第54話

 太陽は天辺てっぺん。先ほどまで透き通っていた大気が、ゆれるように、ゆがんでひずむ。


 サタッ サタッ サタサタサタ 不図ふと、雨が落ちてくる。楽園名物  ――Warmウォーム Rainレイン――




「うぉぉおおおぁああ」


 ナミフルは、その端正な尊顔そんがんを空に向け雨粒を浴び、咆哮を漏らした。


 あでやかな姿態したいは、まるで冷たい海に押し寄せる、白き高波のようであった。

   

 ……そんなことにはお構いなく「ひゃっこ」っと、教授はコンクリートの庇に走り「わらわらわら」流れていたパレードが崩れ、歌う人も奏でる人もバッタの如く散り散りに飛び跳ね逃げ惑う。芝に咲く小花だけが、妖精の悪戯に微笑む天使のように、咆哮と呼応するべく雨に踊っている。


 10分ほどで雨は上がった。

 ナミフルの鍵のピアスは濡れて光り、小鳥の卵のピアスからはつややかに水滴が垂れている。


日向雨ひなたあめを待っておられたのか? 冷たいでしょうに」

 おずおずと教授が舞い戻ってくる。


「暖かいですよ……と言っても服が濡れると後が冷たくて困るので脱ぎましたが……あぁ暖かい。雨に殴られサッパリしました。水分補給エナジーチャージ……暖かい」

「松島や、あぁ松島や、松島や……じゃあるまいし。赤道直下の真昼の太陽が大気に浮遊する氷の粒を融かすから――Warmウォーム Rainレイン――とは呼ばれてますがのぅ。雨に問い掛け、そいつが気のいい奴ならば恐らく……3~5度だと答えるでしょう」

 教授は呆れ顔。


「3~5度? とてもそんな風には感じない。それに短時間でカラッと晴れ上がる。スチーム・パンクみたいに纏わりつく湿気もない」

 そう言うと、ナミフルは頭陀袋からタオルを取り出し体を丁寧に拭きだした。


「湿気はともかく、スチーム・パンクなら気温はそう変わらんじゃろうて」

「太陽がある。真上に。だからか。手が届きそう」

 体から湯気を漂わせ、使い終わったタオルを一度、太陽に翳してから放り投げる。


 遠くで「わらわらわら」パレードの隊列をそろえるのが見える。天気雨は楽園地帯では毎度のこと。なんてことはない。歌う人は喉をつくろい奏でる人は調律を整えるのに忙しそうである。やがてパレードは再開し、間も無く立ち去り行ってしまった。



「ところで、教授。えー分割『A~F』の『G』、地区『A~Z』の『A』、地番『A~N』の『H』……GAHのエルム通り、聖エルム西入ル西エルム町521って、わかるかい? 俺が今日から住むメゾンなんだけど」

「ふむ。それなら先のパレードを追いかければよい。目の前の道路がエルム通りで、パレードの折り返し地点が、聖エルム。パレードを見失ったら道に迷う? なぁに、心配いらない。見失ってもすぐに次がやってくる。楽園地帯とはそんな所なのです」


「なるほど判りやすい。そりゃそうと教授。俺は明日からトレジャーハンターになるつもりなんだが、どう? 一緒にやらない」



「    ………………………………………………はぁぅ!? 」



「いや~暇だったらでいいんだけどさ。見た所、子育ては引退してるようだ。こんな昼日中からパレードをぼんやり見てるくらいなら、その方が楽しいかなって」


「……おっしゃっていることがよくわかりませんな。うむ。15分ほど時を戻そう。あなたは大きな荷物をわしの横にどかんと置いた。『大荷物ですがどこから来なさった?』とわしが声をかけると『漠なる大地だ』と答えて、それから『こんにちは』と遅れて挨拶した。で……タイミングを崩されてわしが、『こんにちは』と返すべきかどうかで迷っている間に初対面の人の肩を掴まえて話しかけた。礼儀知らずかどうかで言えば、あなたも十分に礼儀知らずです。それから会話がこんがらがり喧嘩になりそうだったので、わしが機転を利かせて『そのお人は正真正銘、紛れもなくリアルで生後20年経過してない若駒です。薬で若さを調整しているのではない。漠なる大地、生まれの野生児。殴られたらワンパンで即死もありえますのぅ』とナイスな助け船を出して丸く収めた。それからフルチン。雨が降って止んだ。これでよろしいか?」


「うん。間違いない」


「出会ってから15分しか経っていない。先ほどの喧嘩相手と同じ、初対面。見合いで言えば、顔写真を交換した処ですな。それとわしは暇ではない。今日はハロウィン。ハロウィンはアイルランド語で『夏の終わり』を意味する祭りのサウィン (Samhain) を起源とする。試験管で産まれたが、わしが育ったのはアイルランド分割なのです。なので、個人的に特別なお祭りで、断じて暇だから見に来たわけではない。OK?」

 教授はそれだけ言うとその場に座り込んで、ナミフルからは視線を外して顎に手を当て、遅れてやって来た次のパレードを優雅に眺め始めたのであった……が、


「それでさぁ~どうせなら一緒に住まない?」

「…………あなたは……わしの話を聞いてらっしゃたのかな?」

「いやぁ、どうも俺たちだけじゃ心細くってさ。教授も一緒なら心強い」

「ふむむ。ダイアローグが鋭角すぎて理解不能じゃ。はて…………聖エルムのメゾンにお連れ様でも待っているのでしょうかな。それなら早く行って合流するのが得策ですぞ」

「いや、誰も待ってはいません。荷物の中に入ってる」

「もう驚きません。もうばれましたぞ。あなたは意味不明の楽しい会話をエートスとしておられるお方なのじゃろう。そうじゃろう? ボケとツッコミのミルフィーユ」

「そんな旨そうなエートスは抱えていない。この鳥籠とりかごに入ってるんだ」

 ナミフルは大荷物の内、丸みを帯びた楕円形の底が平らな物体をかかげた。


「なるほど、ブルーバード。それならそうと……」

「いや、鳥じゃなくて猫」

「猫?」

「うん。今は眠ってるけどね」

「鳥籠に猫?」

「猫とは言っても只の猫じゃないんだ。叔母であり端末であり同級生でもある。……初キッスの相手でもあったりする」

「もう変わったお人だ、パート24どころではない。マザーAIに許可された麻薬で適正にトリップしてるのならよいが、――もしや睡眠を拒絶している? カロリーが脳に届いてない? VRの致命的な故障? まさか現実で酒でも飲んでいるとか――おいたわしや。毎日がお祭りでパレードの楽園地帯でも頭の中がバブリーカーニバルでは長生きはできまい。……死なないけれど。だとしてもその泡が消えることはない」


「うん。そうだね。酒なんか飲まなくたって酔っ払えるさ。死ぬまでは退屈だろ? 目的もなく人は生きてはいられない。明日から一緒にがんばろうっ!」



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