三十路のサダメ

鈴川 まな

序章

ショートパンツにミニスカート、肩を出したニット、キャミソール…

 そう言うものとどんどん遠ざかっていく自分を感じる。



 早坂 美弥子(はやさか みやこ)、三十歳・未婚。

 先月誕生日を迎えとうとう大台に乗ってしまったのだ。

 結婚の予定は無し。彼氏もいない。

 もう三年くらい恋愛とはご無沙汰だ。

 仕事だけは順調で、来月から昇給するらしい。

 バリバリのキャリアウーマン、とまでは行かないけれど、仕事をして、終わったら帰って寝るだけの生活を随分長い事続けている気がする。

 趣味は週末の映画館での映画鑑賞。もちろん一人。

 同い年の友達はみんな主婦。

 

 仕事中だと言うのにそんな事を悶々と考えてしまい、私はタイピングの手を止め思わずため息をついた。

 私の人生、こんな事でいいんだろうか。


「早坂ァ今日も残業か?」

 四十代のおじさん課長がニヤニヤと笑いながら近付いてくるのが声だけでわかる。

「今日は金曜日だぞ。お前予定ないのか?」

「ええ。寂しい一人者ですから。」

 わかりきっているくせに課長はこう言った意地悪をするのが大得意だった。

 こんな風にスマートに受け流せるようになったのもつい最近の事で、これが始まった当初は顔を引きつらせる他なかった。

「ま、あんまり根詰めないようにな。」

 気遣ったような台詞を残して課長がオフィスを後にする。

 どうせアフターファイブに予定のない三十代独身ですよ――

 心の中で自嘲気味に毒づいて、また嫌気がさす。

 

 若い頃は頻繁に声がかかっていた合コンの誘いも気付けばなくなっていた。

 ナンパも二十代が終わりに差し掛かるにつれてめっきりなくなった。


 人がまばらにしか残っていないオフィスに素早く目を走らせ、そっと鞄からコンパクトを取り出し自分の顔を確認する。

 うん、メイクも崩れていない。三十歳にしては我ながら若々しい見た目だ。

 広報部は服装が自由なので見た目にも気を遣っていた。

 膝丈のフレアスカートに紺色のカットソー、首元には派手すぎない花柄のストール。

 細身でところどころストーンがあしらえられたブレスレットはお気に入りだ。

 足元のオシャレも気を遣っていて十センチのヒールは欠かさないようにしていた。

 女はヒールを履かなくなったら女じゃなくなる。

 私の持論だった。

 こんなにオシャレに気を遣っているというのに男の気配はゼロ――これっておかしくない?



 考える内に仕事が進まなくなってくる。

 今日はもう終わりにして、来週から仕切り直そう。

 エクセルのデータを保存して、パソコンをシャットダウンする。


「お先に失礼しまぁす」

 若い男性社員もいるので猫撫で声を出してみるが、返ってくるのは「うーす」「お疲れ様でーす」と言う至って事務的な気のない返事ばかり。

 あーあ。うちの課はつまんない男ばっかり。

 私はブルーな気持ちでオフィスを後にした。




 このまま帰るのがなんとなく癪なので、夜の繁華街に繰り出してみることにした。

 私だってまだクラブくらい――と一瞬頭をよぎったが、すぐにかぶりを振る。

 ないない。この歳でクラブはないわ。


 明るいネオンに包まれた街中に、ふと見慣れない路地裏を見つける。

 そこだけが別世界のように薄暗かった。

 普段だったら素通りするところだが、特に予定もないのでたまには変わった事をしてみよう、と興味本位で足を踏み入れてみた。

 しばらく進む内にホームレスらしき男が寝転がっていたり、怪しい露店があったり、と早くも私は後悔し始めていた。

 少なくとも着飾った女はこんな場所には来ないだろう。

 ふとその中で淡く光を放つ建物の入口を見つけた。

 私はその前で立ち止まりぼんやりと建物の看板を見つめてみる。


「星屑古書堂――?」

 なんとなく洒落た名前だ。

 私は吸い寄せられるように中に入る。

 古書堂と言うだけあって中は大量の本があり、すえた紙とインクの匂いがする。

 本棚に入りきらない本は床に山積みになっている。

 あまり清潔な印象は受けなかった。

 本棚に並んでいる本も日焼けをしているし、ラインナップも今時の小説と言うより近代文学や古文が多かった。

「いらっしゃいませ」

 不意に店の奥から声がかかる。

 少し驚いてそちらを振り向いて私は固まった。

 


 今まで見たこともない美青年がそこに立っていた。

 この世のものとは思えないくらい端正な顔立ちに優しげな微笑みを浮かべている。

「何かお探しですか?」

「え、えっとあのう…」

 言葉を紡げなくなる。

 目を合わせられない。

 男性相手にこんなに緊張したのなんて十代以来だ。

「な、なにかおすすめの本ありますか?」

 言ってから途端に自己嫌悪に陥った。なんて愚かな質問をしているんだ。

 映画はそこそこ詳しかったが本はそこまで詳しくないのだ。

 だが青年は嫌味のこもらない自然な笑顔で応じた。

「かしこまりました。ではこちらへどうぞ。」

 促されるままにカウンター前の椅子に腰を下ろす。

「おすすめ本をご希望の方には一度カルテのご記入をお願いしております。簡単な質問ばかりですのでお気軽にお答えください――」

 男性の説明を受けながら、私はぼんやりとその横顔に見惚れた。

 

 もしかしたらこれは運命の出会いなのかもしれない。

 場違いだとわかっていながら私はそんな事を考えていた。

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