なんでもメモ20161219
前にも書いたかもしれないけれど。
まどマギ杏子の最後の祈りがすごくうつくしかったように、非日本文化圏のひとにとっては、日本人がふかぶかとお辞儀するのはとつてもうつくしくその目に映りうるのだろうなあ。……小説のラストシーンなんかにしても、きれいかもしれない。
ひとを殺すな、というのは、個別性の問題ですこし解決できると思うんだけれど。動物植物といたずらに普遍化するから混乱する。おなじ種族おなじコミュニティということで、その偶然性を個別性に変換するしかない。種族に拡張された事実を見ればいずれ動物植物にも個別性が応用されていく可能性はおおいにあるが、じっさい犬猫画像なんてのはその走りで、でもそれは人間どうしの個別性論理を組み立てつつそこを核にして拡張していくべき。
ダライ・ラマ14世の動画を観て。ダライ・ラマ14世は、コミュニティにおける尊重と非論理的な感情、によって説明されているよう。
「平和や非暴力は空から降ってくるのではなく、人間のなかから出てくる」
ダライ・ラマ14世
「人類全体のことを考えてみてはどうでしょう」Don'tworry.
「子ども大好き」っていう理屈は、申しわけないけれど大嫌いだ。
私は子どもが大好きっていうおとなが子どものころ大嫌いだったし、いまもそう。
だって私はいずれ子どもじゃなくなる。すべての子どもは、時が経てばいずれ子どもじゃなくなる。
それは女が好き男が好きという理屈といっしょのすごく自分勝手な自己陶酔なのだと、どうしてみんなは気がつかないのだろう。
「好きでなんとかしてるわけじゃない」って言葉。
言葉を当てはめたときの適切さによって、いかに自分でコントロールできるかって具合がわかるなあって思った。
「好きでお金持ちじゃない」ってのは、宗教論理以外では成り立たない。お金は、そのひとが進んで稼ぐものだから。
「好きでかわいいわけじゃない」ってのは微妙だけど、かわいいって要素はある程度コントロールできないから、お金もちってよりはまだ。
「好きで背が高いわけじゃない」っていう身体的特徴は、それこそどうにもならないので、すごく適切。
料理もEvernoteを使ってデータベース化すればいいのかな。
レシピごとに。作れそうなものとか作りたいものとか。
料理だって論理でやればよい。
「救済の論理」
「救済の哲学」
「救済のプログラム」
下にいくほどより実践的。
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