精神論なんて端的に言って大嫌いだ
精神論なんて端的に言って大嫌いだ
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ひと文字たりとものがしませんからね、ねえ。
文字は思考のかけらの具現化そのものだ。
文字をだいじにしなければ言葉はなく、
言葉なければ文章はない、そして文章は
思考であり、
そこをとびこえれば思想になる。
言葉にできないできないできないなんて言う名 言葉にするのなら
言葉にできないならほかのことで語ればいいし
言葉にしたいなら、言葉にしろ。ただそれだけのことだろうがよ?
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かまちょーとかゆってかまってくれないん
まあみかけだおしのことだけど。
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とにかくめにふれろめにふれろめにふれてほしい
それがパワーなのはわかっている
だから自分が愚かだとも、
割り切ってるから邪魔されたく、ない。
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小説はあたりまえだけれどもとてつもなく人生観が出るよ
それも、すみずみまでね。
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そんなことは普遍的だろう、というところに希望をみないま見出だしてるのに
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そろそろ再開しないとやばいのよー 勉強
けども余裕なくてそれどころかぶったおれそうだったの、事実だけどね。おもてでは、そんなの、まったくなにもひとこともいっとらんけど。
それだったら休んだ価値はあった、とみなすべきか。
いまは私はトータルの速度や量よりはどちらかといったら品質を重視すべきときでしてねえうんうん、
トータルの速度や量は、私の人生単位ではとってもだいじなのですが
いま、いちばんだいじなのは、クワンティティではなくクオリティ。
がんばって、いこー。
ね、ここはがんばるとこだよ、……私?
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久石譲のジブリコンサートながしてたけどいいなあ
『さんぽ』の合唱のすみずみにもこまかくきびしくゆきわたっているのがわかる
ほんもの、ってこういうもんよ。
きっとそれはかぎりなく狂気じみた厳密さなの。
それはきっと厳密さの狂気、ともいえて。
だから私は厳密であることが狂気のあかしだと思うよ。
理屈がない、のではなく、
理屈がある、それもあまりにも過剰にということが、
過剰なのだと思うよ。
理屈がまるでない、ように見えるのはそのひとがほかとの共有をとくにほっしてない、だってつうずるひとにつうずるようにつうじて、しかも説明よりももっと凌駕できるから、理屈の説明が結果として下手で、それだからじゃないかしら。
すくなくとも天才のことがわからんのを天才のせいにしないでほしい、ってところはあるだろねえ。
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パソコンではべつにせんたんいでいいのですがー
スマホではやはりなんびゃくにしておくべきだね。
なんでったってショーットカットキーがまるでまーるでいきないのだもの、
そのあたりはしかたない。デバイスの「個性」というものもあろうよ。とね。
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