第116話 “長いお別れ”…偽りのダークヒーロー編

 ミトラは自分の身に起きていることが理解できなかった。

 なんだ? 何故なぜこの男の手が俺ののどを締めている?

 俺の剣は、イミテーションブリンガーはコイツの肉体を突き刺してブチ抜いてるはずだ!

 一体どうなっていやがるんだ! なぜ俺がこの雑魚に、この場面でこの状況で追い詰められているんだ!?



 そうだ。

 昔からそうだった。

 昔から、幼い子供の時から、この男はそうだった。

  自分よりも才能がおとるくせに、あきらめが悪く無駄な努力を止めない兄。

 どんな工夫をしたところで、ミトラに勝てるはずも無いのに必死にあれこれと食い下がる、鬱陶うっとうしい兄。



 なぜ俺はこんなにも、無能で諦めが悪いだけのこの男の事がいらつくんだろう。


 

*****



 ミトラの前世は、日本のとある地方都市の有力者の息子だった。

 その都市は、ミトラの前世である男のその父が経営する会社によって、その産業によって成り立っていた。

 だから、その都市では父に逆らう者など誰も居ない。

 その家族や家族に取り入る者たち全ての人間に逆らう者も。


 だからミトラは、ミトラの前世であったその男は、父の権力の七光りによって、生まれながらに好き放題生きてきた。

 殺人以外のありとあらゆる犯罪を犯していたような記憶がある。

 だが、街の人間は誰一人としてその事に文句も言わないし、逆らいもしない。

 何故なら、その街で父とそれを取り巻く人間達に逆らう事は死を意味するから。


 法を犯す彼等を断罪したところで、その狭い都市でその後どうやって報復を受けずに生きていけるというのだろう。

 力無き、弱き底辺層の人間なら尚更なおさらだ。

 力が無いということは、その都市から逃げる力すら持っていないという事なのだから。


 ミトラの前世であった男は、我慢の出来ない我儘わがまま放題な、自制のかない人間に育った。

 そして父の権力の七光りによって、その全ての行動を肯定されることしかされずに生きていた。



 それは時間の問題だったのかもしれない。

 ある時ミトラの前世であった男は、その友人を自称する無軌道に生きる仲間と殺人を犯した。

 彼等は殺人を犯したという意識すら無かったかもしれない。


 それはある時、仲間の車で街中を走っていたときだ。

 本当に気まぐれに、歩道を歩いていた若い女をさらって遊ぼうという話になった。

 街中を車で走り、たまたま目に付いたルックスが程良ほどよい若い女をさらった。


 父親手持ちの別荘で、酸鼻さんびを極める蛮行ばんこうが開始されたのはその日からだった。

 仲間と一緒にその女をわるわるレイプして、気の向くままに殴るるの暴行を行う。

 その行方不明になった娘を半狂乱になって探す両親を嘲笑あざわらい、その姿を思い浮かべながらその娘を犯して暴行する。

 そんな日々が続いたのが一か月だったろうか三か月だったろうか。


 誘拐して三日目あたりで意思表示をしなくなったその女が、久し振りに言葉を発した。

 妊娠した、と。

 あせった彼等は、その焦りが怒りに変わって皆で殴る蹴るの暴行を始めた。

 どうしたら良いか分からないという混乱は、彼等から手加減を忘れさせていた。

 気が付けば、最悪の状況になっていた。


 今まで黙って耐えてきた底辺層の人間だった娘の両親は、娘が殺されたことには我慢をめた。

 父に鼻薬はなぐすりがされ続けていた警察も、殺人にはさすがに動かざるを得なかった。

 今まで罪を隠蔽いんぺいし続けてきた父は、それを切っ掛けに息子を、ミトラの前世であった男を見放した。


 仲間が全員捕まったのに、自分だけが捕まらずに逃げられたのが不幸中の幸いだった。

 しかしそれが本当に幸いだったのか。

 無我夢中で逃げていて、走ってきたトラックに気付かずにき殺された時には、それがどっちなのか彼には判断がつかなかった。



*****



 気が付いたときに目に入ったのは、見知らぬ天井、見知らぬ人間。

 いや、人間と言って良いのだろうか。

 非常に整った美しい顔立ちに、横に長く伸びた耳。

 ゲームで見たことがある。エルフと呼ばれる人々だ。

 

 自分の両親など足元にもおよばないぐらいの美しさを持つ彼等のうち、女性が手を伸ばして彼を抱え上げる。

 そして彼をいとし気に見つめて、何か言葉を発した。

 それがこの世界の言葉で「貴方の名前はミトラよ、愛しい私の息子」だったとは、この時点での彼には知るよしもない。


 彼を同じように見つめる、家族らしい大人の男と子供の男。

 彼はこの世界に転生したのだと知った。

 まるでどこかのゲームかライトノベルのように。



 そしてよくあるライトノベルのように、ミトラには特殊な能力が備わっているのがすぐに自覚できた。

 脳裏にはっきりとそれが刻み付けられていたからだ。

 残念ながら物語のように大量のスキルが備わっているわけではなかったが。

 「強運」と「魔力ブースト」。その時点のミトラが自覚できたのは、その二つ。

 まあ現実的にはこんなものかと、少々残念に思いながらもその時は割り切った。


 子供の男は、おおよそは予想していたがミトラの兄だった。

 どうやら魔法が使えないらしい。

 それでも魔法を使えるように悪戦苦闘する兄を尻目に、鼻歌混じりに強大な魔法を使いこなすミトラ。

 そんなミトラをくやしそうに見つめる兄の顔を、優越感たっぷりにながめるのは気持ち良かった。

 

 いつしか兄は魔法を諦め、それ以外の事で活路を見出そうとし始めたようだった。

 だがエルフは魔法が使えることが当然の種族。

 それは日本人が、日本語を読めることが当然とされているように。

 魔法が使えない兄をかえりみる村人は、誰も居なかった。

 ミトラもそんな兄をさげすみ、無能と呼び捨て馬鹿にした。


 そんなある時。

 ミトラは村を取り囲む森の中で一人で遊んでいるうちに、森の奥深くに入り込み過ぎて迷ってしまった。

 魔法の才能におぼれて、それ以外の事など何一つ学ぼうとしていなかったミトラ。

 どうしたら良いのか分からず、ミトラは鬱蒼うっそうしげる樹々の中で途方に暮れた。


 そのミトラを、兄は誰よりも先に見つけて救い出した。

 その時ミトラは初めて、兄がまぶしいばかりのヒーローに思えた。

 村人も兄をたたえたのは、その時が初めてではなかっただろうか?


 しかしそんな兄の姿を見て、ミトラの胸に黒い感情がき上がった。

 なぜチートを持つ自分ではなく、魔法すら使えない無能な兄が英雄扱いされるんだ、と。

 そう思ったとき、知らずに口をついて出た。

 森の奥まで自分を無理矢理に連れて行ったのは兄なのに、なぜ皆そいつを褒めそやすのか、と。


 その時の兄の顔が忘れられない。

 信じられない、理解できないといった表情で、自分をおとしいれるミトラを見る兄の顔を。

 一瞬で兄の栄光は地にちた。

 村人はミトラの言い分だけを信じて、兄の言葉に耳を貸すものは居なかった。

 村人は『兄に無理矢理に連れていかれた』ミトラをなぐさめ、怖かったな、頑張ったなと口々に言った。

 それ以来、兄は村の底辺から浮かび上がることは無かった。


 兄を陥れてもなおミトラを正当化して褒めそやす村人を見て、たまらなくなった。

 この状況は、生前の父の権力ゆえの賞賛ではなく、おそらく「強運」のチートから。

 なんて。なんて美味おいしい状況なんだろう。なんて恵まれたスタートを切れた人生なんだろう。

 そう心の底から思えた時、脳裏の「強運」表示に変化があった。


 “主人公属性”


 そう表示が切り替わった時にミトラは全てを理解した。

 俺はこの世界での物語の主人公として転生したのだと。

 事実、それ以来ミトラのやることなすこと全てが上手くいった。

 なぜか状況も、いつもミトラに都合の良いものになっていた。

 それにちょうどこの辺りからだった。

 「ポイント」が発現して、様々な技術がポイントで手軽に取得出来るようになったのは。


 兄はいつも損な役回りを押し付けられて、しいたげられていた。

 まるで兄の運を、ミトラが奪い取っているかのように。



 だがそれなのに、兄の目からは輝きが消えなかった。

 魔法以外の技術や知識を貪欲どんよくあさり、気付けば近くの人間の村とも交流を作っていた。

 そんな兄の姿を見るたびに、ミトラの胸の奥には何とも言えない苛立ちが沸き上がった。

 兄の技術はポイントで簡単に手に入れられるのに、何だコレは。


 森に巨大な狼が現れたのは、ミトラのそんな苛立ちが積もりに積もっていた時だった。

 ミトラは苛立ちを消し去るべく村のエルフの長老や村長に提案した。

 あの男を、役立たずの兄を魔物のえさにしよう、と。

 そしておびき寄せた魔物をミトラとその仲間達が退治するのだ、と。


 考えたら、その魔物退治から少しずつ物事の歯車が狂っていたのかもしれない。

 今考えても、あれは何かがおかしかった。

 一度兄が自力で魔物を倒してしまったのに驚き、すぐに嫉妬しっと抹殺まっさつしようと攻撃したとき。

 起き上がった魔物が、一番近くの兄に目もくれずにミトラ達に向かってきたのは。

 そしてそのまま一直線に村を目指して、村のエルフを全滅させたのは。


 それからミトラは人間の町へ出て兄の元へ行き、兄を散々に陥れてきた。

 冒険者の仲間を奪ってやった。恋人を奪ってやった。

 手に入れた名誉も讒言ざんげんで奪ったり無くしたりもさせた。

 だがドラゴン退治の時だけは失敗した。自分の魔法の強さに溺れ過ぎていた。

 魔法が全く効かずに魔力が枯渇こかつしてしまったのだから。

 おかげで兄に、良い所をさらわれてしまった。

 結果的には兄の名誉を横から奪う事が出来たが、無能な兄があれほどの戦闘能力を見せるとは。



 ミトラが何をやっても、何度陥れても折れない兄の心。

 そしてミトラが目を離すと、いつの間にか兄の元へ集まっている仲間。

 自分が手に入れたハーレムの女の一人さえ、フェットチーネさえ兄の元へと去った。


 兄が目障めざわりだ。

 この心の苛立ちを消し去るには、兄を徹底的に叩きのめして殺してやるしかない。

 

 

 一度はそれに成功した。

 かと思えた。


 あの牛頭の魔物の討伐中に、後ろからの不意打ちで兄とその仲間達を抹殺できた時は。

 すぐに魔物に逆襲されて、全滅してしまったのは痛恨のミスだったが。


 そしてミトラはこの現代社会に戻ってきた……いや、エルフの身だから、やはり転移か。

 その転移した先で兄を見かけたミトラの衝撃。


 ──なぜ殺したはずのこの男が生きている!?


 そしてまた自分の苛立ちを消すために兄を陥れる。抹殺しようとする。

 だが、兄は負けなかった。くじけなかった。

 何をやっても負けずに立ち上がり、時には一旦撤退てったいしてでも再びミトラに立ち向かってくる兄。


 まるで……。


 いつしかミトラの胸の内に、その苛立ちの奥に隠されるようにまっていた感情。

 その感情を直視したくなくて、無意識に苛立ちで誤魔化していた。


 まるで……。


 だが、いまここで、この場で兄に首をつかまれて、ミトラはついにおのれのその感情から逃げられなくなった。

 どんな困難にも決して折れずに負けずに、兄は自分に立ち向かってくる。

 そうそれは、それはまるで……。



 そうだ、!!


 

 ミトラは今、はっきりと己の感情を理解した。

 

 ミトラは兄に恐怖していた。



 決して折れぬ、そのはがねの意思が怖かった。



*****



 ミトラは首を兄に掴まれたまま硬直して動かなかった。動けなかった。

 頭の中で必死に身体に命令するが、身体が言う事をきいてくれない。


 そうだ、少し身体を動かせば、こんなのはすぐに振りほどける。

 さあ動け、動くんだ。


 剣から手を離したら。

 上体を少し起こしたら。

 こんな弱々しい力なんて大した事じゃない。

 さあ動け。

 動けよ俺の身体。


 ミトラは恐怖に支配された心で、ひたすらそう念じていた。


 兄の手の力が少しずつ強くなり、どんどん喉への締め付けがきつくなる。


 動け、動けよくそったれ!!





 気が付けば、目の前に兄の身体が横たわっていた。

 右手に持つ魔剣イミテーションブリンガーが、狂った哄笑こうしょうのようなうなり声をあげている。

 ミトラは目の前の現実が信じられずに、呆然ぼうぜんと立ち尽くしている。

 自分が生きているのが信じられない。

 だが魔剣から、すすり取った魂が流れ込むのが感じられる。


 ミトラは、自分が最後に立っている現実を確かなものとする為に、無理矢理に笑い声をあげた。

 乾いた、ワザとらしい笑い声を。


「は……はははははは。ど、どうだ兄貴。最後に立っていたのは……この俺だ。勝ったのは……勝ったのは俺なんだよ、ざまあみろ。はは、ははははははは……」


 ミトラの脳裏に何かの声が響いている。

 イミテーションブリンガーの哄笑と自分の笑い声で上手く聞き取れない。


【………………………の……を確認……した】


【…………り……………………した】




 ただひたすらに笑い続けるミトラ。


 ちっとも勝った気がしなかった。



*****



 ミトラは回想から目覚めた。

 もうあの兄と戦ったのは、一年近く前のことだ。

 そして兄との最後の戦いのあと、倉庫に駆け付けた兄の所属組織の連中に自分を売り込んだのは。

 この男よりも俺は役に立つから俺を雇え、と。


 今度はこの組織を乗っ取ってやる。

 チートを持つ自分なら楽勝だ。

 チートを持たない兄などよりも、よほど自分は有能なのだから。


 そう思っていたのだが、なぜ自分は冷や飯を食わされて、組織の連中に白い目で見られているのか。

 ならば、自分を認めぬこの組織などつぶしてやる。

 そう思っていたのだが。



 目の前には、血を流して倒れているエルフの女。

 ついさっきまで自分と組んでいた女だ。

 自分の亭主を陥れる策略さくりゃくにこの組織を利用しようとしたら、逆に自分が陥れられて逆恨みしていたらしい。

 だがミトラを見下みくだす言動が余りに頭にきて、我慢が出来なくなって殺してしまった。


 一応、この女を“精霊”に出来ないか試してみたが、無理だった。

 どうやら魔素をその身にたくわえており、かつミトラに心酔している女であるのが条件らしかった。

 この女はミトラへの心酔が足りず、かつて部下だった魔物女たちはこの世界出身だったので魔素が無かった。


 だがここへ来て、絶好の“精霊”候補が現れた。


 クラムチャウダー。


 あの女ならば。

 この前誘った時の反応を見るならば。




 あのクラムを“精霊”に変えたら、また俺の無双人生の再開だ。

 そう考えながら、ミトラはその場を立ち去った。

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