第5話 浮く人力タクシーと別れ そして新たな第一歩
アイユーの家を出る。来たときは、途中寄り道を挟んだこともあって感じなかったけれど、結構アイユーの家から駅は離れているようだった。
「んんん……仕方ない。タクろう」
そう言うと、トロヒは、唇に指を当てて、ぴゅうううっと指笛を吹いた。
僕は、え、そんなことで……? と考えていると、目の前に、形は車だが、いかにもプラスチック製のおもちゃのような作りで出来た台車を引いた、風のような速さで走る青年が飛んできた。
――も、もしかして、人力車……?
「コンニチハー。三名様ですか?」
走ってきた青年は、一重の目を細めると、にっこりと微笑んだ。僕は、少しだけ、彼の言葉が片言なことに気が付いた。トロヒとアイユーは、うんうん、と頷いて、
「駅まで」
と言って、おもちゃの車のような台車の扉を開けて中に入った。僕もつられて乗って扉を閉める。しかし、人力車で間に合うものなのだろうか……?
はい、と頷くと、青年は、ものすごいスピードで走り出した。50メートル走でいうところの五秒台といったところだろうか。三人乗せた台車を引っ張っているのに、この速さは、すごい……と思いながら僕は彼の背中を見つめていた。が、僕は、すぐにどこか違和感を覚えた。まったく、道路のガタガタというような衝撃を、乗客である僕らが感じていない。
僕はふと気になり、
「もしかして、この車って、浮いている?」
と二人に聞いた。二人は、お? と首を傾げ、
「え。うん。そう。さすがに浮いていなかったら、このスピードは無理でしょー」
とトロヒがにこにこと笑った。
「なんで、浮いているの……?」
「えーっとー。仕組みうまく説明できないんだけど、道路に超電導体? が埋め込まれているから、台車の車輪に永久磁石をくっつけさえすれば、浮くみたいー。走るのは人なので、台車が浮きさえすればそれでいいんですよー。たしかそれだけだったはず……」
――なるほど、台車が浮いているなら、摩擦が起きない分、確かに人力車でも、足の速い人が走れば、それなりに速く移動できるな……
僕は高校時代までに少しかじった程度の理系科目の内容をおぼろげに思い出しながら、そんなことを思った。
そんなことを思っていると、既に僕らは駅に着いていた。
「ありがとうございましたー」
言いながら、トロヒとアイユーが台車であるおもちゃ車のドアを開けて、ぴょん、と降りた。
「えっと……めちゃくちゃ足、速いですね」
降り際、僕は青年にそう声を掛けた。すると、彼は目を輝かせて、
「お。ありがとう~。実は、今度ポンニー代表選手として、陸上の世界大会に参加するんですー」
と言って再びニコニコした。僕は、少し、おや、と思った。
「あの――失礼かもしれないんですけど、あなたは、ポンニー人ではないのでは?」
僕がそう聞くと、彼は、んー、と少し考える顔つきになって、
「まあ実際、僕の父母は、グルハンからポンニーに来たから、そうとも言えるけど。ポンニーはとても寛容で。国籍取得も、そこまで大変じゃなかった。だから、ポンニー代表として出れますね」
と答えてくれた。彼のその話を聞きながら、僕は自分の住む世界における最近の世界情勢のことを思い出した。
「でも……」
「はい?」
「もし違ったらあれなんですけど。過去に戦争とかあったんじゃないですか? それによる、嫌悪感、みたいなものはないんでしょうか……?」
僕は、トロヒとアイユーに聞かれないように、そっと声を潜めて、そう言った。青年は、んー。と顎に手を当てて考える。その様子から察するに、こちらの世界にも、戦争というものはあったようだ。
「……確かに、戦争は悲惨だと思います。そのときのポンニーは、グルハンに対して、ひどいことをしたな、と思います。だけれど、戦後、ポンニーは過去のことについて、グルハンにごまかさずに謝罪をしてくれたので。嫌悪感はないです。僕の友達のポンニー人は、みんな僕に優しく、接してくれるので」
そう言う彼の優しい表情を見て、僕はほっとした。これは何も、ポンニーに限った話ではないだろう。日本と他の周辺諸国との関係も、僕たちの努力次第で、きっと良い方向に、持っていくことは、できる――
「そっか。ありがとうございます。そういう風に思っているということを聞いて、なんだか――嬉しくなりました。運転、ありがとうございました。大会、頑張ってください」
僕はそう言って、手を差し出した。僕と青年は握手をした。そこで、
「優さんー。急がないとー」
というトロヒの声がかかり、僕はその青年に手を振って別れた。
僕ら三人は動くスロープを歩きながら登りきると、赤い非常口の看板のあるホームへたどり着いた。ちょうど、ホームには、新幹線が到着するところだった。僕は二人を振り返る。
「トロヒ、アイユー、ありがとう。ポンニーは、素晴らしいところだね。僕の住んでいる世界も、ポンニーのようになればいいのに……」
僕はそう言って肩をすくめた。二人はいつものようにあはは、と笑う……かと思いきや、少し真剣な面持ちになった。
「見ていて、感じたと思うけれど、ポンニーは、優の住む世界と正反対の状況になるから、もし優の住む世界がポンニーのように変わったら、反対に、ポンニーは、優の住む世界のようになるんだ」
アイユーが無表情に、淡々とそう言ったのを聞いて、僕は、自分が言った言葉を後悔した。
「そうか……」
「どうしたんです、優さん」
トロヒにそう聞かれ僕は、少し俯いた。
「ポンニーにこのままであってほしい、と思うなら、僕の住む世界も今のままであるべきなのかな、なんて思って」
その言葉に、はっとした表情をした二人だったが、トロヒは、ううん、とゆっくり首を振って、自分より背の高い僕の肩に、ぽん、と手を置いた。
「優さん。その。偉そうなことは言えないけれど、変化を恐れる必要はないと思う。停滞こそ、怖いことだ、って僕なんかは思いますね。ポンニーが、ずっとこうだったかと言えば、そうではない。変化に変化を重ねたうえで、今があるから。だからお互いに、それぞれ良い世界を作っていこう。僕たちも決して、反対側の世界の人々の不幸の上に、自分たちの幸福を築きたいというわけでもないので」
トロヒの言葉に、アイユーも頷きながら少し微笑んだ。
「それに、これからのポンニーも優の住む世界も、今後は私たち若い世代が作っていくんじゃない。世界の良いところ、悪いところにしっかりと向き合うこと。この世界をよくするために、自分には何ができるか考えて行動を起こしていくが大切だよ」
二人のその言葉を聞いて、僕は、心を打たれた。彼らは、十五歳かそこらくらいの少年少女に見えるけれど、こんなに、世界を良くしよう、との希望に溢れている……
二人の言葉になんと返していいのか、僕は見つけようとして、見つけられなかった。だけれど、ひたすらに深く頷いて、僕は、「そうだね」とつぶやいた。
そのとき、ポロポロロロン、という音楽が流れた。新幹線が停車する。そして、やはり僕の目の前に来た扉だけが開いた。他の扉はすべて閉まっていた。
「少し話し過ぎたみたいですね――じゃあ、お別れの時間です。お元気で、優さん」
トロヒは、最初会った駅員の時とは違う、黒Tシャツに白のジャージ姿で――僕の友人として、僕に手を振った。
「元気でね。優。その扉を通り抜けて、向こうのドアへ抜ければ、優の目的地に着くはずだよ」
アイユーも、最初に会った無愛想な表情から変わって、表情豊かに、少し悲しさを目元ににじませながら、そう言ってくれた。
「ありがとう」
そう言って僕は、新幹線の車内に足を踏み出した。中に入ったあとで、トロヒとアイユーに手を振ろうと、くるり、と後ろを振り返った。けれど、そこには、閉ざされたドアしかなくて、線路と、上り方面のホームドアの白と灰色の風景しか見えなかった。
少し切ない気持ちを抱えながら、僕は、開いたドアから、外へ出た。見えたのは、緑色の非常口の標識と、日本語以外は三言語程度しか表記の無い看板たちだった。
――僕に何か、世界を良くするためにできることは、果たしてあるんだろうか。
この時の僕にはまだ、何ができるのか、ということは、わからなかった。
しまっていた切符を改札に通して、何の気なしに外へ出ると、
「あぁ、良かった! 優、予定より遅かったやない。何度も電話したんやで。連絡くらいしぃ」
と、僕の祖父が、心底心配した、というような顔をして、駆け寄りながら、僕を出迎えてくれた。
僕はふっと現実に戻った。
――そうだ、携帯の電源も切れていたしパニックですっかり忘れていたけれど、僕は、おじいちゃん・おばあちゃんの家に向かっている途中なんだった。
「ごめん……途中間違えて降りてしまって……充電も切れていたから……」
僕がそう言って、頭を下げると、祖父は、んんん……と難しい顔をしていたが、
「そうか……」
と言って、タクシー乗り場に向かって歩き出した。僕は、祖父に気を遣いながら、ゆっくりと、階段を下りていく。
「あのね、おじいちゃん。僕、間違えて新幹線の反対側のホームに降りて……ポンニーっていうところに行ったんだ」
僕はささやかな勇気を持って、そう祖父に話しかけた。適当に流されるかな、と思ったが、祖父は、えっ? と言って僕を振り返った。
「ポンニーに……? 優も行ったんか」
「えっ? 『も』?」
僕は、思いがけないその返しを不思議に思いながら、祖父の顔を見上げた。
「あれは夢だと思っていたが。そうか、優も……じいちゃんが昔、行ったころのポンニーはな、行くところ行くところ老人ばかりで、貧富の格差のひどいところやったなぁ」
僕は、度肝を抜かれたような気持ちになって、口を開いたが、祖父は、もともと細い目をさらに細めて顔をしわしわにさせながら、ふふふ、と笑っていた。
「優の行ったポンニーはどうやった?」
祖父がそのように聞いてくれたことをきっかけに、僕は、今しがた見てきたポンニーの様子を話し始めた。
――どうやらこれが、僕にできることの、はじめの一歩のようだ。
猛暑の中、太陽の木陰になるところに止まって元気よく鳴いていたセミは、一度鳴くのをやめると、まぶしい日差しの中へと飛んで行った。
(完)
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