第116話 すべて終わった、その後の事

 敏樹さんの説得は、意味を成したのかどうか、結果として分からない。

 ただ、俺の両親が敏樹さんを説得しに行っても無駄だったわけは理解した。


 敏樹さんは、正直どちらでも構わないのだ。

 娘たちと親愛なる人がお互い幸せになれる方法であるならば、敏樹さんはその道に進むことを望んでいる。


 異なる幸せを強く望んでいるのは、親愛なる人の方。

 西城さんは神妙な顔つきで、一言もしゃべることなくバスの床に視線を向けている。

 藤野の家を後にしてから、ずっとこんな感じだ。


 俺と藤野は西城さんの両隣に座り、各々気を使い、話しかけることはせず、ただバスの窓から見えるのどかな車窓を眺めたり、スマートフォンを操作して時間を持て余したりしていた。


 既に陽は傾き始め、辺りの山々に太陽が隠れようとしている。

 山々に囲まれた盆地は、夕暮れが早く訪れると言う。

 太陽が山の陰に隠れると、辺りは鬱蒼うっそうと生い茂る林道を、さらに暗闇へとほうむる。


 バスはひたすら暗闇の中を突き進み、次期じきに街の中心部の幹線道路に出た。

 世闇に光る、街灯の明かりが見え始め、心暗さも多少解消されていく。


 まもなく、終点のターミナルへ到着するアナウンスが流れ始めたところで、藤野が先導を切るように声を上げた。


「えっと……これからどうしよっか?」


 困惑気味の声で藤野が聞き返すが、西城さんは答えない。

 代わりに、俺が口を開いた。


「俺は一応、近くのホテル予約してるけど……西城さんは、どうする? この後、実家に帰る?」


 俺が確認するように尋ねると、西城さんは下を向いたまま、ようやく重い口を開いた。


「羽山くん……」

「ん、何?」

「今日、一緒の部屋に泊まっていい?」

「……」


 西城さんの思わぬ言葉に、俺はなんとなく視線を藤野へ向けてしまう。

 藤野は俺を見つめて、ふっとにこやかな表情を浮かべた。


「うん、今日はその方が良いかもしれないね」


 そう言って、藤野は優しく西城さんの背中をポンっと叩いた。


「羽山くんも、この後ホテルに部屋の空きあるか確認取ってくれる?」

「あぁ……うん。わかった」


 バスが終点に降りたところで、藤野が西城さんの背中を押す形でバスから降ろす。

 俺はバスを降りた後、ホテルに連絡して、空き部屋があるかどうか確認を取った。


 幸運なことに、一部屋ツインルームの空きがあったので、部屋と人数の変更をしてもらい、なんとか宿の確保を済ませる。


「とりあえず、部屋空いてたから一部屋押さえた……」


 バスターミナルの椅子に座り込む二人の元へ戻って報告すると、藤野がずっと立ち上がる。


「そっか! それじゃあ私は家に戻るから、二人は明日に備えてホテルでゆっくりしな」

「……それでいいのか?」

「うん! いいよね。お姉ちゃん?」


 藤野がしかばねのように俯いている西城さんに尋ねると、西城さんは微かに頷いた。


「わかった……」

「それじゃ、私は戻るね!」


 藤野は、折り返しのバスに乗り込み、再び実家へと戻って行った。

 藤野の出発を見送った後、俺と西城さんは二人きりになる。


「それじゃあ行こうか、西城さん……」

「うん……」


 か細い小さな声で答えた西城さんは、重い腰を上げて、俺の一歩後を力なく付いてきた。


 ホテルに到着して、チェックインを済ませ、俺達はキーホルダーに書かれている部屋番号のドアの前に立ち、鍵を差し入れて部屋へと入った。


 明かりをつけると、そこは何の変哲もないビジネスホテルのようなスペースで、ベッドが二つ並べられているだけの簡素な部屋だった。


「西城さん、どっちがいい?」


 俺が尋ねたその時――

 がばっと後ろから手を回されて、西城さんが俺に抱きついてきた。


 俺は一瞬何が起きたのか分からず、思考が停止した。

 だが、咄嗟に状況を理解して、西城さんが俺の胸元に回してきた腕を優しく掴む。


 そして、くるっと回転して向き合う形になると、西城さんは鼻を啜りながら再び顔を胸元へと埋めてくる。


「羽山くんっ……」


 泣きながら縋るように抱きついてくる西城さんを、俺はぎゅっと抱き返す。

 そして、ゆっくりと西城さんの背中に手を回し、とんとんと優しく慰めてあげるようにさすってあげた。


「大丈夫だよ。西城さんは何も悪くない」

「うん……」

「俺もさっきごめんね、西城さんを傷つけるようなこと言いかけちゃって……」

「ううん、平気。ありがとね、羽山くん……私のわがまま聞いてくれて」

「わがままなんかじゃないよ。西城さんはよくやってるよ」


 そう言って、俺はすすり泣く西城さんの頭に手をやり、ポンポンと優しく撫でながら、俺は西城さんの細くて儚い身体を泣き止むまで抱きとめた。



 ◇



 しばらくして、ようやく西城さんが落ち着いてきたところで、俺たちはベッドに隣り合わせに座った。

 俺は今、西城さんの手をとり、優しく握りしめている。


「私ね、本当はなんとなく分かってたの。原因は私の家にあるんだなって……」

「うん」


 おもむろに話し出した西城さんに、俺は優しい声音で相槌を打つ。


「だから、余計に私がいるせいで、家族がバラバラになっていっちゃうのをひしひしと感じて……なんかやるせない気持ちになって……」

「そっか……」


 こういう時、もっと何か優しい言葉の一つでもかけてあげられればいいのだろうが、俺にそんな技量はない。

 話を聞いてあげて、そばで頷きを返してあげることしか出来ない。


 だが、西城さんはそれで満足してくれたようで、徐々に落ち着きを取り戻していった。


「ちょっと、お母さんに電話してくるね。今日は泊っていくって」

「わかった。じゃあ待ってるよ」

「うん」


 西城さんはソファから立ち上がり、ユニットバスの扉を開き、中へと入っていった。


 俺は西城さんが電話をしている間に、自身のスマートフォンを確認する。

 すると、藤野からメッセージが来ていた。


『お姉ちゃんの調子、大丈夫そう?』


 と、メッセージが届いていたので、俺はスマートフォンを操作して、藤野に返信を返しておく。


『問題ない、今は普段通りの落ち着きを取り戻したよ』


 すぐに既読が付いて、返事が返ってくる。


『さすが、羽山! やるぅ!!』

「何がだよ……」


 藤野とのトーク画面を見つめながら、引きつった笑いを浮かべていると、西城さんがこちらへと戻ってきた。

 俺はスマートフォンをズボンのポケットしまい込んで、西城さんの方へ向き直る。


「どうだった?」

「うん、平気だったよ」

「そか」


 すると、西城さんがタッタッタっとこちらへ駆け寄ってきて、そのまま俺に真正面から飛び込んできた。


「うわっ、ちょ……」


 俺は西城さんを抱きかかえるようにして、そのままベッドに倒れ込む。


 西城さんが、俺の身体の上に乗りかかるような形になり、西城さんは俺の胸元に顔を埋めて、感嘆のため息をついている。


「羽山くん……」

「ん、何?」

「あのさ……これが全部終わったら、聞いて欲しい話があるんだけど……聞いてくれる?」

「……」


 顔をこちらに向けて、縋るような目で見つめてくる西城さん。


 唖然として西城さんを見つめていた俺は、はっと我に返り、慌てて返事を返す。


「あっ、えっと……うん。いいよ」


 安心したように微笑む西城さん。

 だが、俺からも言わなければならない事がある。


「後な……俺からも、終わったら話しがあるんだけど、聞いてくれるか?」

「うん、聞いてあげる……」

「ありがと……」


 お礼を言い合い、西城さんはさらに甘えるように、顔を俺の胸元へと埋めてきた。

 俺は西城さんを優しく包み込むようにして、頭と背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。


 全て終わった時、結果どうなるかは分からない。

 でも、俺や西城さん思い通りの結果になって、描いている未来が西城さんに訪れてくれることを、俺は心から強く願うことにした。

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