第34話 ─ 俺の明日俺達の明日 ─…ある男の独白

「何処の馬の骨ともつかぬ生まれの者が、私の視界に入らないでくださる?」


 建物の影で英単語や文法を覚える為に、教科書片手に暗記をしていた俺の耳に、そんな女の声が聞こえてきた。


 周りを見渡すが、誰も居ない。

 どうやら俺に声を掛けられた訳ではなさそうだ。


 声の聞こえた方へ移動し、建物の影に隠れたまま表の様子を探る。


 豪奢な金髪の女の子──十代後半ぐらいに見える──が、数人の取り巻きを連れて一人の黒髪の女の子を囲んでいる。

 横に突き出た長い耳。エルフだ。

 取り巻きの女の子達が、囲まれた黒髪のエルフの女の子を小突いている。


 黒髪の女の子は唇を噛んで、押し黙ったままだったが、ようやく口を開いた。


「わ……私は最初からここに立っていただけで……視界に入るなんてそんな……」


 答えた女の子に、取り巻きが反論する。


「シャーロット様が歩かれる方向を気付かない貴女が悪いんじゃない。鈍いのねえ」


 いわゆる女の子同士の虐めだ。ピラミッドの上位とされる人間が、下位とされる人間を無碍むげに扱う。男女の違いこそあるが、俺も故郷の村で食らったヤツだ。


 だがそれ以上に、フェットから聞いていたパンチェッタの最期の状況に、目の前の出来事がダブっているように思えた。


 俺は無意識に、黒髪の女の子にパンチェッタを重ねていた。



 俺は建物の影から身体を出すと、おもむろに彼女たちに向かって歩いていき、黒髪の女の子の後ろに立った。

 そして英文法の教科書を広げると、黙って黙読する。


「な、何ですの、貴方は⁉︎」


 シャーロット様、と取り巻きの女の子に言われていた女の子がそう言った。


「“何”というのは、漠然とし過ぎているな。人間……少なくとも知的生物に対して使う言葉なら“誰”なんじゃないのかな。勉強不足の俺の拙い知識で合ってるか分からんが」


「ああ……何だ、新入りのエルフか……」


 取り巻きがそう呟くのが聞こえた。

 俺は教科書を読みながら黙って立ちつくす。


「ちょ、ちょっと何か言いなさいよ!」


「ん? 言うのはそちらだろう? “何”は不適切で“誰”を使うべきではないかと俺は言った。それに対するリアクションをするのが先なのでは?」


「こ……コイツ、こないだこの世界に来たばかりで、言葉が話せないって聞いてたのに、何でこんな英語を流暢に……」


 俺は教科書を読みながら黙って立ちつくす。


「ちょっと!」


「さっきの俺の質問というか指摘には反応無しか。この世界の女性は礼儀知らずマナー知らずな連中ばかり……程度が知れるな」


 そう言って俺は黒髪の女の子の手を取って立たせた。

 取り巻きが色めき立つ。知ったことか。

 そして手を取ったまま、女の子の手を引いて此処から……このグループから離れようとした。


「何処へ行かれるのかしら!?」


「この先で英語の勉強をしていたら、君の視界に入るのがダメだって叫んでるのが聞こえた。君がこちらへ進んでくるのに気がつかないのが悪いと。

 俺も気がつかなかった。だからココから離れるのさ」


「そんな勝手なこと……!」


「ワタシコノ世界来タバカリデ英語ワカリマセーン」


 そう言い捨てて、早足で黒髪の女の子とその場から離れた。

 もっとぐうの音も出ないような、上手いセリフで助けられたら良かったのだけれど。



「あ、あの有難うございます。助かりました。私の名前はアイラ……アイラ・モルトです。でもああいう人たちと理由もなく揉めるのは止めておいた方が良いですよ」


「名前は別に教えてくれなくてもいいよ。俺が昔のトラウマから逃げる為にやった事なんだ。こちらの都合さ。別にあの子達と揉めたって、どうでも良いよ」


「投げやりなのは良くない……と思います」


 彼女の指摘に、言葉が詰まった。

 他にやる事が無いから、英語の勉強も退魔のやり方もとりあえずやっているが、意義が見出せず身が入らない。


 元の世界なら、フェットのためリッシュさん達への恩義を返すためと頑張れる理由があった。

 しかし、そういう理由もなくやっていくのは、どうしてもエルフの村で、母に言われるままに様々なことを身に付けていた事を思い出すのだ。


 報われない努力を。


「……私を助けてくれた貴方は……きっと他人を放っておけないタイプ。いずれ守りたい誰かが出てくると思います。投げやりだと、守れるものも守れない」


「守りたい人……。そんなのが出来るのは嫌だな。失った時が辛すぎる」


「悲しい事があったんですね」


 一瞬、ドキリとした。気持ちを見透かされた事にじゃあない。

 彼女の言い方が、出会ったばかりの頃のフェットに似ていたからだ。


「他人の過去に入り込まないでくれないか」


 思わずそう言って、俺は足早に彼女と別れる。

 彼女と顔を合わせ辛くて、振り返りもしなかった。



 思えば、これがアイラとの出会いだった。



*****



「当面はこのスリーマンセルで行動してもらう。お互いに意思疎通をスムーズにしておくこと」


 ある日、とある部屋に呼び出された俺は、男女二人組と引き合わされた。

 部屋に居た責任者からは、“仕事”をする為のチームを作るのだと聞かされている。


 うん、何となく彼女がいる予想はしていた。


「改めてよろしくお願いします。アイラ・モルトです」


「ああ、よろしく頼むよ」


 そこで俺は、もう一人の大柄な男に目をやった。コイツはアイラを見つめてさっきから彫像のように固まっている。


「…………」


「おい?」


「…………」


「おい!」


「…………」


「くらああああああ! 何とか言えや! キンタマ蹴るぞ!!」


「はっ!? あっ……えと、美しいお嬢さん、惚れました! 好きです結婚してください!」


「は?」


凍りついたように固まっていた、ラテン系の顔立ちのなかなかの美男子が、突然プロポーズを始めて今度はアイラが固まった。


「いや、その前に誰だお前は」


「はっ!? 貴方は彼女のお兄様ですか!? 僕はエヴァン・ウィリアムスという者です。彼女を幸せにしてみせます。結婚を許して下さい」


「いや兄妹じゃねーし」


「お父様でしたか!!」


「違うわ!」


「えええ! 将来を誓い合ったイイナズケ同士だったのですか! 鬱だ死のぶべら!?」


 俺は思わず手に持ってた教科書の角で、エヴァン・ウィリアムスと名乗った男の頭をぶん殴っていた。



*****



 俺たちのチームの初めての“仕事”は、先輩チームの補助。……という名目での見学だった。


 低位の悪魔──要は魔物だ──を、聖別した剣で先輩退魔師たちが切り裂き浄化していく。

 俺は、いわゆる魔法の聖剣がいとも簡単に量産できる“騎士団”に瞠目どうもくした。


 先輩達の剣の腕もなかなかのモノだった。

 俺とは流派の違いというか、戦闘に対する基本方針の違いはあっても、腕前は俺より少し下ぐらいまでの実力がある。

 魔物があまり存在しないこの世界で、しかも銃器による戦闘が主になっている事を思えば、驚異的な実力といえる。


 そして……。


祓魔ふつまの儀のやり方は覚えているか? 実地訓練だ、やってみろ」


「そう、そうだ。講義や実技訓練の時の態度は不真面目なのに、ちゃんと覚えているじゃないか。そう、最後に五芒星を囲むように円を二重に……そうだ」


「呪文は……さすがにまだ一人では不安か。なら俺の後に同じように復唱しろ。いんの結び方は覚えているのか。ではそちらは手助け無用だな」


「“よこしまなる悪魔よ”」


「“よこしまなる悪魔よ”」


「“人の世の尊厳をおびやかす不埒ふらちなる者よ”」


「“人の世の尊厳をおびやかす不埒ふらちなる者よ”」


 こんな風に先輩のリードで呪文を唱え終わった時。

 聖水で描いた魔法陣の内側が白く光り魔法陣の光がまばゆくなり、円の内側から光の柱が立ち昇り、光で埋め尽くされる。


 光が消えた後には、魔法陣の中心に寝転がる捩くれた小さな死体。

 その捩くれた死体から剣を引き抜いて、先輩は刀身の「穢れ」を確認する。

 だが俺はそんな先輩の行動など目に入っていなかった。


 俺は、呪文の最後を唱え終わった時の姿勢のまま、凍りついたように硬直していた。


 アイラとエヴァンが、俺を心配そうに覗き込んでくる。

 俺はそんな二人すらも気にせずに、目から涙を溢れさせ、静かに泣いていた。


「俺にも……。俺にも魔法が使えるのか……このやり方ならば、俺にも魔法が……」


 そうだ。そうなのだ。俺は逆説的にようやく実感したのだ。

 この世界は魔素が薄い。

 みんな、魔法が使えなくて当たり前なのだ。


 魔力の無い俺でも……魔力が無いのが当たり前の世界だからこそ、俺はヒト並みに生きていく事が出来る!


 魔力が無い人々が編み出した、魔法を使う方法。だからこそ努力すれば、勉強をすればみんな使えるようになれる!


 俺は……俺は……。



“貴殿は気付いていないようだが、貴殿には力がある。いつかそれに気付いて儂に再び会えるのを待っておる”



 仲間を失った。フェットチーネも失った。

……だが、弟も失った。弟の脅威も。魔力の無い事で俺を迫害するエルフも。



 この時に俺は、本気でこの世界で生きていこうと決意した。

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