ごめんあそばせ、江國さん。
ごめんあそばせ、江國さん。私はすごく、あなたに怒っているのです。なんだって私はあなたに人生を狂わされたからです。
だから、いまから私が書くことは、熱のこもりすぎた抗議文みたいなもんです。誹謗中傷ではないですが、まあなにしろ、江國香織という作家によって徹底的に完璧なほどに変えられてしまった私の、それこそ江國香織の小説に出会ってから十二年めにしてやっと出したお手紙なんで、どうぞそのつもりでお読みくださいな。
私は中学一年生の春にあなたの書いた『神様のボート』に出会いました。
そして二十一歳のとき、一冊の恋愛小説を商業出版して、二十四歳のいまも毎日小説を書いています。あなたが書いているものとは、ずいぶん趣の違うものですけれども、あなたにいただいた狂気のせいで私はこうなったと思っておりますよ。それはもうみごとに。そんなのは私の勝手な責任転嫁でしょうか? そうですね。でも、人生レベルで読者に責任転嫁される作家って、すさまじいなって私は思うんですけれどいかがでしょうか? 宿命的だ、と。
江國香織、という作家が、「さん」という敬称をつけて呼びかけることをためらわれるほど偉大な作家である、ということはもちろん私とて熟知しています。ですかとかですねとなんとか、そんな気軽に呼びかけることなどとうていできない作家さんなのだということも。
けれども私はいつも江國香織という作家のことを、江國さん、と呼んでしまうのです。江國さんの小説やエッセイを読みながらこころのなかで呟くことは、いつだって偉大な作家に対するかしこまったそれではなく、果物とか大型犬に囲まれてひそやかに笑うあなたなのです。
だから失礼を承知のうえで。このお手紙でだけ、江國さん、と呼ばせてください。そして、親しく呼びかけさせてください。
中学一年生の五月だったと記憶しています。
どうして『神様のボート』を読んだのかは、よく覚えていません。でも、あのとき買ってぴかぴかだった文庫本は、十二年経ったいまでも私の手もとにあるので、図書館ではなくどこかの本屋で買ったのだ、とは思うのです。余談ですが、いまの文庫本は当時とデザインが違うのですね。新しいデザインもすてきだなと思いますが、私にとってはやはりこの、くまとか木馬とかピエロとかが書かれた寂莫とした土地と水色だけの空の、笑いたくなるほど賑やかでさみしくて音のしない風景こそが、『神様のボート』のはじめなのでした。……新しいデザインもきっと手もとに置いてしまうだろうところ、私はほんとうに悔しいのですけれども。
とにかく、中学一年生の五月、ゴールデンウィークに新しい友だちとはしゃぎ倒したあと、私はどういうわけか『神様のボート』を読みました。というか、読んでしまいました。
読み終わったときは、自分の部屋にいましたが、紺色の制服を着ていました。夜になったばかりでした。
そのときの私の怒りを言わせてください、江國さん。
泣いたんです。ぼろぼろと。目が痛くなるほど泣きました。私は幼いころから好んで小説を読むたちでしたが、こんなにも泣いたことなんて、なかった、なかったんです、それなのに私はぼろぼろと、しかしひっそりと泣き続けました。泣き喚くということを私は子どものころ処世術として覚えていて、そういったことを恥じていたころあいでしたが、つまりそれは泣き喚くってことにおいてしか泣くっていうことを知らなかったんです。それまでの私にとって、泣くというのは感情を訴える手段でした。こんなに悲しいこんなに傷ついてる、ってな具合にね。でも私は部屋でひとり、だれにも気づかれず、まったく静かに泣きました。涙は止まらなかったわけですけれども。
――ずるい。ずるい、ずるい、ずるい。
なにがずるいのかもわからずわけもわからず、私はそう思い続けていました。
――こんなのってある? こんなのって……ひどい。
なにがひどいかなんてわかるわけもなく、でも。
――だって、恋愛っていうのは、お菓子のようなものだと思っていたのに。甘く、甘すぎるほどの砂糖菓子だと。少女漫画のような、とてもきれいで楽しいものだと。だから私は、これからの人生そういう恋愛をするのだと、自分自身信じて疑っていなかった。
けれどもこのひとは言っている、そして私にだってわかるよ、わかってしまうよ、
『小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です。そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。』(『神様のボート』p279)
恋愛が狂気だなんて知ってしまって私はこれからどうしろというんだ。
だから、私は呆然としたのです。……立ち尽くしました。
私の育った街はね、江國さん、草子があまり好まなかった高崎なんです。旅がらすも、だから何百枚食べたことでしょう。
お堀のそばを友だち何人かで自転車で飛ばしながら、読書好きの友人どうし、話をしました。
「さいきんなにか面白い本ある?」
「面白いっていうか……『神様のボート』っての読んだ」
「どういう?」
「泣いたわー」
「そんな? どんな?」
「……恋愛小説だけど」
へえ、と言われて終わりました。違うんだけれどもな、と思いつつ、あのとんでもない感情の濁流について、茶化すようにして「泣いたわー」としか言えない自分がそのときそこにいたのも、たしかでした。
狂気というものをどう表現しようかというもどかしさ、あなたがあんなかたちで示した狂気に私は当てられ、さて、どうしたもんかと思っていたのです。
二○○五年のことでしたから、葉子とあのひとの、あのすべてがあったあとですね。
とりあえず「江國香織」とやらの文章を読まねばいけない、と私は強い義務感に駆られました。
だって江國さんおっしゃったでしょう? 「いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だ」って。
じゃあいままでどんなん書いてたんですか、ということを、それだけを知るために、私はおこづかいをやりくりしながら江國さんの小説を収集しはじめたのです。
読了リストを見ながら喋るので、かならずしも二○○五年当時の書籍ではないかもしれないですが、というか私は二○十六年二十四歳のいまに至ったって江國さんの小説を何度も何度も読んでいるのですから、そりゃあ多少はごちゃ混ぜになりますよね?
『つめたいよるに』を読んでは、寓話的なのに現実的な空気に魅惑されました。
『きらきらひかる』を読んでは、危うい線の上でふらふらと踊るひとたちをうらやましく思いました。
『すいかの匂い』を読んでは、少女たちのうす暗いところにひやひやしました。
『ぼくの小鳥ちゃん』を読んでは、女というものの本質に呆れながらも、自分にも思い当たるところがありました。
『冷静と情熱のあいだ』を読んでは、辻仁成さんとの熱い交歓に、こちらの体温まで上昇する思いでした。
『都の子』を読んでは、果物や空気のことにひんやりと頬を撫でられ驚きました。
『いくつもの週末』を読んでは、そのときどきに生活をともにしたい相手のことまでも考え、腕を組み考え込みました。
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読んでは、海の果てに想いを馳せました。
『号泣する準備はできていた』を読んでは、変わっていると一般では言われてしまうであろう彼女たちの奥底の空間を想い描きました。
『とるにたらないものもの』を読んでは、いろんなものが愛おしくなりました。この本は、私があまりにも江國香織好きを公言していたので、高校二年生の誕生日にお友だちからもらって。すでに私の本棚にはこの本があったわけだったので、黄色い背表紙がいまも私の部屋に仲よくふたつ並んでいます。だいじな友だちができたら、一冊手渡そうかななんて思っています。
こんなに読んだらそりゃあすっかり江國さんに当てられますよね? というか、江國香織という作家の、狂気に。
書くつもりなんてなかったんです。物語は、読んでいるだけでよい、と。
けれど私は気がついたら書きはじめていました。
狂気、狂気、といつもこころのなかで口ずさんでいました。
もちろん、江國さんの狂気と私の狂気が同質なわけなくて。当たり前のごとく、異質で。
けれどもこんな狂気があるって知ったら、まあそりゃあ、自分は? って問うてしまいますよ、ねえ。
江國さんの。
と、いうよりは、葉子の。
いや、むしろ、恋愛の。
とにかく、江國さんの抱く描く狂気って、
うつくしいんですよ。どうしようもなく。
きれい、じゃないんです。きれいじゃないです。歪だしぐちゃぐちゃです。
なのにうつくしくって、私は、あの風景が忘れられないんです。
江國さんは私を遠くに連れてってくれやがっちゃったんです。
だから、私も、私も遠くへだれかを連れて行きたいだなんて――。
そんな頓狂なこと、思いはじめちゃったんです。
高校では文芸部に入り、大学を辞めたりもういっかい入ったりなんだり、個人的にもわりと大変な人生だったかなーと思うのですけれど、そのあいだも、筆を止めたことはありません。私の筆で連れていく、ということだけは変わらなかったし、そんなこと言ったら頭がおかしいと思われると判断して、黙っていました。……じっさい頭がおかしいのかどうかは、もはや私にはわからないのですけれど。
小説の投稿をはじめ、二年経とうかというところで、とある出版社さまにお声がけいただきました。
最初に出版したのは、恋愛小説でした。必死にもがいてかたちにしたという経緯はあったのですが、私の思う狂気というものを入れ込めた、という自負は当時もいまも変わらずあります。……そしてこれは内緒なんですけれども、これからも、やっぱりそういうことはしていきたいのです。
ぽかんと口を開けて生活していた中学一年生を、ここまで連れてきたのは、やっぱり、江國さんのせいってところ大きいと思うんです。
そう思うとき、私はやっぱり怒り、のようなもの、を禁じえないんです。人生を変えられたっていうのは、そういうものです。
江國さんはとっくにいろんなひとを海に連れ出しているのではないですか? 自覚してほしいです。
今回、この賞に応募するにあたって、『神様のボート』を読み返しました。
毎回勝負みたいなもんで、今回は泣かないかなと思うのですが、
「――ママの世界にずっと住んでいられなくて。」(p224)
草子のこの言葉で、いつも、ぶわっと泣いて、あとはもう泣きどおしです。
この勝負、勝てる気がしませんね。……一生負けたら幸福なのでしょうけれど。
江國さんが、ボートを出してくださったので。
私はこのごろずっと、"Take you to heaven"ってことだけ考えて、生きています。
悔しいけれども素直に言います、江國さん、ありがとうございます。
私に狂気を教えてくれて。私の人生を変えてくれて。……そのせいで、読者にこんな手紙を送られてしまって!
……ほんとは、もっと、怒りたかったです。
っていうか、怒るふりをしたかったです。もっと、もっと。
けれども駄目ですね。江國さんにお手紙が書けるってだけで、ついついはしゃいで、そんなにはむくれた顔をしていられないものなのですね。
これからも、たくさんのひとたちを、遠くへ連れて行ってください。むろん、私も。
私は、江國さんにいただいた狂気を胸に、きょうもあしたも小説を書きます。
――ここまで影響された人間がいるって、怖くはないですか?
そういうわけで。
ごめんあそばせ、江國さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます