第109話 ─ 殺した人に会った 殺した時と同じ雨の夜だった ─…ある男の独白

「しかし、いつの間に自動車の運転なんか出来るようになったんだ、ブラン」


「マロニーの左手やと自動車の運転は厳しいやろ? 日本に来てから割と早いうちに、コレ出来るようになっとこ思っとったんや」


「まあ身体つきは、運転してても遜色無いぐらいにはなったか」


「欲情して襲ってもかまへんねんで、マロニー。運転中とちごたらやけど」


「アホな事言っとらんと運転に集中しろ」


「ご主人様は奥方様ひと筋ですもんね」


 後部座席に座らせた、人の姿の紅乙女がそう言う。

 ロングモーンとコリーヴレッカンが居なくなって寂しいらしい。

 紅乙女のその訴えを聞いてから、俺はこんな風にちょこちょこと呼び出しては、人の姿を取らせている。


「え? マロニー結婚しとったん!?」


 ブランが頓狂とんきょうな声をあげた。

 自動車の車線が一瞬ブレる。


「だぁ! 運転に集中しろって!! この世界に来る前の話だよ、彼女もミトラに殺されたんだ」


「ふ、ふーん……。本当、聞けば聞くほどどうしようも無いカスやな、ミトラって」


「お、嫉妬か? 無駄だぜブラン。俺様も相棒の記憶をのぞいた事あるけど、すんげえ美人な嫁だった」


 そう言いながら相棒マロニーが突然表に出て来てブランをからかう。

 車線は今度はブレなかったが、驚きに目を見張ったブランが大声で叫んだ。


「わぁ!? 急に出てこんといてや、本物マロニー! ……ふ、ふーん、まあ一応フリーはフリーなんやな、マロニーは」


「俺様もフリーだぜ。生まれた時からずっとだけどな」


「アンタの事は聞いとらん本物マロニー!」


「ひでえ」


 ブランの運転する軽自動車は、キョウト南部の東の山中に入って行く。

 暑い夏の時期を過ぎても、周囲の樹木は代わり映えのしない濃い緑をまとっている。

 舗装のガタついたアスファルト道路をゆっくりと進みながらブランが独り言ちる。


「はぁ〜。早く済ませて、貰った漫画雑誌の続きを読みたいわぁ〜」


「OTAKUって奴だなブラン」


「へっへー。せやろ? 最近は漫画つながりの友達も出来てん」


「喜んでくれたら、喫茶店から古本もらってきた俺も嬉しいよ。良かったな」


 そう言っている内に目的地に到着した。

 俺は装備を確認する。

 ロープ、ナイフ、固形保存食、水筒代わりのペットボトル、消毒液、ガーゼ、足元の靴、コート、薄手の毛布。そしてそれらを入れたリュック。

 チェックが終わると車を降りる。


「ブラン、なるべく早く用事を済ませてまた連絡入れるから。気を付けて帰れよ」


「あいよ了解、マロニー」



*****



「森の中は慣れてはいるが、山登りは別だな」


 思わずそう独り言ちてしまう。

 その俺の独り言に紅乙女が反応してくれる。


「兄様たちも面倒な仕事を回してきたものですよね。もっとも、御主人様の鍛錬たんれんも兼ねての依頼でしょうけど」


「体力の向上、それに伴う気刃を出せる回数の増加、片手で攻撃するのを補うための足腰の強化。……右腕を鍛えるだけでは効果は知れてるからな」


 今回のこの仕事は紅乙女の兄貴、盛以蔵たちからの依頼だった。

 この一年、盛以蔵兄弟も折に触れては、ビッグママを通じて俺に様々な仕事を割り振ってきてくれていた。

 ビッグママからすると、こんなにコンタクトを取ってくるのは初めての経験なのだそうだ。


“妹分を預けた男だから、気にしてくれているんだろうな”


「兄様たち元気にしてるかなあ。まあ元気にしてるに決まってるんだけど」


「上手くいけば紅乙女の仲間が増える。楽しみにしてろ」


「分かりました御主人様!」


 今回の仕事の内容は、この山にまう古い道祖神どうそしんを調伏すること。

 もっとも、人々から存在を忘れ去られて妖怪と化したが、その妖怪としての力も大したものでは無くなっているそうだ。

 だがもしかしたら、ロングモーン達のように契約して俺の仲間にできるかもしれない。



 道中、切り立った崖や急な斜面を越えていく。

 左腕に巻き付けたロープを投げて絡みつかせ、それを頼りに登攀とうはんしていく。

 左手が無い以上はとりあえずコレで補っていくしかない。

 そういう意味では、この依頼もロープを使う技術の向上目的も兼ねているから、まさに俺にとって願ったり叶ったりだ。

 少なくとも今はそういう事にしておく。


 動物の気配は感じるが、姿をとらえることは出来ない。

 狩りの道具を持ってないから、そもそも姿が見えなくても問題は無いが。

 道中の食事は固形保存食でまかなう。水も大まかな道中を計算しながら少しずつ摂取せっしゅ


 

 やがて夜になり、太い樹の根元で毛布に身を包んで睡眠をとる。

 なるべく風が入り込まない場所を選んではいるが、九月だというのにかなり冷え込む。

 これが山か。同じ木々の生えた場所なのに平地の森と随分と変わるものだ。


 その夜のどこか。

 森の中が、山の中が妙な雰囲気に覆われた。


 初めての森、山なのではっきりとは断言できないが、なんとなく怯えて、不安に満ちたように感じられる。

 俺は気が進まないながらも起き上がり、周囲の気配を探る。

 だが妙な感じは分かっても、それ以上は感知できない。

 とりあえず俺は次善の案として樹の上に登り、枝の上で一夜を明かすことにした。

 寒かった。


 だが次の日になっても、その妙な感じは消えずにいる。

 俺は慎重に地面に降り、冷えた身体を体操することである程度温める。

 そして俺は気配を消し、物音も立てないようにしながら行軍を再開。


 昨日は晴れていた空が、今日はどんよりとくもり、風が強くなっていた。

 確か、台風が近づいていると言ったか。



*****



“嫌な感じが消えねえな”


 相棒マロニーつぶやくくようにそう考える。

 俺はそれに声に出さずに答える。


──動物がみんな怯えて隠れてしまっている。何かがあるんだろうけどな。


“その何かが分からねえ”


──だが魔物やアヤカシ、悪霊とかそういったたぐいの感じでもない。


 神経がり減るような進行が続く。

 距離的にはもうそんなに離れていない筈なのだが、遅々として進まない。

 強くなってきた風が、木々の枝を打ち鳴らす。それもまた、周囲の様子を把握するのに手間がかかる原因となっている。

 時間はあっという間に過ぎていき、周囲が暗くなり夜の気配が漂ってくる。

 晴れていたなら夕暮れが綺麗だっただろうな、とチラリと考えた。





“なあ相棒”


──ああ、分かってるさ。


 そこは山の合間に開けた、すりばち状の小さな広間。

 その空き地の真ん中に小さなほこらが建っている。

 俺は樹木の陰に隠れながら慎重に近づいていく。

 途中でリュックから出したナイフをベルトに差したり、消毒液をコートのポケットに入れなおしたりする。

 もちろんそれに音を立てるようなヘマはしない。


 そして祠に最も近い身を隠せる太さの樹の陰で、俺はそっと紅乙女を呼び出す。

 下生えの低木・草が俺の姿を見え辛くしているはずだ。

 祠の前にはよく分からない獣のような形の物体が倒れている。

 それは見る間に姿が薄れて消えていった。

 どうやら、が俺の獲物だったらしいな。


 アヤカシの死体が姿を消すと、そこには一人の男の姿。

 その手には真っ黒な一振りの剣。

 男は俺に背を向け天をあおいでいたが、その姿勢のまま声を発した。

 それは明らかな俺への挑発。


「はははは! よお兄貴、コソコソ隠れてないで出て来いよ! そこに居るんだろ!?」


 俺は目を閉じる。さて、これはどう反応するべきか。

 だが向こうに存在を感知されている以上、下手な小細工をしても仕方があるまい。

 だがそれでも、やれる事はやっておこう。

 俺はコートのポケットに紛れ込んでいた携行用香水入れアトマイザーで、香水をほんの少しだけ顔に付けておく。

 俺は柄を握った紅乙女を右手に下げて、やぶの中から出ていく。

 男に声をかける前に、大きな溜め息をついた。

 この場にブランが居ないのは、運が良いのか悪いのか。



「やっぱり生きてやがったか、ミトラ。くだらねえ野郎のくせに悪運ばかり強いカス男が」


 ついに空から小糠雨こぬかあめが降ってきた。

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