緋色の時
長雪ぺちか
第1章 緋色の音
第1話 運命の出会い
校舎がピンク色に色づくこの季節。
浮かれた雰囲気に包まれた学校は、いるだけで少し気分がふわふわとしてくるようだ。
頭が回らなくなり今すぐにでもそこらにいる蝶々を追いかけ回してしまいそうな私だけど、頭をお花畑にしてしまうのは春特有の朗らかな雰囲気のせいだけではなかったりする。
もっとこう恥ずかしくて情けない理由だ。
「入学式の時間……間違っちゃった」
私の名前は
今日からこの中学校に通うことになっている中学一年生。
そして登校初日から大ミスをやらかした恥ずかしい子。
誰かに聞ければこんなことにはならなかったかと思ったりするけど、残念なことに気軽に入学式の時間を聞ける友達がいなかった。
私は入学式をする体育館の扉から、未だ会場の準備をしている中学生のお兄さんお姉さんたちをチラチラと見て時間を潰していた。
裏庭から体育館に上がるための小さな台に腰をかけて、ため息をつく。
「中学生になったら……変われるかな……」
毎年始業式が始まるたびに抱く思いを、例外なく今年も抱き肩を落とす。
少しはおしゃべりできないと友達なんてできやしない。それに恋人だって
コンッ……コンッ……コンッ…………
不意に、規則的で高い音が耳に入る。
どこかで聞いたことのあるこの音……なんだっけ。
私は自分の記憶からその音を探す。
そうだ、この音はピンポン球の跳ねる音だ。
裏庭の真ん中から何か四角い建物に伸びるコンクリートの道を、白いピンポン球が軽快な音を鳴らしながら私の元へと向かってくる。
思わずキャッチした後、顔を見上げると、遠くから派手な服を着た男子が手を振ってこっちに走ってるのが視界に入ってきた。
まだ入学式を済ましてない今の私は、部外者と関係者の狭間のような存在で、どこか後ろめたい気持ちがあったので、顔を合わせないように俯いた。
視界の真ん中に彼の靴が映る。
外靴ではなく体育館履きのようなものを履いていた。
でも学校指定の体育館履きとは全然違う。
紐は白で、他は真っ赤の派手なやつだ。
「ボールを拾ってくれてありがとう。暑くてちょっと窓を開けてたんだ」
ズボンは靴と打って変わって真っ黒でとても地味。
でも、その……丈が短すぎるというか、色白で筋肉質な太ももが際どいところまで見えてしまっている。
「あれ? 君みない顔だね? もしかして新入生?」
そして上着はやはり派手だった。
燃えるような赤色に、黒のアクセントが入っていて、教室の角でコソコソしていた私からすれば、お洒落でとても眩しい。
「こんな時間に来るなんて熱心だね。部活の朝練見にきたのかな?」
視線を少しずつ上へ、上へと登らせていく。
恐る恐る、さっきから何か喋っている先輩の顔を見上げた。
目鼻の整った顔立ちだ。俗っぽく言えばイケメン。
そんな彼が、頬を僅かに上げ、爽やかに私に笑いかけていた。
「そうだ! 俺と一緒に卓球、しませんか?」
音がした。
トクン、トクンと初めは小さく。
そしてその音は徐々に大きくなっていく。
耐えられない。この眩しさに私は耐えられない。
「ご……ごめんなさいいいいいい!!!!!!!!」
彼と目を合わせることができなかった私は、ピンポン玉を渡して俯きながら校舎の方に走った。
無理! 無理! 爽やかすぎる!
私とは住む世界が違う人種だった、絶対!!
私は心の中で自分をけなしながら、全速力でその場から逃げ出すのだった。
「ちょっと待って! ってもうどっかいっちゃった。それにしても……よく下を見ながら走れるなぁ」
ピンポン球を回収した爽やかイケメンは、走る彼女の背中を見ながら一人呟いた。
*
「本校での皆さんの活躍を期待しています。これから3年間頑張っていきましょう」
いかにも校長先生らしい容姿の校長先生の話が終わり、入学式は終わりを告げた。
閉会式が執り行われると、入学初日だというのに新入生……つまり私と同じ中学1年生は退屈そうにあくびをしたり伸びをしたりして緊張の糸が切れている様子。
かくいう私も、式の間はずっと自分の姿勢に注意を払い続けていたから結構緊張していた。
本当なら、名前の順でクラスごとに並ぶというのがこういう行事の恒例だけど、今回限り、クラスごとに来た順に二列で並ぶことになったため、一番前で入学式を堪能する羽目になってしまったのだ。
ダントツ一番で学校についたのだから最前列なのは当たり前だ。
名前の順にしたところで、苗字が『内原』で、あ行なので前の方になるのは絶対だけど、一番前に並んだことがなかったので、思わぬところで『相田』とか『秋山』とかの苦悩を知ることになって、将来は名前の順が後ろの方の人と結婚したいなと切に思った。
結婚は、友達すらいない私にとって程遠い話だけど……
小学校の頃はまともに話せる友達がいなかった。
敗因は分かっている。
私は人に話しかけるのが苦手だ。
自分を、出すのが苦手だ……
だから中学校では自分から話しかけるんだ……
そう決心して、私は隣を見る。
隣には、私よりも一回りも大きい女の子が背筋を伸ばして立っていた。
短めの髪で可愛いよりも美人めな顔立ち。
頬はほのかに桃色。
手はまっすぐ細く伸び、瑞々しくて、それでいてどこか硬さを感じた。
女子特有の柔らかな手とは違う、何かスポーツをしている子の手だ。
表情から自分に自信があるのが見て取れる。
私とは真逆のような子だった。
でも、いじめっ子のような雰囲気は感じない。
彼女は多分、私のような存在を貶めなければ目立てないような子じゃない。
いじめっ子でなければ、友達になれる気がした。
私同様、朝早くに来てしまったのが運の尽きだ。
大人しく私の友達になるのじゃ、覚悟せい。
私は心の中の武士を呼び起こして、話しかけようとしたその瞬間だった。
キーンとマイクがハウリングする音が体育館に響くと、何やら放送が入る。
「続きまして、部活動紹介に移ります。新入生の皆さんは体育館中央を開けて、二つに別れてください。AからC組はステージ左、DからF組はステージ右側にお願いします」
放送に続けてクラスの担任の先生が私たちを左右に誘導する。
すると私が話しかけようとしていたその女の子は先生について右側に移動してしまう。
「あのっ……あっ……」
どもった声は彼女には届かない。
せっかく決心したのに、と私は肩を落とす。
もしかしたら、私は友達を作ることのできない星の元に生まれてしまったのかもしれない。
性格もそうだし、運もそうだし、私に友達は向いていないんだ……先ほどまで強気だった私はすでに武士と一緒にどこかに行ってしまって、意気消沈してしまった。
部活動紹介のためにステージで二手に別れた後、体育座りでその場に座った。
ステージ左側はAクラスが最後列、Cクラスが最前列になったため、私は入学式同様、再び一番前で話を聞く羽目になった。
なんかもう今日は朝から付いていない気がする。
朝から入学式の時間は間違えちゃうし、入学式では一番前だったし、思い切って人に話しかけようとしたらどっか行っちゃうし別のクラスだったし……唯一良いことがあったとしたら、私と住む世界の違う爽やかイケメンに話しかけられたことぐらいだ。何話してたか全然聞こえなかったけど。
サッカー、野球、男バス、女バス、男バレ、女バレと所謂リアルが充実してそうな部活動の紹介がぼけっとしている間に終わる。
正直なところ、ここら辺の光属性な部活動は私に合わない。
部活動自体が合わないと言われればそれまでだけど、ここら辺の部活はどうしようもないくらいに無理だ。
女バレも女バスも、あれは運動神経が良くないとやってられない。私は50m走も遅いし、シャトルランも20かそこらでギブアップだし、運動には良い思い出がない。
サッカー、野球その他諸々のマネージャーはもっと無理だ。あれは人間関係がめちゃくちゃになる。彼氏の取り合いとか、陰湿なマネージャー同士のいじめとか色々あるらしい。チャレンジの付録の中学特集で読んだ。イケていない私みたいな日陰者がそこに飛び込んだ日には最後、友達はいないどころかいじめで3年間が終わってしまうだろう。
だから私は決めていた。
入るなら絶対文化系の部活動! 運動系は私には合わないし、きっと文化系なら私みたいな友達がいない根暗な趣味の子が多そうだ。めっちゃ失礼なこと言ってるけど、私もそうだから許して未来の友達。
そういうわけで、先に行われる運動系の部活紹介を結構雑に聞き飛ばしていた。
柔道、剣道、バトミントン、男テニ、女テニと運動部の紹介が消化されてそろそろ文化系に入ろうかと思われたその時、私は彼に目を奪われた。
「続きまして、男子卓球部。よろしくお願いします」
放送と共に、体育館脇に準備させていた卓球台を派手な衣装を着た部員が体育館の中央までガラガラと引っ張ってくると、慣れた手つきでそれを開く。
そしてその中には、今朝私が出会った例の先輩がいた。
例の先輩は、私に気づいたようで、こちらに小さく手を振る。
それに合わせて私の心臓が跳ね上がる。
体温が上昇しているのが分かる。体温計がなくても多分1度くらいは上がっている。微熱だ。
今朝、爽やかイケメンに運命的な出会いをして、その数時間後に、大勢が見ている中、私だけにこっそりと手なんか振られてトキメかないわけない。こんなのチャレンジの付録に載ってなかった。こんな歯の浮くようなイベントが私みたいな女子にあるなんて載ってなかった!
先輩はおそらく放送委員会か、放送部の人からマイクを受け取ると、丸い部分をポンポン叩き音量の確認をして話し始めた。
「こんにちは、男子卓球部です。俺は部長の
「はいっ!」
張替先輩の掛け声に他の部員はテキパキと卓球台について、ボールを打ち合い始めた。
どうやら球を打ち合うことをラリーと言うらしい。
部員たちはコンコンと心地よく一定のリズムでラリーを続ける。
「ラリーは毎日必ず行う練習です。また、新入部員の皆さんが一番最初に行う練習でもあります。安定したラリーができるようになることが、まず始めの目標になってきます」
部員たちはまるで機械のように同じフォームで、腕を振り、同じタイミングでそれを打ち返すという一見単純そうな作業を繰り返している。
男子卓球部に入ったら、まずはこのラリーとかいうのができるようにならないといけないらしい。私は音ゲーとかは苦手じゃないので、案外できそうだなと思った。
説明が終わったところで、先輩も練習に加わる。
他の部員たちと同じようにブレず、それでいて大胆な動き。
私は彼がラケットを振る姿に目を奪われていた。
綺麗なのか、上手なのかは卓球をしたことない私からはわからないけど、先輩のそれはとてもかっこよく私の目には映った。
体重の移動が上手なのかもしれない。ピンポン球に勢いが乗っているような雰囲気を感じる。
しばらくラリーを続けていたが、段々と先輩とその相手の距離が開いていくことに気がつく。先輩が後ろに下がっているんだ。
距離が生まれるにつれて、先輩のラケットを降る速度が上がっていく。
そしてラケットを振るたびに「んっ!」っと半ば喘ぎ声に聞こえる声を上げ、鋭い球を相手コートに入れていく。
プレーが派手になってくると、新入生から手拍子をする生徒が出てくる。そこからの先輩はノリノリだった。
私も、恥ずかしさを噛み殺して控えめな音で手を打った。
長距離のラリーが20回ほど続くと、先輩は球を手で取ってラリーをやめる。
名残惜しい気持ちがあるのか、新入生から不満の声がちらほら湧いたりしたけど、それ以上に、感嘆の拍手が体育館に響いた。
拍手の大きさが結構あったので、私も少し大胆に拍手の音を鳴らした。
激しく動いて汗をかいた先輩は、左手で額を拭うと、マイクを握りなおす。
「拍手ありがとうございます! 最後にスマッシュを披露します。スマッシュは皆さん知ってると思いますが、とても派手なプレーです。習得するのに時間がかかりますが、入った時の爽快感は半端じゃないです。最後に楽しんでいってください」
ラリーをしていた部員たちはその手をやめ、両手を後ろに組んで待機する。
会場の視線が一点に……先輩の台に集中した。
軽く先輩が球を出す。
今度は張替先輩じゃない方の部員が後ろに下がりながら、ボールを打っていく。
そして、一定の距離離れたところでボールが高く打ち上げられた。
球は高く弧を描きながら先輩のコートへと向かっていく。そして…………バンッ!っと先輩はまるでバレーのスマッシュのようなフォームで、球をコートに叩き込んだ。
これまでで一番速いその球を相方の人は再び高く打ち上げコートに入れると先輩はそれを打つ、また返す、打つと続けていく。
ラリーとは違った大迫力のプレーに、体育館の手拍子は先程以上の盛り上がりを見せていた。
私はといえば……ただ、ただ見ていた。見惚れていた。
綺麗なプレーとかそういうのではなく、私はただ……この卓球というスポーツで熱く燃え上がっている先輩に心を奪われていたのだ。
心臓の動きが速まっていく。彼を意識すればするほど、その加速を止めることは叶わない。
私は、絶対に無縁だと思っていた恋愛とかいう不可思議なものに、こんなにも簡単に落ちてしまっていた。
手を伸ばしても届かない。しかし届かないと分かっていても、伸ばさずにはいられない初めての感情。
私の中の理性的な部分がその手を引くように訴えている。
人間には得手不得手がある、無理な希望は持つべきではないと、これまで12年で培ってきた経験が立ちふさがる。
そいつを前にして私の足は氷漬けにされたように止まる。
右手に漫画、左手に小説を持ったそいつは私に相応しいのは文芸部だよとニッコリと笑って告げてくる。
おそらく……私の望んでいた学校生活は彼女のいう通りにしていれば手に入れられるのだろう。
でもそれでいいのか? 私は……本当に後悔しないのか……?
むしゃくしゃした気持ちが私の中でたまっていく。
……迷った時には決心が要らない方へ、それが一番楽だ。
目の前のそいつの手を取ろうとしたその刹那、バンッと体育館を強く踏む音で目が醒める。
これまで高くボールを上げていた先輩の相方が、低い姿勢から強烈なスイングで返球をした。
回転が掛かっているからか、その球はまるで野球で言うところのフォークボールのように上から下にギュインと曲がった。
先輩はというと、その球を前にラケットを持った腕を身体の内側にしまい込む。
そして、武士の居合斬りの如く、神速のスイングで球を撃ち抜いた。
体育館に、カンッとどこか金属音にも似た高音が響く。
先輩の放った球は、相手のラケットにぶつかり、床へと落ちた。
その瞬間、私の前に立ちふさがっていた満面の笑みの弱い私の首が落とされたように思えた。私は…………
首が落ち、パラパラと崩れゆく私を私は抱きかかえる。そして私の視線は真っ直ぐに、先輩の背中をとらえていた。
ラケットをマイクに持ち替えて、先輩は口を開く。
「卓球は、運動神経が悪くても上手になれるスポーツです。プロ選手でも、卓球以外の運動が全然できないという人だっています。運動部に入りたいけど、自信が無いと言う方、是非卓球部で一緒に成長しましょう。以上、男子卓球部でした」
最後の先輩の言葉を聞いて、私は笑ってしまう。
結局のところ、私は甘い言葉に流されてしまう弱い私のままだった。
「(運動神経がいらないならもしかしたら運動部でも大丈夫かもしれない……)」
こうして私は、実に私らしい小心者のままで一歩前に踏み出すのだった。
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