここからでは剣を振っても届かない。

ならばと手に持った剣をオキュペテ目掛けて思い切り投擲する。その剣は羽根をかすめるも、まともなダメージとはならなかった。龍二は舌打ちをして、砂嵐の中に落下していく。


「不意を突かれたけど、残念だったわねぇ。そんなかすり傷じゃ私は倒せないわよ?」


「いや、かすり傷だけでいい」


 砂嵐の中で龍二は目を閉じる。最早相手を探すのに周りを見る必要はない。逃れようのない目印が既に付いているのだから。龍二の顔に冷たい液体が垂れる感覚が。


「そこだァァッ――!」


 顔に垂れたオキュペテの血液を目印に、龍二がもう一度跳躍する。今度は遠い位置ではなく、正確に相手を捉えた位置に飛びあがり、その足に掴みかかった。


「取ったぞ、鳥人間!」


「小癪な奴! 掴んだだけで勝てると思ってるなら大間違いなのよ!」


 オキュペテは足を掴んだまま離れない龍二を振りほどこうと暴れだす。急上昇からの急降下、島にある木々に叩きつけたかと思えば今度は地面に引きずりながら。とにかく龍二をその身から離そうと乱暴に飛び回る。


「龍の顎(アギト)は、一度食らい付けば離すことは無い!」


 龍二もやられてばかりではいられないと足に噛みついた。一つ一つが深く突き刺さる歯、そして強靭な力を持つ顎が決して離さない。文字通り振り落とそうと飛び回るオキュペテに食らい付いている。


「このっ! 手こずらせただけでいい気になるんじゃない!」


 いくら振り落とそうとしても全く通用せず、それどころか痛手を貰ったオキュペテが怒りをあらわにする。食らい付いた牙は、振り落とそうと動けば動くだけ奥に食い込んでいき、肉を切り裂いていく。ただ闇雲に戦っていたのでは勝てないと踏んだオキュペテは、新たな手に出ようとしていた。


「悪いけど、本気で潰させてもらうことにするわ。下手な足掻きをしたことを後悔させてあげる!」


 そう言って急上昇していくオキュペテ。龍二は腕と歯で必死に食らい付き続ける。どんな手を使われようとも、相手の至近距離に居続ける限り、いつか勝機はやってくると考える龍二は、相手の手を耐え凌ぎ、逆に隙あれば喉を掻っ切ってやろうと神経を尖らせる。


 天高く舞い上がったオキュペテの向かう先は、急降下して海。鳥が魚を狩る時のように、高さを利用し猛スピードで海中に入る。全身に塩水が触れて、戦いの傷に染みていく。だが、この程度の痛みは戦いの中に生きる二人にはどうという事は無い。むしろ、痛みで食いしばる力がオキュペテの肉に歯を食い込ませていく。


「風には、こういう使い方もあるんだから!」


 海の中、二人にしか聞こえないオキュペテの叫び。それが新たな手の合図だという事は火を見るより明らかだった。龍二は水の中に居るのにも関わらず、肌に触れる風を感じる。強風は海をかき混ぜる様に円を描いて吹き荒れ、眠っていたように穏やかだった海を目覚めさせる。出来上がったのは、人工の渦潮。


「アハハハハ! この渦の中に飲まれて溺れ死ぬが良いわ! 暗く冷たい海の底で、女の一人も守れない事に絶望しろ!」


 台風の目のように穏やかな渦の中心でオキュペテが笑う。その様子を水の中から見上げながら、龍二は必死にしがみつく。呼吸の為に口を開き、最早牙は相手を穿いてはいない。その為腕の力だけで渦に飲まれないように抵抗し、攻撃のチャンスを探すが、自分が流されないようにするのだけで精一杯で攻撃など出来る余力が無かった。


「まだだ……ここでやられる訳には……ッ!」


「往生際が悪いわね、出来損ないの龍モドキ! 潔く死ねぇェェ――!」


 渦の回転がより一層早くなる。水の奔流に抗う力を今の龍二は持っていない。それでも流されてしまえば一巻の終わりだと、ひたすら手に力を入れ続ける。引き千切れそうなまでに渦に引っ張られ続ける腕、懸命に耐えても耐えても光明は見えず、早くも限界が訪れようとしていた。


「俺は……守らねば……愛――」


 渦潮に逆らうために全ての力を使い、か細くなった声で愛の名を呼ぶ。それと同時に龍二の体は海の奥底に消えていくのであった。


 深く冷たい海の底、男と女を深く結ぶ愛も絆も、圧倒的な力の前では無力なのか。闇に蠢く怪物は未だ頭上に。


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