第8話 ー胸に抱えたこの想いをー…ある男の独白
俺達はまずこの街を離れる事にした。弟から物理的に距離を取るために。
何しろ俺は、パンチェッタを失った精神的ダメージが、まだまだ特大に残っていたからだ。
フェットチーネ……フェットという理解者・仲間を得たとはいえ。
俺は、彼女の死の直前の状況を知ってしまった。
その事でマルゲリータの言葉を思い出し、パンチェッタの近況を知ろうともしなかった自分を責め、彼女を助けられた可能性を自分でダメにした事にのたうち回っていた。
マルゲリータもフェットと同じように、心の何処かでおかしさに気づいて、俺に伝えたかったのではないか?
いや俺の顔を見たら嫌味を言っていたじゃないか。
その嫌味は、彼女の状況を知ろうともしない俺への、無意識の非難だったのでは?
もし彼女を守ることが出来たら、また昔のように一緒に暮らすことが出来たのでは?
いやそもそも彼女が奴隷扱いされる前に、弟から彼女をキッチリ取り返せなかった俺に、そんな考えを持つのが
俺は、そんな精神の均衡が大きく負に傾いた、心の堂々巡りにしょっちゅう襲われていた。
「あれは単なる嫌がらせに過ぎません。だってあの女の人が率先して彼女を虐待してたのですよ? 貴方を苦しめる以外の目的はありません」
そう言いながら、そんな時はそっと、フェットは俺の顔を自分の胸に押し当て、俺が落ち着くまでいつ迄も抱き締めてくれていた。
その俺は、そうされても彼女を押し倒すような気持ちは欠片も起こらず、ただ彼女のしなやかな肢体に縋り付いていた。
溺れた者が、藁をも掴むが如く。
彼女の行為は最初こそ若干面喰らったが、すぐにそうして貰うと心が落ち着いて安らぐのが分かった。
彼女は、自分の母親もこうやって子供の私を落ち着かせていた、と俺に教えてくれた。
俺は、母親の愛情とはこういうものを言うのかと感じ、それこそ子供のように彼女に縋り続けていた。
俺には、母の温もりを感じた記憶が、無い。
*****
俺の母は純粋なエルフだった。らしい。何故「らしい」なのかというと、それを証明できるものが何も無いからだ。
本人の言葉以外には。
俺の部族だけなのか、他のエルフもそうなのかは分からない。
だが俺の住んでいた故郷の村は、人間との……他種族との交流には忌避感が無かったようだ。
他種族との恋愛にも。
俺が子供の頃は、村には人間の女性が2〜3人暮らしていた。
他種族と恋愛したエルフの女性は、基本的に相手の元へ飛び出していく。
その逆もまた真なり。
エルフに恋した人間の女性は、エルフの村に来ることが多かった。
そんな環境のせいか、いわゆる半エルフとでも呼称すべき人達も結構いた。
というか長老曰く、村の大抵のエルフには多かれ少なかれ人間の血が混じっているそうだ。
そんな村でエルフの純血性に
当時の俺は分からなかったが。
「あの子とは遊んでは駄目よ。人間の血で穢れているから」
それが母の口癖。
他にも、疲れた、私はいつも頑張っているのに、それぐらい分かってくれないと困る、そんなやり方よりも私の言う通りにやりなさい、等々があった。
大抵、母は不機嫌でいつも何かに文句を言ってばかりだった記憶がある。
「何故あんな子達と遊んだりしてるの! 私は前に言ったでしょ!? あんな子達と一緒にいたら、あなた自身が穢れるって。
これは貴方の為を思って言っているのよ!?」
しばらく俺の遊び方や遊び相手に、何も言わないと思って油断すると、ある日突然こんな風に怒りだす。
夕食の後に怒り始め、そのまま深夜まで俺に説教する事も珍しくなかった。また怒る理由も、以前に怒った理由とは全く正反対の理由で怒ったりも多かった。
父の事は殆どの時間貶し続けていた。
だが、俺が母に合わせて父の悪口を言っていると、急に父を庇いはじめ、独り立ち出来てないお前が父を貶す資格は無いと、俺を怒りだす事も少なくなかった。
小さい頃は、そんな母の事を村の他の大人に愚痴った事もあった。
だが大人達は皆、親とは母親とは何処もそんなもんだと返すのが常だった。
他の子供も家では同じように怒られているのだと思うと、元気に遊ぶ他の子供が凄く立派に見えたものだ。
母の行動にも一応それなりの理由はあったのだと、今になって思う。
村に住む人間の女性の内の一人は、俺の父のもう一人の妻だった。人間が言うところの
俺の父は、この人間の女性の方に愛情を多く注いでいたようだ。
つまり母がなじっていた子供は、その彼女の子供と彼女に関係した人々の子供だったという事だ。
そういう意味では、母は可哀想な人だったのだろう。
おそらくプライドが高く、それ故に俺の父と……自分の夫とあまり上手くいかず、周囲とも上手くいかない。
そしてそれは周囲から孤立する事となり、孤立は周囲への見下しとなりエルフの純血性への拘りとなる。
そんな悪循環の果てには……子供しか居なかったのだろう。
子供に逃げるしかなかったのだろう。
今にして思えば、母の俺への干渉度合いはかなり強かった。
父は……母にも俺にも興味を持っていなかった。
父は、時たま罪悪感を誤魔化すようにしか家に顔を出さなかった。
家に来た時も、誰でも知っているような薄っぺらい言葉を尤もらしく“演説”して、形だけの意味の無い父の威厳を保とうとしていた。
「お前が次にこの家族を、母さんを背負っていくのだから、もっとしっかりしろ」
大抵は、俺にはこれしか言わなかった。
もっと? もっとって何だ。
今でもウンザリするぐらい母の機嫌をとって世話をしているのに。
父が……お前がほとんど生活物資を持って来ないから、俺が家事をしたり狩に行ったり畑を手伝ったりしているのに。
そもそも、オマエは俺たち母子の状況を知りもしないくせに。
「お前が気付いてないだけで、自分はお前の知らない所でお前達を見守っているし、様子だって知っている。お前の知らない所で、どれだけ自分が動いているか知ってるのか」
何度か父親を、俺の事を、母の事を知りもせずに尊大な物言いをする父親をなじった事もある。その時の返し文句がこれだ。
知らない所でって、何だそれは。
だったら偉そうにするな! 愛情を求めるな! 無理矢理に尊敬させようとするな!
その言い訳が通用するなら、俺はお前の何十倍もお前の知らない所で働いているわ!!
そもそも、もう一人の妻との事を俺が知らないと思ってる時点で、お前は馬鹿だ!
俺は父が嫌いだった。
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