第26話 『ショッピング、そして』
映画終わりのアイスコーヒーを堪能し、ついでに少し早めの昼食ということで、この店の名物だと店員がおすすめしてくれたハムカツサンドを食べた。
頭に『極厚』と銘打ったハムカツは、そのネーミングの通り過ぎる分厚さで、ポップコーンで良い感じに膨れたお腹には少々キツかったが。
結局、昼前の小腹を満たすどころか結構な胃の容量を埋めることになってしまった。
「で、この後のプランはどうなっているんだい?」
膨れたお腹をさすりながら、
「えーと、確か、駅ビルで買い物だな。
「ある」
「お、そうか」
「と言ったら嘘になる」
「ないのかよ。……まあ、何もないなら、適当に見て回る感じでいいか? その内買いたい物が見つかるかもしれんし」
「俗に言うウィンドウショッピングだね」
「ああ、そうも言えるな」
「別名『店員焦らしプレイ』」
「そうは言わない」
なんて会話を交わしつつ、コーヒーショップを後にした二人は、ペデストリアンデッキから駅構内へ入った。
目指す駅ビルへの入り口は、構内中央の改札口を挟んだ反対側にある。
ちなみに、映画から駅ビルで買い物という流れも、依頼人兼デートアドバイザーこと
途中、思いがけずカフェに寄ることにはなったものの、ここまでは彼女のプラン通りに事は運んでいる。
駅構内、有名なドーナツ店やチーズケーキ専門店など、左右そこかしこから鼻腔をくすぐる甘い匂いを突っ切って、智悠と唯乃莉はとりとめのない会話を繰り広げていた。
話題は変わらず、先に観たホラー映画。
会話の接ぎ穂どころか、まんまメインディッシュとなっていた。
「———ということは、君もやっぱり結構怖がってたんだね?」
「もうわかったよ、白状するよ。自白するよ。割とガチでビビってました」
「ククク、そうかいそうかい」
ビクついていたのが自分だけではないとわかり、ご満悦の笑顔を覗かせる唯乃莉。
対する智悠は、一つ一つホラーシーンを列挙しながらしつこく質問攻めしてくる彼女に辟易気味である。
結局、クールに隠しておこうと思っていた恐怖心も、この通り、暴露させられてしまった。
「はあ……ていうか、お前、怖いの得意なわけじゃないのに、よくあんな映画観ようと思うよな。ドMなの?」
「本当の本当に、君にボクを落とす気があるのか疑問に思うよ……、残念ながら、ボクはそんな特殊な性的嗜好は持ち合わせていない。ごめんね、君の期待に応えられなくて」
「僕はそんなことを期待なんてしていない」
言いがかりも甚だしい。
「まあ、ビビりで臆病で腰抜けな君も、ホラーの真髄を知れば自ずとわかると思うよ。いつの日か、あのドキドキ感がクセになる時が来る」
「言い過ぎだろ。僕への評価も、ホラーへの評価も」
「ドーパミンどっぱどぱ……、ああ、いや、どーぱどーぱだ」
「取ってつけたように言い直さなくていいから」
日常の中の非日常、みたいなことを彼女は言っていた。
退屈な毎日に刺激を与える、文字通りの劇薬———劇の薬。
あるいは、それは悲劇か、それとも喜劇なり得るか。
それは、どこか他人事とは思えない変な親近感があった。
「…………」
「どうしたんだい? 急に黙り込んで」
「……ああ、いや、何でもない」
いつの間にか考え込んでいたらしい。
訝しげな唯乃莉の視線にかぶりを振り、この場にそぐわない思索を意識の外に追いやった。
唯乃莉はなおもキョトンとしながらも、
「まあ、何にせよ、今宵は背後に気をつけることだね。怨霊がついてきているかも」
「怖いこと言うなよ。どうすんだよ、僕が一人でトイレに行けなくなったら。もう妹についてきてもらうしかないじゃないか」
「知らないよ」
思わず、条件反射でそっと後ろを振り返る。
もちろん背後をついて回る怨霊なんて、そんなフィクションの中だけの存在などいない。
いるのは目深な帽子にサングラスにマスクを着用した、どこにでもいる不審な女子高生三人組だけだった。
それも十分怖いけれど。
そんな恥ずかしい行為をしているのが、まさか知人だなんて。
「まだついてきていたのか……」
「あの執念、ある意味怨霊よりたちが悪いね」
両者ともに素知らぬふりを続けて、駅ビルの中に足を踏み入れる。
全国的に見れば、まだまだ発展途上の田舎とは言え、ここはそれなりに開発の進んだ中心都市の最寄り駅。
自動ドアを抜けると、そこには煌びやかでお洒落な空間が広がっていた。
「とりあえず適当に見つつ、上に上がってく感じでいいか?」
「異議なし」
『意義なし』と掛かっているのか、判断が微妙な受け答えだった。
この時間に意義を持たせるべく、二人はウィンドウショッピングを開始。
目についた店にふらっと立ち寄り、服や小物の他、日用雑貨を適当に見て回る。
五店目あたりに入ったところで、
「つかぬことを訊くが、水卜」
「ランジェリーショップならあっちだよ」
「それは訊いてない」
「え、違うの?」
素で驚かれてしまった。
そういうことを言われると、せっかく遮断していた意識が持っていかれてしまうから、是非ともやめていただきたい。
一際輝いて見えるランジェリーから視線を逸らし、わざとらしくこほんと咳払い、仕切り直す。
「そうじゃなくてだな……、一応、今の僕の好感度を確認しておこうと思って」
唯乃莉は「ああ」と納得した様子だった。
顎に手を当て、「ふむ」としばらく考え込むと、
「三点かな」
「ひっく」
「百点満点じゃないよ。千点満点中の三点だ」
「引っく」
あまりの評価の低さに自分で自分に引いてしまった。
「え、嘘。僕ってそんなに好かれてないの?」
「君のその自己評価がどこから湧いてくるのか、ボクは本気でわからないよ……。冷静になって、これまでの自分の振る舞いを振り返ってみてごらん?」
「んー……」
大人しく、言われた通りにこれまでの自分を振り返る。
両者合意の上とはいえ頭のおかしい理由で休日に付き合わせ、リクエストに応えてホラー映画を観たもののポップコーンで揉め、道中もデリカシーのない発言の数々———……
「うん。三点だわ」
「だろう?」
むしろゼロ、いや、こうなった経緯を思えばマイナスの状態からそんなに上がっただけでもめっけものだった。
改めて、恋愛のノウハウを知らない童貞には荷が重いミッションだと思い知る。
唯乃莉は憐れみの目で智悠を見上げ、
「せめて君がもう少し背が高くてお洒落で頭が良くて運動ができて人当たりが良くてイケメンだったら……」
「おいやめろよ。それだと逆説的に、僕が背が高くてお洒落で頭が良くて運動ができて人当たりが良くてイケメンじゃないみたいじゃないか」
「世の中は残酷だね」
「残酷なのはお前だけだ」
「まあ、そのツッコミスキルだけは素直に評価するよ」
「そりゃどうも」
「具体的には三点分」
「僕の魅力、ツッコミだけなの?」
へこむ智悠を尻目に、唯乃莉はさっさと次の店に入って行ってしまう。
珍しい小物を見つけると手に取り、益体のない会話を交わしながら、気がつけば二人は結構な上階に位置する本屋までやって来ていた。
「……おー」
エスカレーターを昇り切り、眼前に広がる光景に、智悠と唯乃莉はどちらともなく感嘆の息を漏らした。
いつ来ても、この駅ビルにはいっている本屋の大きさには目を瞠るものがある。
入口付近には店員のおすすめ本や雑誌の棚が並び、奥に移動すると、ライトノベルや漫画が所狭しと並んでいる。
反対側に足を向ければ、娯楽的なエリアから雰囲気がガラリと変わり、一般文芸に啓発本、参考書や専門書など、少しばかりお堅い本が、こちらも天井まで届くくらい大きな棚を埋め尽くしていた。
「本屋はいいよね」
新刊コーナーで発売したばかりの漫画を手に取りながら、唯乃莉が口を開いた。
「こうやって表紙を眺めているだけで心が躍るし、背表紙を追っていると、思わぬ掘り出し物に巡り会えたりもする。暇を潰すにはもってこいの場所さ」
「まあ、その感覚はわからなくはないな…………今、暇を潰すって言った?」
「若者の読書離れ、電子書籍にWeb小説。今や紙媒体の本なんて、言葉通りに薄い存在になりつつあるのかもしれないけれどさ、それでも、この本屋の雰囲気はいつまでもなくならないで欲しいよね」
「曲がりなりにも同学年の男子とのデートを、暇潰しって言った?」
「これからの時代、ウィンドウショッピングならぬシェルフショッピングが流行ることを期待するね。大いに期待しちゃうよ、ボクは」
智悠の追及を華麗にスルーし、頭の悪い期待感を得意げに披露する中二病。
智悠は呆れたため息を一つ、
「もういいや……。アホなこと言ってないで、その掘り出し物とやらを探しに行こうぜ」
先の発言は聞かなかったことにして、漫画コーナーへと繰り出した。
そして、唯乃莉が言うところのシェルフショッピングを開始。
平積みにされたバラエティ豊かな漫画の数々、棚に所狭しと並べられた背表紙を眺めて回る。
「つかぬことを訊くけれど、
「ん? なんだ?」
「君は普段どういう本を読むんだい?」
ふと、唯乃莉がそんな本屋デートにふさわしい、ともすればありきたりとも言える質問を投げかけてきた。
「んー……、あんまりジャンルに偏りはないな。一般文芸も読むし、もちろんラノベも漫画も読む」
「ほうほう。純文学は?」
「純文学か……、たまに読むこともあるけれど、あまり好んでは読まないな。正直、文学性とか芸術性とか言われてもさっぱりわからんし」
何せ、『素晴らしい』よりも『読みにくい』が先行する現代っ子である。
「端的に言えば、雑食ってことだ」
「ポップコーンは塩味しか認めないのにね」
「ほっとけ。そう言うお前はどうなんだよ。お前は一体、どんな本を読むんだ?」
同じ質問を彼女にも投げかけた。
読む本にはその人の性格が表れると言う。
水卜唯乃莉という少女を知るには良い機会だ。
唯乃莉は顎に手を当て、わざとらしく考え込む仕草を見せた後、
「ボクは……、夏目かな」
「へぇ、文豪か。なかなか渋い趣味じゃないか」
「いや、友◯帳」
「漫画かよ。いや、まあ、名作だけどさ」
老若男女、全人類が一度は読むべき名作だと思っている手前、微妙にツッコみにくいレスポンスだった。
とは言え、漫画。漫画である。
智悠も漫画はそれなりに読み込んでいる口だ。話もそれなりに合わせられよう。
ならば、これを皮切りにして彼女の心に入り込むのがベターな選択肢と言える。漫画だけに。
そう戯れを思い、智悠が口を開こうとした、次の瞬間———、
「あっれぇー? 水卜さんじゃーん」
唐突に。———本当に、唐突に。
ギャグパートの終了を告げる甲高い声が、本屋エリアに響き渡った。
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