20161030

*『神学の履歴書』のマクグラスについての記述を読んでいる。

 具体性を佐藤優は強調する。

 私はさいきんそれを個別性と呼んでいる。個別性のためにはアニメを観たり漫画を読むことも必要。現代日本の若者であるということ、イエスの受肉になぞらえるのはおこがましいかもしれないが、それでも、一回かぎりのできごとである私という現象を、重視することは必須。

 いまを知りむかしを知る。そうやって神を知っていく。たぶん。それが相互連関。



*私が戦争反対でいわゆる絶対平和主義なんだろうことも、むかしから言っているけれど、身体的な苦しみというのがあまりにも残酷な事実だからなんだろうな。理性がうんぬんって高校のときもミクシィに書いた。

 理性を発揮できる状況下でなければ人間は幸福になれない。と思う。

 身体感覚は人間への罰なのかと考えたこともある。上智一年のときもたしかリアペにそう書いた。

 けれど欲求が充たされれば幸福になる。そのような反証は容易だ。

 それと、死ということ。死ぬ瞬間はこの世のだれにもわからないが、苦しいかもしれないということ。

 どういうことなのだろうか。身体がある、ということは。



*神学的ロジックにより、人間は救済されうるだろうか。



*かかった時間の管理とやることリストを導入しようかなー。Evernoteで。

 きょうはもう遅くて記録できないから、10月31日から。

 リストだけでもつくっておいてもよいかも。

 かかった時間とやったことと。



*「神は神である」『神学の履歴書』p216

 エーバハルト・ブッシュによる『バルト神学入門』の記述らしい。

 アナロジーとメタファーについて知ったあとに読み、あまりにも衝撃的すぎて驚きを禁じ得ない。

 やはりバルトをやってみたい。やらなきゃ駄目だ。



*カール・バルト

 「一般的なことの中に危険がある」

 「神学はもっとも美しい学問である」



*エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』p46-47

 に、神を信じないひとたちに対しても神は神だという記述があるらしい。

 「あの人たち」にとっても、と。



*「架け橋」……私のいうところの、「メディア」か。



*『神学の履歴書』。あとがきの「私の説明が上手でないのかもしれない」という記述を読んで。

 佐藤優氏といちどでいいから話をしてみたい、と強く思った。渇望にも似た気持ちで、びっくりした。欲望ではないけれども。

 佐藤優氏と私は歳が離れている。いま奥付を見ると1960年生まれ。私の33歳上。つまり、57歳ということだ。

 過剰に心配するほどの年齢ではないが、人間である以上時間的制約というものがある。

 佐藤優氏が私にたった数分でも時間をつかってくれるような、それほどの人物になることを、私は目指さなければならない。

 なにがなんでも。それをできるかできないかで、人生が違ってくるのかもしれない。

 池田晶子氏は出会ったときすでに故人であった。佐藤優氏とは、具体的かつ個別的に対話をできる可能性が、まだ、あるのだ。



・きょうからツイートも記録しときたいやつはぜんぶ移す。思考をかけらでも逃したりはしない。

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