23時の遭遇
上津英
前編 邂逅(ゆるい)
それはもうすぐ23時になろうかという時だった。
オレは高校受験で有名な塾から、門限の厳しい家まで自転車を飛ばしていた。
遠くの塾へ行くのは大変だったが、オレは夜道が好きだったから問題はない。静かだし、満月の下を歩くなんてゲームの主人公みたいで気持ちよかった。
肩で風を切り空き地を横切ろうとした時。突然視界が明るくなった。
!?
直後頭痛もした。ズキンズキンとアホみたく痛むからヤバいと思って、オレは急ブレーキをかける。
さすが姉ちゃんからのお下がりのおんぼろ自転車。軽いブレーキだったのに、悪霊に憑かれたラッパのように遠慮のないけたたましい音を立てて空き地の真ん中で止まる。
痛い。オレはきつく目を瞑って痛みに耐える。ジェットコースターに乗った後みたいに体もふわふわする。
これはなんだ。
夜道は好きだが、もっと好きなゲームがなかなかできない受験はストレスだった。
そのストレスが体に出たのか? もしかしてオレ病気なの? まだ中学生なのに?
瞼越しに光が透けてくる中、オレは目元を押さえ痛みに耐えていた。
***
しばらく目を閉じたまま停止していた。
少ししたら痛みがスッと消えていったので混乱し、なにがなんだか分からない中オレは目を開ける。
そして唖然とした。
そこは明るい室内だったのだ。白くて無機質な所が病室に似ててオレは身構える。自分でも気が付かない間に倒れて病院に運ばれていたのか? いやここは病院なんかじゃない。
キョロキョロと辺りを見回してみたがそもそも自分はベッドに横になっていなかった。 この明るい10帖程の部屋の真ん中に突っ立っていた。
室内には医療器具どころか何も置かれていない。LEDライトのような人工的な光が部屋を照らしているだけだ。
この状況はなんだ? もしかして「気付いたら白い部屋に監禁されていた」という、脱出ゲームでよくあるあれか?
オレは先程よりも注意深く辺りを見回した。混乱しているし動悸も激しかったがそれくらいはできる。
そして気が付いた。右奥に8インチ程の扉らしきものがあることに。
小さい扉だったが、なにかこの状況のヒントになればとオレは大股でそこに向かう。
その時、その小さな扉のドアノブがガチャリと音を立てたので、オレはうたた寝の最中に話しかけられた人間のように肩を跳ねさせて驚いた。
ドアノブだって小さいからドアノブを回す音もミニマムなんだけど、誰かがいるという事実に口から心臓を吐き出さんばかりに緊張した。扉の向こうから何が出てくるか皆目検討がつかなくて。
間を置かずに出てきた物を見てオレは目を見開いた。
いや、だって、意味が分からない。
「オ、目が覚めたネ?」
ドラマに出てくる中国人のような片言で話しかけてきたそいつは、お土産屋のたこぬいぐるみみたいに愛くるしい外見をしていたのだ。
オレは絶句した。口が半分開いていたと思う。
たこのぬいぐるみが動いてる?
しかも喋ってる?
「フフフ、ナニをそんなに驚いてイルネ」
間抜け顔を晒していたオレを見て、たこのぬいぐるみが満足そうに笑った。
……笑った?
「うわあ!?」
オレは白いタイル張りの床を思い切り蹴り、室内に入ってきたたこのぬいぐるみ、いやたこさんから遠ざかった。
そんなオレを見たたこさんは、子供に見せたくないアニメの五歳児が褒められた時のような笑みを浮かべた。
「オチツケ、少年~。ワタシは君に危害を加エルつもりはないネ」
そういって扉の前に鎮座したたこさんは相変わらずの笑みを浮かべながら告げる。オレが驚いたことが随分と気に入ったらしい。
そんなんで満足するなら確かに危害は加えないだろうな……オレはそう思い肩の力を抜き、先程よりも余裕を持ってたこさんを見下ろした。
たこさんは赤くて小さくて、ウインナーになってお弁当に入っていそうな程デフォルメされたたこさんだった。クラスの女子が鞄に着けていても違和感ないかもしれない。
愛くるしさが先立ちオレは頬を緩めていた。
「なあたこ君、ここはどこだ? 天国ってやつ?」
ほっこりしながら尋ねる。たこさんみたいに可愛いのが天使なら天国ってのは思っていたよりも優しいところなのかもしれない。
「ここは宇宙だヨネ」
動物園のアイドルパンダのように癒し系の笑顔を浮かべながらたこさんはさらりと告げてきた。
……ん? 今たこさんはなんて言った?
なんだって? 宇宙?
天国に続く階段を8合目でいきなり外されたような感覚。
何も言えずに固まっているオレを見てたこさんは再び五歳児の表情を浮かべテヘテヘ笑いながら言ってきた。
「実は私、少年のことを誘拐した宇宙人なんだヨネ」
笑いながら言う話じゃないことを。
「オレは生きてんのかよ! って宇宙!?」
オレは部屋一杯に響く声を上げていた。
たこさんは相変わらずあの笑みを浮かべている。
「オレはついさっきまで道にいたぞ! 塾から帰る途中だった!」
「ア~私そこを誘拐したカラネ、ごめんネ」
たこさんは中国人のイントネーションのまま話しかけてくる。
落ち着いてきたし状況もそれなりに把握できてきたのでさすがに胡散臭く思えてきた。
これは一般人向けのドッキリかなにかだろうと思い、オレはたこさんそっちのけで室内に唯一ある窓際にダッシュした。ドッキリなら人工物でもあるだろう。
「フウ」
たこさんがやれやれと言いたげな溜め息をつくのを聞きながら、オレは窓の外を見た。
そして絶句した。
窓の外には銀河が広がっていたのだ。
窓枠というフレームに深い紺碧が収まっていた。
吸い込まれそうな程綺麗な紺碧には小さな光がちりばめられていて現実離れしていて、宇宙飛行士が撮った写真と同じ光景がそこにはあった。
「……」
オレは息を吸うのも忘れて目の前の紺碧を見ていた。フラッシュやよくできたトリックアートであることを願って、そろそろと手のひらを胸の前に掲げた。
次の瞬間手のひらに透明で冷たい平らな板のような物に当たった。感じからしてガラスに触れたのだろう。
雨の跡が一つも着いていないから液晶か何かかと思いたいけど、ここまできたらきっと違う。ドッキリだと思うには瞬間移動も頭痛もおかしい。宇宙人に拉致られたとでも思わないと後ろのたこさんも今の状況も説明がつかない。
ここは宇宙船の中で後ろのたこさんは宇宙人で。
そう思ったらぞわりと背筋が寒くなった。次に目が合ったらなんだかんだ危害を加えてきそうで怖かった。
外を見たまま立ち尽くしていると後ろから朗らかな声が聞こえてくる。
「ここが宇宙ダッテ分かったー?」
オレは頬を強張らせたままたこさんに何も返せずにいた。
「大丈夫だヨ、私のお願いを聞いてくれたラすぐに帰すカラ」
たこさんはオレが無反応なことも構わずそう続けた。
そうだ、オレを拉致ったのには理由があるはずだ。
オレはそこでようやく振り返り、たこさんに向き直る。もう五歳児の表情は浮かべていない。真剣なたこさんの様子にオレは喉を鳴らしていた。
「お、お願い……?」
「ウン」
たこさんは頷き、オレに8本あるうちの腕を1本差し出してきた。
「文房具チョーダイ!」
「…………は?」
飴玉をねだるかのように可愛らしく告げられ、オレは先程とは違う意味で固まった。
ぶんぼうぐ。
文房具ってあれだよな? シャーペンとかサインペンとかの紙に文字を書いたり、定規みたいにそれを補助するあれ。人を拉致れるくらいの技術を持った宇宙人が? 文房具が欲しくてこんなことやったの?
「文房具だヨ文房具! もしかして君文房具も知らないノ? 本当に地球人?」
「いや、多分知ってると思うけど……シャーペンとかのあれだろ」
「そうソウそう! やっぱり君を誘拐シテ正解だったヨ」
オレじゃなくても知ってると思うぞ。
「私さ~地球の文房具って銀河の宝だと思うんだヨネ!」
ゲームの進行状況を誇る小学生が如くたこさんは急に熱いなった。
「ダッテ液晶には文字が書けないんだヨ! タッチペンならあるけどあれと文房具は違うでしょ? 宇宙で物に文字を書こうと思ったら血文字しかないんだよネ。でも文房具は……! 線を描く補助もできるし! んーファンタスティック!」
血文字!? さらりと怖いこと言ったよこのたこさん!
「だから私地球の文房具が欲しいノ! 星に持ち帰って自慢したいノ! そのために密航までして持ってソウな人誘拐したんダカラ!」
熱狂的なアイドルオタク並の熱さと勢いで文房具の素晴らしさを語ってくれたおかげで、どうしてオレがこんなところに拉致られたのか分かった。そりゃ塾帰りの中学生なら文房具を持っていないわけがない。
たこさんはオレに差し出していた前足で再び催促する。
「お願い! 文房具チョーダイ! そうしたら帰っていーカラ! お願い!」
たこさんに懇願されたオレは、なんというか脱力感が凄かった。
ハイテクすぎる技術でいきなりこんなところに拉致られたと思ったら、要求されたのはまさかの文房具。
ここが宇宙だとかどうでもよくなってしまった。脱力するに決まっていた。
「分かった分かった、シャーペンでもなんでもやるからさっさと地球に帰せよ……」
少々呆れながらオレは室内を見渡し、先程まで横になっていたベッドに視線を向けた。
「あ」
そこでオレは思い出した。宇宙船に拉致られたのはオレだけだということを。自転車や鞄は地球にあることを。
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